あやめの里便り

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筑波山神社

2016-03-21 00:24:19 | 茨城の見所・話題

再訪「筑波山神社」

  

筑波山神社の創建は不詳。本殿は男体山・女体山双方の頂きに鎮座、古より筑波山全体が霊山として崇められて来ました。奈良時代末期から平安時代初期の頃、法相宗の僧・徳一により筑波山寺(筑波山知足院中禅寺)が開かれ、神仏習合が進み、修験道の場として発展して行きました。

江戸時代には、筑波山は江戸の鬼門(北東)に当る為、徳川幕府の祈願所となり庇護を受け、三代将軍家光公により山頂奥の宮・大御堂・春日神社・日枝神社・厳島神社・神橋(しんきょう)・仁王門が再建、新造。1633年、日光東照宮の大造替(1636年)に先立ち完成となりました。

明治時代になると廃仏毀釈で知足院中禅寺が取り壊され、後、同8年に現在の筑波山神社拝殿が再興されました。

    

随神門

「仁王門」として建てられましたが、明治の廃仏毀釈により取り壊されようとしたところを「随神門(ずいしんもん)」として残りました。その時に安置されたのは「倭建命」「豊木入日子命」の像。阿吽の仁王像は、つくば市内の東福寺に移されています。

余談ですが、鹿島神宮は日の出の場所、筑波山神社は日の入りの場所に創建されたと聞いています。「豊木入日子命」正しく筑波山そのものの御名前ではないかと、感動しました。

  

何しろ大き過ぎて全体が写し切れません・・。

  「嬥歌(かがい)・歌垣(うたがき)」の碑

「筑波山神社拝殿」

  

「筑波山神社拝殿」の右手にある「日枝神社」の裏側に回ると、屋根の下の蟇股(かえるまた)に「三猿」の彫り物がある社殿があります。これも日光東照宮の三猿より前に作られました。建物の装飾なので劣化もあり、今の内に是非見て頂きたいとの事でした。

「藤田小四郎の像」

ここでしばし、天狗党の解説をお聞きしました。200名近くがこの辺りの宿屋全てに分宿していたとの事でした。その当時の事はどのように伝わっているのでしょうね。今回は時間がありませんでしたが、余裕がありましたら古くからの宿屋の方にもお話を伺ってみたいですね。

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