私が高校2年の夏、小さな頃からかわいがってくれていた祖母が『認知症』という診断をうけました。
それまでも「あれっ」って思う行動は思い返せばあったのです・・・。でもそれも後から考えたらなんですよね~。。。
いつも通ってた道がわからなくなり家に帰ってこなくて家族全員で真夜中まで探し続けたこと、今でも鮮明に覚えています。
母親は自分のせいだと泣き、父親はどんどん認知の進む祖母に怒りを覚え怒鳴り・・・・・。
このままだと家庭が崩壊してしまう。
そう何度も思ったことを思い返します。
ご飯が炊けないといって何度も炊飯ジャーを開け閉めし、食べてないといっては母親を困らせ、少し目を離せば徘徊し溝に落ちて血を流し、玄関から出られないときには二階のベランダから飛び降りたことも・・・・・。
祖母は私たちのことを、息子や孫によく似た他人さん!と言っていました。
当時は今みたいに福祉が充実してなくて、相談できる場所も少なかったし、何より介護は家族がして当たり前!!!という認識が強かった。
私もなにもできない高校生だったから、大好きなおばあちゃんの変貌ぶりと、家族が毎日ギクシャクしていたことに悲しみと不安に押しつぶされそうになっていました。
そんな介護生活も十数年続き祖母は他界しました。
介護生活が長かったためか、母親は祖母が亡くなった後ホッとしたと同時に、もっとこうしてあげれば、ああしてあげればよかったのかとしばらくこぼしていました。
あのころに比べると本当に福祉は進化をとげました。たくさんのサービスを選んで受けることができる。そしてそれが後ろめたいことではないということ。本当にありがたい。
在宅で余生を過ごすこと、それは本当に望ましいこと。だけど介護が理由で家族の『幸せ』が失われてはいけない。
その『幸せ』を守るため明日も仕事がんばるぞぉ(●^o^●)
それまでも「あれっ」って思う行動は思い返せばあったのです・・・。でもそれも後から考えたらなんですよね~。。。
いつも通ってた道がわからなくなり家に帰ってこなくて家族全員で真夜中まで探し続けたこと、今でも鮮明に覚えています。
母親は自分のせいだと泣き、父親はどんどん認知の進む祖母に怒りを覚え怒鳴り・・・・・。
このままだと家庭が崩壊してしまう。
そう何度も思ったことを思い返します。
ご飯が炊けないといって何度も炊飯ジャーを開け閉めし、食べてないといっては母親を困らせ、少し目を離せば徘徊し溝に落ちて血を流し、玄関から出られないときには二階のベランダから飛び降りたことも・・・・・。
祖母は私たちのことを、息子や孫によく似た他人さん!と言っていました。
当時は今みたいに福祉が充実してなくて、相談できる場所も少なかったし、何より介護は家族がして当たり前!!!という認識が強かった。
私もなにもできない高校生だったから、大好きなおばあちゃんの変貌ぶりと、家族が毎日ギクシャクしていたことに悲しみと不安に押しつぶされそうになっていました。
そんな介護生活も十数年続き祖母は他界しました。
介護生活が長かったためか、母親は祖母が亡くなった後ホッとしたと同時に、もっとこうしてあげれば、ああしてあげればよかったのかとしばらくこぼしていました。
あのころに比べると本当に福祉は進化をとげました。たくさんのサービスを選んで受けることができる。そしてそれが後ろめたいことではないということ。本当にありがたい。
在宅で余生を過ごすこと、それは本当に望ましいこと。だけど介護が理由で家族の『幸せ』が失われてはいけない。
その『幸せ』を守るため明日も仕事がんばるぞぉ(●^o^●)