釜山駅と西面駅の間に歴史館があります、1度目は2011年オープンした年に行きました。
地下鉄,佐川駅から行きます。
駅から北上、少し距離があります。
「支城台公園」
釜山鎮支城ともいい、1,593年毛利輝元が築城した石垣が今に見ることが出来ます。
右下の建物が「朝鮮通信使歴史館」です。
こちらは、公園の入口です。
公園は入らず真っ直ぐ行くと、足つぼコーナーがあります。
2階の入口です。
朝鮮通信使歴史館入口(1F)
通信使の壁の場所は、はっきり記憶がありませんが釜山の何処かです。
慶長12年(1607年)以降、12回にわたり、朝鮮から500人余りの使節団が日本を訪れました。
この頃の日本人の庶民は裸足です。
朝鮮ラッパを吹いてます。
釜山から対馬、そして何ヵ所か港に寄りながら大阪に着き、淀川を船で京都目指しました。
400年前 朝鮮通信使の道
右下の建物が「朝鮮通信使歴史館」です。
こちらは、公園の入口です。
公園は入らず真っ直ぐ行くと、足つぼコーナーがあります。
2階の入口です。
朝鮮通信使歴史館入口(1F)
通信使の壁の場所は、はっきり記憶がありませんが釜山の何処かです。
慶長12年(1607年)以降、12回にわたり、朝鮮から500人余りの使節団が日本を訪れました。
この頃の日本人の庶民は裸足です。
平成29年10月30日(日本時間10月31日)に「世界の記憶」に登録されました。
朝鮮ラッパを吹いてます。
釜山から対馬、そして何ヵ所か港に寄りながら大阪に着き、淀川を船で京都目指しました。
400年前 朝鮮通信使の道
(漢城から日光)
釜山博物館で撮影
釜山博物館で撮影
ユネスコ「世界の記憶」に登録
が共同で申請を行い、「朝鮮通信使に関する記録‐17世紀~19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」がユネスコされました。
平成29年10月30日
(日韓の団体が共同で申請)