相馬市九条の会

憲法九条、今こそ旬

「70歳のラブソング」

2008-11-06 17:13:16 | Weblog
【催し;コンサート】


「70歳のラブソング」
2008/11/8 (土) いわきアリオス4F 小劇場
         開場 16:30  開演 17:00
         出演 笠木透 と 「雑花塾」


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         「すずき産地」 さんからポスターの写真を拝借。


今週、いわき市で





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【参考】

笠木透 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

笠木 透(かさぎ とおる、1937年 - )は岐阜県恵那市生まれのフォークシンガー。

1937年、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる。岐阜大学卒業後、教員、出版社勤務を経てフリーのフォークシンガーに。1969年から1971年の3回にわたり中津川労音の事務局長として中津川フォークジャンボリーの企画・運営に携わる。

その後、フィールド・フォークを提唱し、テレビ出演などのマスメディアにほとんど頼らない活動を続けて、小さな町や村など全国津々浦々でコンサートを行い、現在に至っている。 1971年、「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)を結成。1985年、「フォークス」を結成し、リーダーをつとめる。フォークス解散後ソロとして活躍する一方、F・F・C(フィールド・フォーク・カルチャー)ユニオンを結成。その後、1994年、増田康記、岩田健三郎、岩田美樹、安川誠、山本忠生らと「雑花塾」を結成、上田達生(山口)、田口修(岐阜)、佐藤せいごう(茨城)、北嶋誠(茨城)、鈴木幹夫(長野)、山本幹子(京都)などのメンバーとともに全国各地で精力的に活動を続けている。「私の子どもたちへ」「あなたが夜明けを告げる子どもたち」「私に人生といえるものがあるなら」「わが大地のうた」などオリジナルは800曲を超える。 2005年の春に、「憲法フォークジャンボリー制作 連根の会」を立ち上げ、全国各地での憲法フォークジャンボリーの開催を呼びかけている。

また、これまでにKBS(京都放送)、東海ラジオ、岐阜放送のDJ、パーソナリティーなどをつとめる。


笠木 透 高石ともや、ナターシャ・セブンと関わりの深いフォークシンガー

●笠木 透
 1937年岐阜県生まれ。全学連、60年安保の洗礼を受ける。中津川労音を通じ高石ともやと出会い、69年-71年の中津川フォークジャンボリーを企画。その後フィールドフォーク運動を展開、71年「我夢土下座(カムトゲザ、COME TOGETHER)」を結成。山登り、川下り、陶芸など、自然と触れあいながらの活動のなかで海、山、川の歌、鳥や野の花の歌を持ち前の荒削りな歌声でやさしく、力強く唄う。
 「フォークソングは(炭坑で危険を知らせる)カナリヤの歌だ」と、85年「フォークス」を結成。チェルノブイリ、天安門事件、長良川河口堰、反原発から障害者まで唄に取り上げ、94年から現在は「雑花塾」(岩田健三郎、上田達生、増田康記、安川誠、岩田美樹ら)で環境、人権、平和をラディカルに歌い続けている。
 一方で、「こんがりここなつ島」ツアーに参加するなど、遊ぶ時も真剣で、「どこかに美しい島はないか」「レイン・ツリー」などのリゾートな歌も手がけている。 最近の曲でベスト5をあげるとしたら、「君よ5月の風になれ」「君が明日に生きる子どもなら」「特攻花」「四万十川」「No!」(次点「流星雨」)。
 「私の子供たちへ」「私に人生といえるものがあるなら」「あなたが夜明けを告げる子供たち」などは、時間をかけ、本物のフォークソングとして今や全国で草の根的に唄われるようになった。ともやさんや北山修さんがマイナーとはいえマスコミにも名を残しているのに対し、笠木さんは徹底して無名のフォークシンガーといえる。 ニックネームはマウンテンゴリラ。
 笠木さんの「戦い取った自由は必ず戦い取られる。自由とは戦い取るものではなく、求め続けるものだ」という言葉は今も私の胸に刻まれている。


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by Ron


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