中国には不思議な風俗習慣が数多くあるが、その一つである「纏足」について簡単に考証してみようと思う。
「纏足(てんそく)」(中国語では、缠足chánzú/裹脚guǒjiǎoと言い、纏足をした足を小脚xiǎojiǎo/三寸金莲sāncùnjīnlián等と言う)
歴史的には、諸説あるようだが、五代十国時代南唐の末代君主であった李(在位961-975年)が足の小さな女性を好んだことから始まったという説が有力。北宋時代(960-1127年)以降、華北を中心に普及が始まり、徐々に拡大し、元朝末から明朝初期に最も盛んになった。但し、主に漢民族の間での習慣で、少数民族や女真族(満州族)には、あまり見られない。清朝の時代に纏足禁止令が出されたが、あまり効果がなく、辛亥革命以降、各地方政府が罰則を強化したことにより下火となり、文革時に反革命行為とされたことによってようやく根絶された。従って、現在でも70歳以上の老人で纏足の人が生存している。
女子が3-6歳になったころ、裹脚布と呼ばれる木綿の布で足を縛り、発育を押さえながら整形する。第一段階では親指以外の4本指を内側に曲げ、第二段階では足の甲を縦に曲げていく。約2年かけて整形が完了するが、その後も、3日毎に消毒するなどして生涯にわたって縛り続ける。纏足を施した足はハイヒールのような形状になる。
纏足の風習が流行した理由としては、足の小さいことが女性の魅力・女性美とされていたこと、女性の歩行を困難にすることで貞節を維持しやすくすること、バランスを保つために内股の筋肉が鍛えられ局部の筋肉も発達すると考えられたこと等がある。一時期は纏足を施していない女性には嫁の貰い手が無いとまで言われた。
写真やイラストでもわかるように、決して美しいものではないと思うのだが、このような悪しき風習が最近まで脈々と続いていたことには驚きを禁じ得ない。皆さんはいかがでしょうか?(文責:y)
五代十国以降ということなら、中国四大美女は纏足時代より前。
西施が大根脚だったとか、楊貴妃が大足だったとかいうが、纏足の憂目に遭わなくてよかったよかった。漢民族固有の文化というが、男の身勝手の最たるもの。おそらく、よそに類を見ないこの文化?がなんで漢民族だけに?儒教はもともと男尊女卑のにおいがするが、これが加担したのか?文革批林批孔で纏足を根絶したのは巧名。それにしても、この文化?が日本に移入されなくてよかった。
漢民族には、「男女七岁不同席」「叔嫂不同问」「三从四」等々、男が女を支配するという男尊女卑の価値観がずっと根付いていたので、このような男のエゴがまかり通ってしまったのであろう。
成語に「品头论足/评头论足」というのがあるが、これは女性の器量の品定めをするというのが原意。足の美しさは美人の絶対的な条件、特に小さな足は賛美の対象となった。現在だと「足フェチ」?
私には纏足が美しいとは到底思えないのだが・・・。
纏足ほど極端ではないものの、やはり小足は大足より美しいという共通の価値観、そのためなら女性たちは激痛にも耐えられるのだろうか?
バカの大アシ。
マヌケの小アシ。
丁度いいのはクソダワケ。
以上我が東濃地域の方言でした。
バカの大アシ
マヌケの小アシ
中途半端のロクデナシ
と言っていました。
地方によって言い方が違うとは知りませんでした。
それにしても、足と頭の冴えと関連付けているのはどこも同じ。大足石窟のある重慶市大足県は勿論お釈迦様の方で、馬鹿の方ではない。大の方は、釈迦で救われ、間抜けの方は美女で名誉回復か。纏足美女でない方の。