あやめの里便り

茨城の演劇、高校演劇情報。茨城県と潮来市近辺の話題。

延方郷校跡

2005-12-20 16:48:39 | 潮来・茨城の歴史

*アド街ック天国23位

『県立潮来高校』はなんと!幕末の新選組筆頭局長、芹沢鴨が若かりし時に通ったとされる延方郷校の跡地に建っています!



潮来高校自体は明治創立の女学校(裁縫学校)がもとになっているので、その歴史に延方郷校が触れられることはありません。
ただ昇降口の前の植え込みに「延方郷校跡」と刻まれた小さな石碑があるのみです。

延方郷校は一般庶民の教育を目的とした学校で、宮本茶村という学者も講義をしたそうです。(講堂が三夜様として『愛友酒造』近くに移築されています)
潮来高校生も先人に習って、びしびし学んで欲しいものです。

さて他に、この地方には潮来郷校、玉造郷校がありました。
こちらは尊王攘夷主義の教育と武術の訓練が中心で、天狗党の乱の時には先駆けとなり、よって追討軍の攻撃を受けて全てを焼失しています。
しかも天狗党に加わった方達は、そのほとんどが辛い最後を迎えたと聞きます。
↑現在『ふるさと館』にて「天狗党の乱に関わる展示」を開催中!

「桜田門外の変」を初め、意気盛んな若者達は事を急いてしまったのでしょうか。
時代の変わり目はまた、人を急かすものなのでしょうか。

路地を、自転車に乗った高校生達がのんびりと帰って行きます。
平和なその風景が、歴史を知るとまた格別な意味を重ねて行くように思えて来ます。

 

 

< ご注意 >

芹澤鴨には「芹澤本家出生説」と「芹澤家分家出生説」があります。

「まちづくり市民劇団●玉造座」では、「芹澤鴨本家出生説」を基に活動しています。

「あやめの里便り」でも同様でしたので、言い切りの文章になっていました。今後、直せる部分は訂正して行きますが、脚本に関わる部分はそのままになっています。(H27,7)


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