『エルネスト・チェ・ゲバラ』
今年?彼の映画が二本上映されたんだったかな・・・。再評価される時代になったのだろうか・・
この本は彼「ゲバラ」の伝記。フィデル・カストロとともに1959年のキューバ革命の成就させ、20世紀最大のゲリラとして今なお・・・人々の心に残る人物。
医学を志した学生時代から、圧制に苦しむ人々の為にゲリラ戦士となり、キューバ革命後も与えられるべきだった地位を拒み、新たなる戦いを求めて南米・ボリビアで67年に殺害される。
この本はゲバラが生れてから、殺されるまでのノンフィクションとして書かれている。
処刑されたゲバラの遺体、埋葬場所は長年のボリビア側の秘密であった。しかし、元ボリビア国軍司令官マリオ・バルガス・サリーナスは迷い、苦しんだあげくのこと、28年後にゲバラ埋蔵の場所をジャーナリストに語る。1995年11月6日。
97年7月12日。ゲバラの遺骨はキューバに帰る。実にカストロに別れの手紙をかいて32年の月日が流れていた。
ゲバラが去った後のキューバ・・・それもまた苦難の日々。社会主義経済の構造的欠陥などによる慢性化した経済の疲弊。スポンサーだったソビエトの崩壊・・・・執拗なアメリカの経済封鎖。度重なるハリケーンの到来・・・
そうした苦しい国情の中、ゲバラは帰還する。苦しむキューバに力を与えるために・・・
連合赤軍による 浅間山荘事件。彼らが山にこもり、武装蜂起しようとしたこと。その手引書・教科書参考書となったのが『ゲバラ日記』だった記憶している。
私も10代の頃に読んだ記憶が有る。その頃、普通に流通していたのかな? 『ゲバラ日記』・・・仲間と山中、ジャングルに入り、山の中にいくつもの拠点・アジトを作り、武器・弾薬・装備・食料などを貯蔵。
そしてゲリラ戦を展開。『ゲバラ日記』はゲリラ戦のための準備段階から克明に記された日記だったと記憶している。
重信房子・・海外に出た連合赤軍幹部。彼女等もボリビアで新たな戦いを目指したゲバラ。日本の国内の活動の限界を感じ、国外闘争に視点を移したともいえる。
重信房子著『わが愛わが革命』・・・どうやって日本を離れ、どうやってパレスチナ紛争に参加したか・・・まるで『ゲバラ日記』・・
私の手元にあった『わが愛わが革命』も『ゲバラ日記』も今はどこかに・・・
奥平と安田は銃撃戦の末死亡。射殺説、自決説と両方ある。
生き残った岡本公三・・・彼がイスラエルから釈放されたとき、かれは確実にパレスチナの英雄だった。
もう、歴史なのか・・・テロは悪か。テロは悪ではない、勝てば正義。
大東亜戦争、太平洋戦争のアメリカが然り。
ベトナム戦争の功罪は・・・二つの原爆を落としたその罪は・・・