瞬く間に2025年に突入しましたね。
歳を重ねると、時間が経つのが本当に早く感じられます。
前回の記事から、すでに7ヶ月が経過しました。
私の運命に大きなうねりが生じているので、Updateします。
1)あれから先方の面接自体は問題なく終えたものの、その後の書類手続きが難航を極めました。
せっかく仕事を頂いても、州免許がなければ臨床活動ができません。
その州免許獲得への私の申請書が、2度に亘って却下されたのです。
理由は、私がレジデント研修を米国で行っていないためでした。
NYCで指導医として15年も仕事しているのに、私の15年以上前の米国でのトレーニング期間が不十分であることを理由に、審査委員会がダメ出ししてきました。
さすがは米国の田舎の人達です。
つまりトランプ氏大好き、かつ共和党が絶対的に優位な州の住民(医師)です。
当然、私のような移民には全く容赦がありません。
2回目の却下を受けて、まさに泣きそうになりました。
「内定までもらっておいて、ここで足止めか。じゃあもう疲れたし、日本へ帰国するかなあ。。」と半ば諦めモードでした。
しかし、先方の上司らによる尽力で、どうにか滑り込みました。
3度目の正直とは、よく言ったものです。
11月下旬に簡単なZoom面接を経て、やっと正式に私のState Licenseが承認されました。
それを受けて、12月末で現職場を退職しました。
退職するにあたり、私の壮行会がいくつも開催されました。
沢山の感謝の言葉、寄せ書き、チョコレート、ウイスキーなどのプレゼントをいただき、本当に沢山の良い同僚に恵まれました。
もちろん職場の全員と上手くやれたわけではありません。
恐らく98%の人との人間関係は良好でしたが、職場の全員と仲良くしようという考えは、とうの昔に諦めましたね。
そして、いよいよ1月末に中西部への引っ越しを控えています。
2月中旬には、新しい職場で仕事を始める予定です。
いわば都落ちのようでもありますが、肩書き上は「教授、および胸部外科ICUの責任者」としての栄転となります。
前職ではICUの指導医とはいえ、将棋の「歩」に過ぎなかったので、今度は「角」または「飛車」くらいには昇格した気分です。
臨床業務はもちろんのこと、厄介ごとも含めた事務的な業務が増えると思います。
それも含めて、Directorとして成長できるのを期待しています。
今のところは、不安と期待が入り混ざった複雑な感情ですかね。
いよいよ次の職場が、私の米国での医師として最終章となります。
今度は米国の片田舎で汗を流そうと思います(いや、冷や汗かも !?)。
さて、どうなりますかねえ。
次のスタートラインに向かいます!
3)息子は、昨春に中西部の大学を卒業し、昨夏から中西部の製造業にて新米エンジニアとして働き始めました。
全米各地への出張を経て、一人でアパートを借り、ベッドや家具の買い出し、車購入の交渉などを進めてきました。
私ならTo do listsが沢山あって慌てふためいてしまうでしょうが、彼は淡々とすべき事を完遂しているようなので、本当に大したものです。
夫婦で「彼は一体、誰に似たのだろうか?」などと、真面目に話しているほどです。
ほぼ完璧なバイリンガルとして、立派に成長してくれました。
LINEで連絡しても全く返事が返ってこないのは、相変わらず困ったものですけどねえ。。。
では、次の更新時にお会いしましょう!!
歳を重ねると、時間が経つのが本当に早く感じられます。
前回の記事から、すでに7ヶ月が経過しました。
私の運命に大きなうねりが生じているので、Updateします。
1)あれから先方の面接自体は問題なく終えたものの、その後の書類手続きが難航を極めました。
せっかく仕事を頂いても、州免許がなければ臨床活動ができません。
その州免許獲得への私の申請書が、2度に亘って却下されたのです。
理由は、私がレジデント研修を米国で行っていないためでした。
NYCで指導医として15年も仕事しているのに、私の15年以上前の米国でのトレーニング期間が不十分であることを理由に、審査委員会がダメ出ししてきました。
さすがは米国の田舎の人達です。
つまりトランプ氏大好き、かつ共和党が絶対的に優位な州の住民(医師)です。
当然、私のような移民には全く容赦がありません。
2回目の却下を受けて、まさに泣きそうになりました。
「内定までもらっておいて、ここで足止めか。じゃあもう疲れたし、日本へ帰国するかなあ。。」と半ば諦めモードでした。
しかし、先方の上司らによる尽力で、どうにか滑り込みました。
3度目の正直とは、よく言ったものです。
11月下旬に簡単なZoom面接を経て、やっと正式に私のState Licenseが承認されました。
それを受けて、12月末で現職場を退職しました。
退職するにあたり、私の壮行会がいくつも開催されました。
沢山の感謝の言葉、寄せ書き、チョコレート、ウイスキーなどのプレゼントをいただき、本当に沢山の良い同僚に恵まれました。
もちろん職場の全員と上手くやれたわけではありません。
恐らく98%の人との人間関係は良好でしたが、職場の全員と仲良くしようという考えは、とうの昔に諦めましたね。
そして、いよいよ1月末に中西部への引っ越しを控えています。
2月中旬には、新しい職場で仕事を始める予定です。
いわば都落ちのようでもありますが、肩書き上は「教授、および胸部外科ICUの責任者」としての栄転となります。
前職ではICUの指導医とはいえ、将棋の「歩」に過ぎなかったので、今度は「角」または「飛車」くらいには昇格した気分です。
臨床業務はもちろんのこと、厄介ごとも含めた事務的な業務が増えると思います。
それも含めて、Directorとして成長できるのを期待しています。
今のところは、不安と期待が入り混ざった複雑な感情ですかね。
いよいよ次の職場が、私の米国での医師として最終章となります。
今度は米国の片田舎で汗を流そうと思います(いや、冷や汗かも !?)。
さて、どうなりますかねえ。
次のスタートラインに向かいます!
3)息子は、昨春に中西部の大学を卒業し、昨夏から中西部の製造業にて新米エンジニアとして働き始めました。
全米各地への出張を経て、一人でアパートを借り、ベッドや家具の買い出し、車購入の交渉などを進めてきました。
私ならTo do listsが沢山あって慌てふためいてしまうでしょうが、彼は淡々とすべき事を完遂しているようなので、本当に大したものです。
夫婦で「彼は一体、誰に似たのだろうか?」などと、真面目に話しているほどです。
ほぼ完璧なバイリンガルとして、立派に成長してくれました。
LINEで連絡しても全く返事が返ってこないのは、相変わらず困ったものですけどねえ。。。
では、次の更新時にお会いしましょう!!