1年で某国立大首席を目指すブログ

5年生になりました!

ワーカホリックについて

2011-03-27 03:06:12 | 進路(就職活動など)
自分の今後の生活を考えるととても結婚しないだろう。そして友達と土日遊ぶことも少ない、趣味は2chとニコニコ動画、アニメ、マンガ、旅行。

大した生きがいもない。

だからもしかしたら土日出社、終電まで残業とかがあったほうがイキイキと生活できるんじゃないかと思った。

要は何が重要かである。一般には土日休み、残業なし、若いうちから責任ある仕事をできる、会社に意見が言いやすい(風通しが良い)、というのは会社のアピールポイントとなっている。

本当にこれらはいいのか考える必要がある。

正直「若いうちから責任ある仕事をできる」と「会社に意見が言いやすい」はあまり良さが理解出来ない。

部活動などでは部長、副部長など一部のまとめ役+ヒラという構図でランク付けされることがあまりない。そのためいわゆる平社員の惨めさがあまり理解出来ない。また私はヒラの方であり、人の上にたってまとめたりとかしたいとあまり思わない。権力なんて欲しくない。

いままで学校教育ではやれと言われたことをやってきた。学校では教師が絶対であり、意見をいうことなど皆無である。そういった中で育ってきて「上司に意見が言いやすい」「風通しのいい会社」という良さがあまり分からない。いままで学校では理不尽、非効率なものを感じてきたからそういうものに意見が言えるということだろうか。

就職ガイダンスなどでこういったことをレクチャーした方がいいように思うし、企業も説明会で説明すべきだと思う。


笑顔と無表情に関する考察

2011-03-27 02:47:56 | 精神病棟
なんとなく知ってたけど、自分は非常に表情が乏しいらしい。それに気づいたので考察

現状理解

 自分は他者に比べ、他人への興味が薄い可能性がある。その他、生活の中で感動(大層なものではなく心の動き)が少ない。そのためか表情が乏しい。

評価

 現状の自分への評価。無感動、無表情なことは世間一般では悪い印象を持たれている。それは妥当か。

 まず笑顔と無表情の相違。笑顔は他人にあんしん感、たのしい気持ち等をあたえる。また無表情は不快感を与える。そのため職場であれば笑顔は仕事の能率を上げたり、飲み会では場を楽しませる盛り上げたりする効果がある。

 それゆえ他人を引っ張っていく、場をまとめるのに笑顔は必須である。

 また、その他大勢の人も場の空気を悪くさせないため笑顔でいることが望ましい。

まとめ

 他人を引っ張っていく、その場のリーダーは笑顔ができる。また無表情は他者に不快感を与えるため嫌われる。リーダーは発言力があり、自分も笑顔ができるのでできない人を非難し大衆意見となる。

反論

 笑顔は他人を楽しませるというポジティブな評価を述べたが必ずそうなのだろうか?

反論考察

 例えばあんまり何かにやる気のある人を見ると私はげっそりするし、笑顔はポジティブな面だけではない。

 ただそれも無表情は私をげっそりさせない、という消極的なよい評価であり、無表情が人に何かを与えたわけではない。無表情に価値はないのか?具体的に思いつかないので今後の課題としたい。
 

歴史的な考察
 例えば、戦時中の天皇陛下の肖像画は軍服に引き締まった表情であった。またTVなどで見る将校の写真も引き締まった表情である。おそらく戦時中でも小学校の遠足の写真(この時代一般に普及してたかは知らない、もしあったとしたら)は笑っていただろうが、引き締まった姿というのが写真として一般的だったのではないかと思う。

 それが現代では就職用の証明写真を会釈で撮る。旅行などの写真は満面の笑みが基本である。そこには威厳や逞しさがよしとされた戦時中とやさしさ、親しみやすさがよしとされる現代という価値観の違いがあるのではないか。
 


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2011-03-24 11:43:12 | ケイタイから
会社選びについて

リクナビなどの就職サイトで入社の理由として、会社の雰囲気を挙げている方が多い

数十名~百名くらいの会社ならいざしらず、社員が万単位の大手に会社の雰囲気というのはあるのだろうか。

たとえば自分の大学の雰囲気を考えてみると、「おとなしい人が多い」と内外の人が時々言う。

自分はあまりそう思わないが、他大に行かないのでよく分からない。そうだとしておこう。

だが入社理由で会社の雰囲気を挙げている人は「活気があって自分が成長できる」、「上下の壁がなく誰とでも気軽に話せる」などを挙げている。

うちの大学は活気があるのか?教授と気軽に話せるのか?

仮に学会の論文発表数やら教授が学生の相談・質問に答える時間(なんかそういうのが制度としてある)とかで活気やた気軽さが測れたとして、個々の教授を見れば気難しくてあんまり相談乗ってくれない人といつでも来いって人がいる。やはり雰囲気ってのは外面だけでケースバイケースがほとんどではないだろうか。

ただ企業と大学を一緒のものではない。

企業は利益を追求する団体であるから、個々が勝手に研究している大学よりまとまってると言えるかもしれない。

よく言われるのが仕事はひとりじゃ出来ないということだ。

チームで動く分、その団体の色というのが明確になる可能性はある。

ただ気軽に話せるかというのは話しかける側の問題も大きいので一概に言えないものであるはずだ。

同じ相手でも内容によって言い辛いこともある。


つまり雰囲気とか入社、配属されないと分かんなくね?そして人によって捉え方違うよねって話。

ひとりごと

2011-03-24 11:37:06 | ヒトゴト、ヒトコト
他人を理解することがよいことだとしたら、

他人の理解出来ないところを根掘り葉掘り聞き、理解出来ないことを軽蔑するよりも、

そういう人もいるって流したほうがいいだろう。

だいたいあんたに説明してやるほどボクはお人好しではないし

あんたに嫌われようがしったこっちゃない。

ただ親切心で多少説明してあげるだけだ。


同窓会行ってきたよ

2011-03-13 01:26:23 | 日記的なやつ
知り合いが続々と出席キャンセルする中、同窓会が予定通り行われるということで行ってきました

部活同じだった人数人しか話す人がいなかったのですが、部活同じやつ+先生+αでなんとかボッチにならずに済みました

4年ぶりの人が多く、就活の話題などで盛り上がり、楽しい時間でした。

同じ業種内定貰った人から話し聞いたりして、少しやる気出ました。

ブログタイトル

2011-03-09 01:55:43 | ヒトゴト、ヒトコト
来年のブログタイトルどうしようかね。

0年で内定を目指すブログ・・・か?


『映画は予告編が面白い』

2011-03-08 00:41:36 | 進路(就職活動など)
2冊ほど本読んだ。
『映画は予告編が面白い』
映画の予告編を作ってる方のお仕事紹介的な新書。

『映像技術者になるには』
テレビ業界、映画業界のおはなし。

映像業界は拘束時間など仕事きつそうだ。

映画関係で働きたいと思ったりもしていたが、ちまちました下積み(平均で3,4年らしい)を耐える自信は正直ない。また厳しい縦社会だそうだ。落ち込みやすい自分としてはこのへんもきつそうである。


劔岳 点の記 レビュー

2011-03-06 02:09:01 | 評論
上映しているとき(2009年)から気になっていた『劔岳点の記』を借りてきて観た。

全体としてあまり面白くなかった。

まず山登りの無言のシーンが多く、人間関係、心情の変化などが十分に表現されていなかった。

測量部と山岳会(ライバル関係にある)がなぜ最後に“仲間”とお互いを認め讃え合ったのか、また測量部内での仲間意識の芽生え、特にノブが他の人と仲良くなるところなどがあまり描かれておらず唐突に感じた。

また映像に関しては滑落するシーンで明らかにワイアーを使っているとわかる落ち方をしていたり、合成だと人目でわかるシーンが見受けられた。また悪天候の中登山しているにも関わらず衣服が綺麗である点も不自然であった。
合成やワイヤーは数シーンであり、それ以外の撮影ではどうとったのか検討がつかない素晴らしいシーンが多かった。他に足跡のない雪原を進むシーンや絶壁のシーンなど相当力が注がれていた。

次に演技についてであるが、メインの人以外の発音に一部現代的な言葉遣いと思われるものがあった。このころの言葉について大した知識はないが、昭和40年にこれほど現代と変わらぬ発音だったのかやや疑問である。



tes

2011-02-24 00:58:26 | 精神病棟
この1年はしんどかったし、つらかった、いろいろ悩んだ

もうめんどいのでこのぐらいにしときます

卒論終了

2011-02-22 01:29:51 | 精神病棟
卒論の発表が終わりました。肩の荷がひとつ降りました

大学生活を振り返ると、全体的にやらされてた感があります

講義も9割は作業ゲーで、留年しないためだけに朝のラッシュに揉まれて通っていました(1限からの講義が週に半分はありました)

大して興味のないし、単位取得が難しい講義もちらほらありしんどかったです

また友達関係については、特に2年頃までは上辺だけの付き合いといいますか、距離感を測りかねていたように思います。いまでは胸をはって友達と言える人がいますが価値観の違いという言葉を身を持って思い知らされました。話す人はいるが孤独感のある関係でした

サークルやバイトも続かず、人間関係を構築するのが下手だと思い知らされました。これは就職への不安を増大させるものとして現在も課題です
その原因として意識して他人との会話を盛り上げるということをこれまで行って来なかったこと、そしてそれに気づいてからもその努力をしていないことがあります。
これほど友達関係が希薄な自分ですが、友達や恋人は精神的に強く結ばれており、上辺だけの言葉などは不要であると考えています。というかそういう関係が理想だと考えているわけです。そのため友達と一緒にいて会話が途切れても不快に思わないですし(一部例外もあります)、無言の緊張感を楽しめるのです。
ただこの考えは揺らぎつつあります。特に4年になってから、先生や先輩が上辺だけの、明らかに上辺だけの言葉を遣っている場面を見かけ、初対面などまだあまり親しくない間柄において、それが相手にも上辺だけだと悟られるものであったとしてもそれはコミュニケーションを成立させるものであって必要なのかもしれないと気づいたからです。
ただバカ正直な自分としてはそういった上辺だけの言葉は出来るだけ使い・・・・いえ・・・ここまで書いて気づきましたが私はそういった上辺だけの言葉をよく用いておりました。特に就職活動や、研究室で目上の人への会話など特に美味しく感じなくても「これおいしいですねー」といったり、ect...

ただこれは先に述べた先生が初対面の人へつかう上辺だけの言葉と違う部分もありそうです。先生は相手とのコミュニケーションを促進させるために積極的に用いていますが、自分の場合はある種強迫観念に基づいております。(先輩に奢ってもらったのだから美味しいと言っとかないと駄目だ・・・など)

ここで私を縛るこういった悪い意味での常識についてもう少し触れておきたいと思います。
これも大学に入ってから、特に3年、4年で気になりだしたことですが、私がもつ、世間の常識というのはかなり視野が狭いものということです。そして私は馬鹿正直なためそれに強く縛られているとしばし実感します。

例えば先程の「留年してはいけない」とずっと考えていたこともその一例です。これは常識としてはかなりの人の賛同を得られそうではあります。ただ自分は他の人より幾分留年しないことに対して強迫観念がつよく、「~してはいけない」と思うと、もししてしまったときどう持ち直すか、といったことについて考察する余裕がないのです。これは今後問題になってきそうなので改めたいと思います(どうやりゃいいのかわかりませんが)

次に自分の感情について述べておきたいと思います。
私は元来、無口な方でしたので大学入学以前も感情がやや薄いとうことがあったかもしれません。
また持論の一つとして、サザエさんの中でカツオが父さんの機嫌のいい時におねだりをする、ことが度々あったと思います。お父さんが機嫌によってそれを許可していたかは記憶が定かではありませんが、私は「機嫌(感情)によって価値判断が変化する」ということは悪いことだと思っています。人は理性を持った存在であるべきと考えますが、機嫌によって価値判断が変化するのは全くその逆を行くものです。
また普段テンションの低い私ですが、その普段を知ってる人の別の一面を見せたくないのです。これは仕事場で、孫にデレデレな自分を見せたくないといったイメージです。なにかプライドのようなものがそれを許さないのです。そのためまれに起きるテンションの高い自分を隠すことがあります。テンションの低い自分が気に入ってるわけではないのですが不思議なもんです。
ちなみに常にテンションを高く維持する(この方が気さくでいい人になれそうです)こともあり得る訳ですがそんなもん維持する器用さを忍耐を持ちあわせておりません。
また突発的にテンションが低くなりすぎないよう、他人に無関心、無感動な方向に行った気がします。

他人に無関心というのは先程のあまり親しくない間柄での会話でけっこう効いてきます。他人に興味がないから特に話したいこともないし、だから努力もしない。人としてヒデェ・・・。

あと、大学生なんだし一応恋愛とかについても触れときますと、高校時代同様、好きな人というのがいない状況です。これは単純に異性と交流する場が少ないだけかと思います。


なんだか大学生活の振り返りから話がずれた気がしますがとりあえずこんなとこにしときます。