さいはてりとのギャラリー

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15年04月09日ペンタブ。萩本欽一さん。

2015年04月09日 00時59分43秒 | タブレット絵その他練習摸写習作
15年04月09日ペンタブ。



萩本欽一さんのヒストリーの番組を見た。

島で団子屋をはじめたおじいさん。欽ちゃんのお父さんは三男。期待されていたのに、東京に出て腕試しをしたいと上京。洗濯もご飯もお手伝いさんがやってくれるものだと思っていた生粋のお嬢様と結婚。戦争後、進駐軍相手に中古カメラを売って儲ける。工場を建てカメラを作り出す。だけども日本はアメリカからカメラ用フィルムを作るのを禁止される。かろうじて禁止されなかったある小さいフィルムで当時画期的な小さなカメラを作り出し、売り出す。当時中古で10万だったカメラを、小型カメラを作って3000円で売った。だけども当時は食うにも困る時代、3000円は月給と同じ値段。売れずに工場は倒産。5000万の借金持ちに。でも欽ちゃんの母は愚痴一ついわずに頑張ったそうだ。だけども一家は離散。貧乏な家を助けようと思い、コメディアンになった欽ちゃん。だけども喜んでくれると思った母は訪ねて来た欽ちゃんに「昼間来るなんてみっともない、夜に来なさい!」と言った。育ちの良い母はコメディアンは笑われるとんでもない仕事だと思っていたようだ。すごいショックだったようで、この言葉を言った時の欽ちゃんは見た事も無い位悲しい顔をしていた。

だから欽ちゃんはすごい仕事しまくって、コメディアンの地位の向上にがんばっていたんだなあと思った。
コメディアンは恥ずかしくなんかないんだって、お母さんに認めてもらいたかったんだなあと思った。

でも実は母はテレビに出る欽ちゃんをとても楽しみにして見ていた事が、欽ちゃん宛の出さなかった沢山の手紙の下書きで分かって、それを見た欽ちゃんが言葉を失って、涙をこらえようとするが、目から涙があふれていた。

それから長野オリンピックで司会をやったことがきっかけで母とは和解したそうだ。
オリンピックを見て母は泣いて喜んだそうだ。

最初はこの番組にすごい乗り気じゃなかった欽ちゃん、そんなの面白くないでしょって。最後は涙で一杯の目で、「テレビっていいね」って言ってた。良かったー。欽ちゃん。

あの手紙があったのをみただけで、それだけでもう良かったって。

思えば子供の時はいつも欽ちゃんの番組楽しみにしてたよなあ。ありがとう欽ちゃん。

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