音速パンチかっこよすぎるーー
学校へ行った。
今日校舎の三階から見た夕焼けの広がる吹田の町は一体いつまで変わらないままで、いつから知らない風景になってしまうのか、実はもうすでにさっきみた風景と今こうして見ている吹田の町は変わってしまっているのかとか考えてたらよく分からなくなってきて、とりあえず「さむいねー」と友達に言ってみる。さむい。
世の中の多くの「変化」というのはある日突然劇的にビフォーアフターするものではなくて、徐々に徐々にしかし確実にゆっくりと変わっていくものだと思う。
きっとちょっとずつ変わっていることを、みんな気付いてる。でもちっさい変化には気がつかないふりをしていつの間にか、そんなふりしたこともまた忘れる。記憶は忘れることから始まる。
次に学校に来るのは卒業式の日で、その頃までには吹田の町のどこかのクリーニング屋が閉店し、ピザ屋がオープンし、どこかの工事が200m進み、誰かが生まれ、誰かが星になるかもしれない。そうしたらやっぱり、今日見た吹田の町とは違っていて、でもきっとみんなもあたしも気付かない。振りをする。人の気持ちもしかり。気付かない。のか、気付かない振りをしているのか。
すごく刹那的なことは実は永続的に続くことの伏線かもということ。
「もう何かを卒業するのもこれが最後だね。」と今日友達が言って、誰もいない教室の写真を一枚ゆっくり撮る。
どうしてこんなにメランコリニスタ。