たまたま、高校演劇に関する振り返りの機会がありました。
私自身が演劇部のOGでありますが、それはもうン十年も前の事、高校生の演劇大会は影も形もありませんでした。体育館が改修となり、新入生歓迎公演の為、学校近くの公民館の大ホールをお借りしたのが唯一の遠征。高校時代のそんなこんなを思い出していました。
そこから長いながい年月が経って、日立一高演劇部が辿り着いたのは最高峰のステージ、国立劇場。母校ではないのだけれど、本当に泣くほど嬉しかった。
それから3年、作者さんは大学生になり、『白紙提出』のリメイク版「白紙提出'」を完成させました。公演をアーカイブで拝見させて頂きながら、当時の国立劇場でのシーンが頭に浮かんでいました。お、そこはそうきたか。うんうん。
大人になってから、誰かひとりは言いませんか。「今の自分のまま、高校生だったらなぁ」
文字通りそんな願いを叶えてしまえるのが演劇の凄い所ですね。ただその余裕は高校生には無いものなので、やはり「白紙提出'」は「大人になった」高校生でした。大事なものを包むような、温かさを感じました。
話題は変わりますが、先日、市内で高校生達の某発表会がありました。
高校生の高校生たる、のひとつは何だと思います?
偉い人に忖度をしないところ。大人に気を遣わないところ。無防備で率直。その時の発表も実に率直で、観客の大人達は痛い所をつかれて頭を抱えていました。そんな事は無い、と反論した方もありましたが、どんなところが?と質問されてしどろもどろ、なんとか絞り出して乗り切ってましたね。
高校生に子供と言ったら機嫌を損ねてしまいそうですが、概ね高校生辺りが大人と子供の境界線らしいです。となると高校生は子供の限界値なのかもしれませんね。男子とか特に。高校演劇には、そんな境界線上の危うさと子供時代へのノスタルジーが漂います。そして大人に現実を突きつける敏感さ。
なので「白紙提出'」劇中、唯一の違和感はラストの「気持ち悪い」と人と違う自分を蔑み嫌う台詞。この台詞ばかりはあまりに高校生的で、大人の男性の声ではどうにも違う気がしてしまう。演技では如何ともし難いものが、高校生と大人の間にはありますね。なので作者さんは「'」を題名につけたのでしょう。
という訳で、私としては余韻が「うん?」という感じになってしまいましたが、観ている間は色々な事が思い出されて走馬灯状態でした。
そして高校演劇との違い、というか一番の違い。
ネットで投げ銭とか! タイミングよく紙吹雪とか差し入れとかされている方があって、リアルに繫がっているんだな~と感動してしまいました。当日の観客さんだったとしても、参加してるのがすごいのよ。そして高校演劇は部活動なので学校や行政もバックアップしてくれるけれど、大学生は自力なんだな、と改めて気付いたり。お芝居を創るだけでは無くて興行としての成功も大事ですよね。小屋を維持していく大変さもあちこちで聞いています。本当に大変な世の中になってしまったけれど、順応して新しい事を創り出し使いこなして行くのも若い方メインなんでしょう。私はただただ感心するばかりでした。
楽しむ時間、懐かしむ時間を与えてくれて
「白紙提出」ありがとう。
「白紙提出'」ありがとう。
まもなく高校演劇県大会も始まりますね。舞台の幕が上がるのが本当に嬉しい。
「白紙提出'」感想に寄せて、若い皆さんにエールを送ります。
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