日如上人書写御本尊誹謗を破す
1.元資料
日如上人書写御本尊誹謗を破す
http://toyoda.tv/nichinyosyonin.gohonzon.htm
2.破折対象
匿名誹謗者:フェイク
3.誹謗内容
(1)論証
○御法主日如上人猊下が御認(したた)めの御本尊に『誤字』がある。
・「南無」の「南」の9画の縦棒が上に突き抜けている。
・「奉書写之」の「写」の3画が上に突き抜け、「ワ冠」が
「ウ冠」になっており、「写」が「字」に見える
○書写において誤字を出すとは何たることか。
(2)論拠
a.論拠1
書写するのは戒壇の御本尊であり、書写に置いて誤字が許される
物ではない。
b.論拠2
戒壇様の南の字は第9画が突きぬけていない。
c.論拠3
草書大字典等字典類、及び俗字、略字なども調べたが、日如
(上人)が書いているような「写」は全く見当たらない
著名な書道家(B展審査員?)や中堅僧の発言。
「御本尊のこんな首題は見たことがない」
4.破折
(1)論拠1に対して
a.結論
・「戒壇の御本尊を書写し奉る」という意味が間違っている。
○歴代の御法主上人が唯授一人の相伝の御法門によって本門戒壇の
大御本尊の御内証を拝し、御本尊を御認めになるのが『書写』
○文字を単に写し取ることは「模写」
○邪難は模写を書写と取り違えている。
○書写の定義がこの通りなのであるから、筆勢によって文字が突き
抜けるというのは「誤字」でも何でもない。
○日蓮大聖人御筆の御本尊においても同様の形が拝される。
◎重要なのは「御内証を写し奉ること」であり、そこに置いては
文字がどうであるかは重要ではない。
b.証明
○日達上人は以下の通り「御本尊書写とは、いわゆる写経のようにただ
本門戒壇の大御本尊の御文字(相貌)を書き写す、ということではない」
旨を示されている。
相承を受けて、御本尊をお認(したた)めするのは、けっして面には
「書写」と書いてあるけれども、(※経文をそのまま書き写す、と
いうような)書写の行ではなくして、御本尊造立なのである。
ただただ、その姿を、戒壇の大御本尊にちなんでお書きし奉るから
「書写」と書くだけ。
(『日達上人全集』第2輯第1巻545頁)
○67世日顕上人は「本門戒壇の大御本尊の内証を拝して御認めになる
ことが、御本尊書写である」旨、明かされている。
根本は申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊でこざいます。
その御本尊の内証を拝して御書写申し上げました御本尊が本日ここ
に入仏いたしました。
(第67世日顕上人 S56.4.18 教光寺落慶入仏法要の砌)
○さらには56世日応上人『本門戒壇本尊縁由』にて御教示。
当宗に於て授与する処の御本尊は、一切衆生に下し置れたる此の
御本尊(※本門戒壇の大御本尊)の御内証を、代々の貫首職、一器
の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り、授与
せしむる (日應上人全集』第1巻9頁)
(2)論拠2に対して
a.結論
・突きぬけている事例は大聖人様直筆に置いても確認できる。
・出典は「立正安国会発行御本尊集」
b.証明
元資料中の「樋田氏加筆部分」を参照のこと。
10幅の御直筆御本尊様について画像が提示されている。
(3)論拠3に対して
a.結論
・『草露貫珠 草書大字典』の「寫(=写の旧字体)」の項および
普及版『書体字典』の「写」の項に、線が冠の上から突き抜けた
書体が掲載されている。
・一般誌に掲載された書家の文字も同じ。
b.証明
元資料中の写真①②③
5.まとめ
◎論拠が否定されるので邪難は正当でないと結論づけられる。
6.呵責
○本邪難者は、驕慢謗法の輩の悪口と結論づけられる。
「日蓮の蓮字に点を一つ打ち給う事は、天目が点が一つ過ぎ候なりと
申しつる間、亦一点を打ち給いて後の玉いけるは、予が法門に墨子
(ふすべ)を一つ申し出だす可き者なり」
(聖典380頁)
すなわち、大聖人御筆の御本尊を拝した弟子の天目が、「蓮の字の点が
一つ余分です」と批判めいた発言をしたところ、大聖人はこれを退
(しりぞ)けられさらに点をもう一つ加えられた、と仰せである。
御文字を認めるのは凡身(凡夫即極の凡身)に握った御筆であっても、
御筆をもって顕わされた御本尊は絶対無二の仏の御当体であって、これ
に対し、たとえ弟子であっても、衆生が差し出口をすることを大聖人は
断じてお許しになっておられない。
実際、この天目は後に迹門不読の邪義を構えて異流義の徒となっている。
されば、その批判が「点が一つ過ぎ候なり」であっても、「棒が突き抜け
ている」であっても、いずれも大聖人の御意に適(かな)わぬ驕慢謗法たる
ことは明らかである。
しかして、日蓮大聖人が謗法の輩の過去世を明かして、
「法然(ほうねん)が一類、大日(だいにち)が一類、念仏宗・禅宗と
号して法華経に捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の四字を副(そ)へて
制止を加へて権経の弥陀(みだ)称名(しょうみょう)計(ばか)りを
取り立て、教外別伝(きょうげべつでん)と号して法華経を月を
さす指、只文字をかぞ(数)ふるなんど笑ふ者は、六師が末流の
仏教の中に出来せるなるべし」
(御書581頁)
と仰せられている理に照らすならば、驕慢から異流義化した天目の末流
の者共が今日、池田創価学会の中に出来して、またも御本尊の御文字に
口を差し挟んでいるのではないか?と思われるのである。
まさに過去世からの謗法のなせる業というべきであろう。
1.元資料
日如上人書写御本尊誹謗を破す
http://toyoda.tv/nichinyosyonin.gohonzon.htm
2.破折対象
匿名誹謗者:フェイク
3.誹謗内容
(1)論証
○御法主日如上人猊下が御認(したた)めの御本尊に『誤字』がある。
・「南無」の「南」の9画の縦棒が上に突き抜けている。
・「奉書写之」の「写」の3画が上に突き抜け、「ワ冠」が
「ウ冠」になっており、「写」が「字」に見える
○書写において誤字を出すとは何たることか。
(2)論拠
a.論拠1
書写するのは戒壇の御本尊であり、書写に置いて誤字が許される
物ではない。
b.論拠2
戒壇様の南の字は第9画が突きぬけていない。
c.論拠3
草書大字典等字典類、及び俗字、略字なども調べたが、日如
(上人)が書いているような「写」は全く見当たらない
著名な書道家(B展審査員?)や中堅僧の発言。
「御本尊のこんな首題は見たことがない」
4.破折
(1)論拠1に対して
a.結論
・「戒壇の御本尊を書写し奉る」という意味が間違っている。
○歴代の御法主上人が唯授一人の相伝の御法門によって本門戒壇の
大御本尊の御内証を拝し、御本尊を御認めになるのが『書写』
○文字を単に写し取ることは「模写」
○邪難は模写を書写と取り違えている。
○書写の定義がこの通りなのであるから、筆勢によって文字が突き
抜けるというのは「誤字」でも何でもない。
○日蓮大聖人御筆の御本尊においても同様の形が拝される。
◎重要なのは「御内証を写し奉ること」であり、そこに置いては
文字がどうであるかは重要ではない。
b.証明
○日達上人は以下の通り「御本尊書写とは、いわゆる写経のようにただ
本門戒壇の大御本尊の御文字(相貌)を書き写す、ということではない」
旨を示されている。
相承を受けて、御本尊をお認(したた)めするのは、けっして面には
「書写」と書いてあるけれども、(※経文をそのまま書き写す、と
いうような)書写の行ではなくして、御本尊造立なのである。
ただただ、その姿を、戒壇の大御本尊にちなんでお書きし奉るから
「書写」と書くだけ。
(『日達上人全集』第2輯第1巻545頁)
○67世日顕上人は「本門戒壇の大御本尊の内証を拝して御認めになる
ことが、御本尊書写である」旨、明かされている。
根本は申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊でこざいます。
その御本尊の内証を拝して御書写申し上げました御本尊が本日ここ
に入仏いたしました。
(第67世日顕上人 S56.4.18 教光寺落慶入仏法要の砌)
○さらには56世日応上人『本門戒壇本尊縁由』にて御教示。
当宗に於て授与する処の御本尊は、一切衆生に下し置れたる此の
御本尊(※本門戒壇の大御本尊)の御内証を、代々の貫首職、一器
の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り、授与
せしむる (日應上人全集』第1巻9頁)
(2)論拠2に対して
a.結論
・突きぬけている事例は大聖人様直筆に置いても確認できる。
・出典は「立正安国会発行御本尊集」
b.証明
元資料中の「樋田氏加筆部分」を参照のこと。
10幅の御直筆御本尊様について画像が提示されている。
(3)論拠3に対して
a.結論
・『草露貫珠 草書大字典』の「寫(=写の旧字体)」の項および
普及版『書体字典』の「写」の項に、線が冠の上から突き抜けた
書体が掲載されている。
・一般誌に掲載された書家の文字も同じ。
b.証明
元資料中の写真①②③
5.まとめ
◎論拠が否定されるので邪難は正当でないと結論づけられる。
6.呵責
○本邪難者は、驕慢謗法の輩の悪口と結論づけられる。
「日蓮の蓮字に点を一つ打ち給う事は、天目が点が一つ過ぎ候なりと
申しつる間、亦一点を打ち給いて後の玉いけるは、予が法門に墨子
(ふすべ)を一つ申し出だす可き者なり」
(聖典380頁)
すなわち、大聖人御筆の御本尊を拝した弟子の天目が、「蓮の字の点が
一つ余分です」と批判めいた発言をしたところ、大聖人はこれを退
(しりぞ)けられさらに点をもう一つ加えられた、と仰せである。
御文字を認めるのは凡身(凡夫即極の凡身)に握った御筆であっても、
御筆をもって顕わされた御本尊は絶対無二の仏の御当体であって、これ
に対し、たとえ弟子であっても、衆生が差し出口をすることを大聖人は
断じてお許しになっておられない。
実際、この天目は後に迹門不読の邪義を構えて異流義の徒となっている。
されば、その批判が「点が一つ過ぎ候なり」であっても、「棒が突き抜け
ている」であっても、いずれも大聖人の御意に適(かな)わぬ驕慢謗法たる
ことは明らかである。
しかして、日蓮大聖人が謗法の輩の過去世を明かして、
「法然(ほうねん)が一類、大日(だいにち)が一類、念仏宗・禅宗と
号して法華経に捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の四字を副(そ)へて
制止を加へて権経の弥陀(みだ)称名(しょうみょう)計(ばか)りを
取り立て、教外別伝(きょうげべつでん)と号して法華経を月を
さす指、只文字をかぞ(数)ふるなんど笑ふ者は、六師が末流の
仏教の中に出来せるなるべし」
(御書581頁)
と仰せられている理に照らすならば、驕慢から異流義化した天目の末流
の者共が今日、池田創価学会の中に出来して、またも御本尊の御文字に
口を差し挟んでいるのではないか?と思われるのである。
まさに過去世からの謗法のなせる業というべきであろう。