酒とジャズと草刈の日々 第3弾です。

飛行機大好きおじいさん です。
出雲市内です。畑やビッグバンド ジャズバンド活動をしています。

集落の道掃除です。

2024-07-08 19:50:28 | 日記

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 昨日7日は 晴天で山中でも30度でした。

恒例の 道掃除 草刈です。

 道の両側は 草が伸びるので

草刈り機で刈る人、それを集める人

側溝に溜まる 土や葉っぱを掬い上げたり。

8時から昼前まで 7人から8人に分けて

あちこち 韓竈神社方面も。

 側溝も深く 小石も有るので

若い人がやってくれて助かります。

 私は、竹ぼうきの ちょっと

高い450円もので集めます。

 安い物とは 大きな差が有ります。

良くかき集めてくれます。

これはいい。

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 80超えても達者な方もいますが

やはり、側溝となると

腰の丈夫な若い人に

感謝です。

 


親族を送る。

2024-06-21 18:41:47 | 日記

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 出雲の梅雨入りは いよいよ明日22日らしいです。

近年はしとしと梅雨ではない様子。

土砂降りは 山や崖が多く孤立が

心配です。

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今年は 節分に義母を90半ばでおくり、

先日は 義兄を送りました。

 70歳も後半でしたがやはり

残念でした。

 カープの大ファン、夫婦で

良く 球場へ出かけた。

 

悲しくても 腹は減る。

松江の 仕出しは上品でした。

 今頃 カープが頑張っているから

私も 中継を見て 手を叩いていますが

あの世で 兄は喜んでいるだろうと

親戚で話していました。

 


ジャズコンサートとやはり畑の草刈。

2024-06-04 09:48:23 | 日記

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 出雲は少し雨が降ったり

陽が差したり 22度ぐらいで朝晩は肌寒いです。

 先日は 友人の主催される ジャズライブへ。

プロですから 心揺さぶる至福の時でした。

 そして、お話が 楽しい ジョークが溢れていました。

 ジョークが話せるのは 演奏に自信があってこそです。

わたしなど、お客様の前でどきどきです。

 次は ブログタイトルの通り 草刈りの季節になりました。

 野菜を植えていた 畑も 草がぼうぼう。

特に カヤが 太くなってきました。

畑2枚のうち ジャガイモ植えていたところと

トマト 少しネットで囲った場所でさえ、

見るも無残 怪我で2年 放っていました。

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 写真は 昔です。このような 野菜作りに楽しんでいた畑。

  手作りの醍醐味ですね。

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 さあ 草刈りだ。

 写っている五右衛門窯 子供のころから

焚いて 風呂に入っていた釜は

水やり タンクで重宝。

 多分 何もできないだろうが 

腰が安定したら 百姓魂に 火が付く。 

 それより草刈は 気分爽快 これです。

 

 

 

 


唐川新茶祭りは晴れました。

2024-05-27 10:38:36 | 日記

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 5月26日はお天気に恵まれ

暑い日差しの中 新茶祭りでした。

 沢山のお客様で賑わいました。

 部落 ほぼ総出と県内外の

ボランティアの皆さんのおかげです。

 この山の先に 全国区になった

韓竈神社 かんかまじんじゃ 

氏神さんが有ります。

補助金 山村僻地事業 産物販売 と文化 神楽伝承上演事業

の会館。

 メインは 煎茶 と 番茶 です。

 抹茶を混ぜた 茶餅は

薪で蒸して慣れたもの。

 高齢者は かまどで飯を炊いた。

私も焚いていた。

 若者の 役目 餅つき これがえらい きつい。

 本格餅つきで 大人気。

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他にも 沢山 店を出しました。

 ついでの写真は会場内 ミュージック用音響。

これは選曲から CD作成までわたくしの担当。

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この収益で 部落の 会計を補います。

 健康に煎茶も 珠には 飲んでください。

 

 

 


カトリック教会へ行きました。

2024-05-20 20:11:33 | 日記

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 今日の出雲は快晴でした。

26日までは続いてほしい。

姉が2008年に亡くなり

それがきっかけで上京したり

カトリック教会を知り

今日は命日なので出雲の教会へ

お参りしました。

礼拝堂では

イエス様を表すステンドグラスが

後ろからの強い西日で

荘厳であり畏怖をも感じた。

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姉が なんとなく

あんた ちゃんとしてる と、

言ってる気がして

何かしら落ち着かなかった。

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姉は弱視であったため

上京し 点字出版所や

ヘレンケラー協会で

仕事をしました。

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そのころ知り合った方が

目の見えない児童を

日本に呼び 筑波の学校で

日本語と針きゅうの資格を取る

お手伝いをし、帰国後

自活できるようされていた。

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その後 支援協会を作られ

姉もアジアからケニア迄

30年行き来しました。

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姉が亡くなってから

姉の活動を詳しく知り

何か出来ることはないかと

これは絶対に自慢ではありませんが

アルミ缶を集めて届けたり、

施設へバンドの仲間に

声を掛けたら皆さんが

喜んでクリスマス会の演奏に

出かけてくれます。

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すこし 姉への詫びをしている

つもりです。

どうかな。

 東京から バンド仲間迄

ありがたいご縁に感謝します。

 

 

 

 

 


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