前々回に書いたモノのつづきになります🙇♀️
10年前に、義足、車椅子♿ユーザーとなり
生活や、やろうと思っていた事が出来なくなり
当時は、義足を履いていても
痛みが強くてほとんど歩けてませんでした…
切断だけではなく、大腿骨の開放骨折で
筋肉が僅かだけくっついて癒着していて
あとは、手術で繋げなかったので
切れたままなので
鍛えようにも右足だけがパンパンになって行きました
障害の等級は、4級
ほとんど支援はありません。
タクシー🚗 ³₃も一割だけ値引き
バス🚎は、乗車拒否❌される事が多かったのと
乗る時に、はよせー‼️とか言うて
罵声を浴びせられ
気分が悪いので
タダや、100円でも
そもそも乗らないので、、、
日々、理不尽に思う事が積もって行きました。
それは、ヘルパーさんに来てもらいだした時の事
私がお願いした事業所さんから来るヘルパーさんは皆良い人ばかりでしたが
これは、出来ないんですって言われる事だらけで
結局、なんか気休め程度しか支援してもらえへんやん‼️って、、、
私は、義足側の足が90度くらいまでしか曲がらないから
地べたの事が出来ないのと
モノ取るくらいは、マジックハンドを家族に買ってもらって取れたけど
あと、重たいモノは、足が沈むとあたって傷になるので
中々、布団干したりが出来ないんですが
あなたの分は出来ますが
家族のは出来ません!と言われ
私が出来ない事を支援してくれないと
来てもらう意味がないですよね。。って思って
とりあえず、議員の人に
同じ目線になって考えますたらなんたら
パンフレットに書いてたな〜
物申すぞ‼️とコンタクトを取り
待ち合わせして話をしました。
後日、福祉課の人間と
家に来ると言って来たので
良いですよと
当日、議員さんと福祉課の人間が
ぞろぞろ3~4人
私の家をくまなく見ていき
これは、出来るとか出来んとか
ブツクサ言うて
御家族がいるなら、御家族さんに
やってもらえますよね?って
1人が、そう言って来て
私が、イヤイヤ!
あんたな(お口が悪うございますので💦)
あんたは、週休二日かなんか知らんけどな
休みほとんど無しに働いてる人間が休みの日に朝から掃除しますんか?
ほな、あんた
休みの日に朝から掃除してんの?
いえ、しません!ってボソッと言って
ヘルパーってなんや!わざわざ高い金はろうて
資格取って
介護しようとか、誰かの役に立ちたい思って
実際は、これは出来るけど
出来ない事が大半で
ホンマに困ってる家族おらん人は、そのまま
ほっとくんやな
全然、いきとどかん支援とかいるんか?と、、、
実際に、若い時は
私もヘルパーをしていたが
今、住んでいる市のヘルパーの緩さに驚くくらい
厳しかったし、安全面や、移動支援の際の下見など
ちゃんとしていたので
いざ、自分が
支援される側になり
一体この人らは
何を学んで来たんだろうか?って思う事の連続でした。
移動支援も、
私は、月に1回しか使えず
急に行きたいとこ出てきたら
誰が連れて行ってくれんの?って
余暇の付き添いだけってなんやそれ?って
マニュアル通りの支援とか
利用者は、求めてへんと思うよって
そんなことが、続いて
次第に、マニュアル以外に
ちゃんと行き届いた支援がしたい‼️って
強く思うようになりました。
徐々に私も、ジムに通ってマンツーマンで
鍛えに行きだしてからは
少しずつ歩ける距離も増えて来て
煩わしいから、ヘルパーは
お断りしました。
全て、自分で出来るわけではないけど
来てもらってもやってもらいたい事が出来ないならいらないよね〜!ってなったわけです。
何年も、理不尽な思いをしモヤモヤしていましたが
私が出来る事
今は、身体の介助は出来ないけど
生活の支援や、買い物
趣味サポートや、カウンセリング
書道教師なので
書道を教えたり出来るやんって思うようになって
今年の誕生日に
個人事業主の登録に行きました。
全くの1人で始めるので
日々、学びながら
人脈を増やしながら
色んな方にお話を伺ったり
自分が、理不尽に思ってモヤモヤしていた
時を思い出しながら
土台作りをしているところです。
つづく⭐️
先日、個人事業主としてやって行く自分に気合いを入れるため
義足で滝行に挑みました‼️
人生も、滝に行くまでのけもの道のような
モノだなと
喝を入れて帰って来ました。
10年前いつもの如く朝、仕事に行き
今日は、バンド仲間と夜焼き鳥屋🍻だから
頑張るかな‼️っと
現場に入った瞬間、後ろから重機が突進して来て逃げるに逃げれず
ワタシは、出血多量で生死を彷徨いましたが、、
意識朦朧の中、夢だったのか
飼っていたネコと
炎🔥の中の不動明王様が見えてその後!
(頑なに宗教に入っているわけではないが)
輸血され、意識が戻ったのは
次の日の夕方
大体、足が無いんだろうなとは気づいていたが
担当医が来て
足が無い事を告げられた
不衛生な場所での事故だったので
菌がまわると死んでしまうと言われ
熱は38度
手術をするかどうか決めてくださいと言われ
ワタシは、竹を割ったような性格なので
どちらかだ!
即答で、明日手術してくださいって返事をし
この病院では手術出来ないからと
また、救急車に乗って隣の5分くらいの病院に移動💨💨💨
手術が終わって
2日目くらいからリハビリが始まった
ワタシの変わり果てた姿に家族も友人知人達も
かける言葉がわからなかったんだろう
足がなくなった事を知らせた人の中には
返信すらくれなかった人間もいて
身体障害者になるって事の社会の風当たりを
身を持って知った。
自分は、ヘルパーで3000人くらいの方を支援して来た経験もあり
社会の中にも温かく接して下さる方もいるが
やはり、最初に
風当たりの強さを体験し
そこで、病んでしまうと思われていたみたいだが
ワタシは、なぜか
ケロッとしていて
退院に向けてリハビリを頑張った
その時の理学療法士さんがスパルタにやってくれたお陰で今があります⭐️
まだ、その時の理学療法士さんとは
連絡を取り合っています。
それから、ワタシは
半年して明石のリハビリ病院に行き
リハビリと義足を作る運びとなり
(話端折りますが)
1年入院して
自宅に帰りました。
退院して始めて車椅子♿で自分一人で外出した時
やはり、洗練をうけてしまいます。
車椅子♿で走っていたら
通りがかりのオジサンに唾を吐きつけられ
負けじと「やめんかい!オッサン(💢'ω')‼️」
とかかっていきましたが
スタスタと逃げて行きました
それから
一人で始めて車椅子♿で電車に乗る時に
切符買っていたら
電車に乗り遅れそうだったのか走って来た
オジサンに車椅子♿をこかされ
そのまま
ほったらかしで
電車に乗って行かれてしまい
ワタシは、今みたいに動けなかったので
こかされたまま少し放心状態になりましたが
その間、誰も助けてくれず
見て見ぬふりして通り過ぎて行きました
ワタシは、自力で車椅子をおこして
乗りました
体育会系だったのが良かったのか⁉️
これからの人生が思いやられるなー💦って思ったものの(´-`)oO
日本🇯🇵も終わりだな…って
このままだったら
人間は終わって行くって思いました
私ごとき1人が
その根性叩き直したる!とか思って動いたところで
世の中や、人々が変わるはずなんてないんだけど
生き延びた生命を使って
自分のあるがままの姿を使って
嫌われても良いから
物申して行こうと決めて
この10年生きて来ました。
つづく
私は、10年前に事故により身体障害者となりました。いわゆる中途障害者です。
たった1日の出来事で生活が一変しました。
とても大きな事故で怪我も相当なものでしたが
私につけられた等級と言うのが
4級でした。見た目だけでの判断です。
3級までは手厚い支援があるのに4級以上になるとほぼほぼ支援の内容が少なくなりました。
ヘルパーさんには来て頂けるものの
希望通りの支援が受けれず
ストレスが溜まる日々でした。
10年経った今は
私自身も家に居るわけにも行かず働きに出るようになりました。
事故に会う前は、
障害をお持ちのお子さんの移動支援など
3000人近く支援して来ました。
作業所でも色んな悩みを抱えた利用者さんに出会う中で
私に出来る事があれば支援したいと強く思うようになりました。
介護保険では、電球ひとつもかえてもらえないと言う事実をしり
身体介助は出来ませんが
生活支援なら私にも出来る!
足りない部分をお手伝いしたり、お話を聞いたり
趣味のサポートをしたり
少しでも解消出来ればと言う思いから
自費サービスにはなりますが、
障害者の自費サービスを立ち上げる運びとなりました。
私に出来る事は
させて頂きたいと考えております。
お問い合わせや、お見積もりは
無料です
1度お気軽にお問い合わせ下さればと思います。
障害者自費サポート ポラリス
代表 四方 美幸 (しかた みゆき)