町家の日のイベントで、3/9 飾磨ひろめ隊まちあるきに参加しました。
飾磨駅に集合し、向島橋を渡り 御船役所跡碑(池田輝政によって創設された姫路藩水軍基地〜ブラタモリで紹介された) 今村家住宅 有本芳水生家跡 御茶屋跡碑を見学しながら 飾磨街道を南へ。
銀の馬車道終着点の 飾磨津物揚場跡に。
レンガの建造物が浅田貞次郎翁(生野鉱山の発展に尽力し、浅田化学工業を興した)の像と共に残されています。
そこから、西に進み 明治時代に醤油醸造業を営んでいた妻鹿家住宅ヘ。
次に 浜の宮天満神社へ。
北陸の北前船主5名が奉納した神牛があります。
江戸時代から 北前船による海産物問屋の中島家住宅。軒瓦に家紋 樋に「利」の文字が入ってます。
その斜め向かいには 築約130年の町家をリノベーションし、民泊として来週オープンする じょんのやどさんがあります。
ご主人は海外 奥様は東京の方とのこと。外から見た方が この地域の良さが よく見えてるのでしょうね(*´ω`*)
浜国(R250)沿いに出て お米を保管していた御蔵跡を見て 恵美酒宮天満宮へ。
本殿内に 神護丸(姫路藩が建造した西洋帆船の御用船)の絵馬が掲げられてます。
その後 御幸橋を渡って 元料理割烹丸安さんへ。
川の右側が丸安さんの外観。 奥に見える赤い欄干の橋が 御幸橋。
御幸橋は 985年花山法皇(大河ドラマ 光る君へに登場している)が書写山に行くときに 通った道。
丸安さんの玄関通路。
二階の 大広間。
床柱が 凄かったです。
天井も 網代になっていて美しいです。
二階の窓からの眺め。
御幸橋から 恵美酒宮天満宮方向の眺め。
何とも 風情があって 良い感じです。
何とか 上手い具合に 保存再生されるといいですね~(. ❛ ᴗ ❛.)
翌3/10は 船場城西地区の名建築を訪ねる まち歩きに参加。
姫路駅に集合して スタート。
まずは 旧今井医院(旧国立銀行跡) 大正6年頃に建てられた煉瓦建築。
切妻面上部に天秤のようなレリーフ装飾があります。
初井家住宅
初井家は江戸末期から明治にかけて 両替商を営んでいました。
歌人初井しづ江の婚家。
主屋の西側は3階建てになっています。
現在は保存活用に向けて 模索中とのことです。楽しみです(*´ω`*)
船場御坊(創建1618年)
以前は 船場御坊楽市に行ってましたが、コロナ以降 足が遠のいてました。
久しぶりに見た 本堂は やはり屋根が立派で 風格があります。現本堂は火災後の1718年に再建。
右手前には、最近 改修工事を終えた 大玄関。
満開の杏の花
境内の奥に 明治天皇が宿泊の為に使用された行在所(あんざいしょ)があります。
銀の間と金の間があり、金の間には 玉座が残されてます。
本堂 妻側には 見事な木のレリーフがあります。
旧藤森家住宅
藤森耳鼻咽喉科(2019年閉院)元院長 藤森春樹氏の父 眞治氏が昭和15年に本館等を建築。設計は海老原一郎氏。
モダンな洋風応接室に 大きな火鉢。
デザインに直線を多用。天井の木材は あえて きれいに鉋がけせずに塗料を塗り 後で拭き取るという仕上げがなされています。
天井の角には 換気の為の穴があけられています。(火鉢を使うため)
座敷は 南側と西側をL型に開けて お庭の景色を楽しめるよう 考えられています。
中二階にある トイレと洗面所。天井に 網代が使用されたり まるで茶室の設えのようです。
客人を迎えることが多かったからでしょうとの解説でした。
レトロで可愛い タイル貼りの洗面所。
2階の廊下の天井。
2階から見下ろした お庭。うっそうと木が繁っていたのを 姫路市の担当者や船場城西の会の方々が、草刈りや掃除をして、私達 一般市民が見学できるよう 整えてくださったとの事です。ありがとうございます。◕‿◕。
右側が待合 左側が西方庵と名付けられた茶室です。
茶室は 全面竹簾の船底天井。
待合の外観。
最後に 東行き2号線沿いの 綿屋さんへ。
近年は 海外から 藍染体験に来られるお客さんが増えてるそうです。
今回のまち歩きは 参加者が とても多くて 主催者の方々 うれしい悲鳴だったかもしれません。
参加する側としては、人数制限してもらって、ゆっくり解説が聞きたかったです。
でも、貴重なものを 特別に見学でき、良かったです。
飾磨駅に集合し、向島橋を渡り 御船役所跡碑(池田輝政によって創設された姫路藩水軍基地〜ブラタモリで紹介された) 今村家住宅 有本芳水生家跡 御茶屋跡碑を見学しながら 飾磨街道を南へ。
銀の馬車道終着点の 飾磨津物揚場跡に。
レンガの建造物が浅田貞次郎翁(生野鉱山の発展に尽力し、浅田化学工業を興した)の像と共に残されています。
そこから、西に進み 明治時代に醤油醸造業を営んでいた妻鹿家住宅ヘ。
次に 浜の宮天満神社へ。
北陸の北前船主5名が奉納した神牛があります。
江戸時代から 北前船による海産物問屋の中島家住宅。軒瓦に家紋 樋に「利」の文字が入ってます。
その斜め向かいには 築約130年の町家をリノベーションし、民泊として来週オープンする じょんのやどさんがあります。
ご主人は海外 奥様は東京の方とのこと。外から見た方が この地域の良さが よく見えてるのでしょうね(*´ω`*)
浜国(R250)沿いに出て お米を保管していた御蔵跡を見て 恵美酒宮天満宮へ。
本殿内に 神護丸(姫路藩が建造した西洋帆船の御用船)の絵馬が掲げられてます。
その後 御幸橋を渡って 元料理割烹丸安さんへ。
川の右側が丸安さんの外観。 奥に見える赤い欄干の橋が 御幸橋。
御幸橋は 985年花山法皇(大河ドラマ 光る君へに登場している)が書写山に行くときに 通った道。
丸安さんの玄関通路。
二階の 大広間。
床柱が 凄かったです。
天井も 網代になっていて美しいです。
二階の窓からの眺め。
御幸橋から 恵美酒宮天満宮方向の眺め。
何とも 風情があって 良い感じです。
何とか 上手い具合に 保存再生されるといいですね~(. ❛ ᴗ ❛.)
翌3/10は 船場城西地区の名建築を訪ねる まち歩きに参加。
姫路駅に集合して スタート。
まずは 旧今井医院(旧国立銀行跡) 大正6年頃に建てられた煉瓦建築。
切妻面上部に天秤のようなレリーフ装飾があります。
初井家住宅
初井家は江戸末期から明治にかけて 両替商を営んでいました。
歌人初井しづ江の婚家。
主屋の西側は3階建てになっています。
現在は保存活用に向けて 模索中とのことです。楽しみです(*´ω`*)
船場御坊(創建1618年)
以前は 船場御坊楽市に行ってましたが、コロナ以降 足が遠のいてました。
久しぶりに見た 本堂は やはり屋根が立派で 風格があります。現本堂は火災後の1718年に再建。
右手前には、最近 改修工事を終えた 大玄関。
満開の杏の花
境内の奥に 明治天皇が宿泊の為に使用された行在所(あんざいしょ)があります。
銀の間と金の間があり、金の間には 玉座が残されてます。
本堂 妻側には 見事な木のレリーフがあります。
旧藤森家住宅
藤森耳鼻咽喉科(2019年閉院)元院長 藤森春樹氏の父 眞治氏が昭和15年に本館等を建築。設計は海老原一郎氏。
モダンな洋風応接室に 大きな火鉢。
デザインに直線を多用。天井の木材は あえて きれいに鉋がけせずに塗料を塗り 後で拭き取るという仕上げがなされています。
天井の角には 換気の為の穴があけられています。(火鉢を使うため)
座敷は 南側と西側をL型に開けて お庭の景色を楽しめるよう 考えられています。
中二階にある トイレと洗面所。天井に 網代が使用されたり まるで茶室の設えのようです。
客人を迎えることが多かったからでしょうとの解説でした。
レトロで可愛い タイル貼りの洗面所。
2階の廊下の天井。
2階から見下ろした お庭。うっそうと木が繁っていたのを 姫路市の担当者や船場城西の会の方々が、草刈りや掃除をして、私達 一般市民が見学できるよう 整えてくださったとの事です。ありがとうございます。◕‿◕。
右側が待合 左側が西方庵と名付けられた茶室です。
茶室は 全面竹簾の船底天井。
待合の外観。
最後に 東行き2号線沿いの 綿屋さんへ。
近年は 海外から 藍染体験に来られるお客さんが増えてるそうです。
今回のまち歩きは 参加者が とても多くて 主催者の方々 うれしい悲鳴だったかもしれません。
参加する側としては、人数制限してもらって、ゆっくり解説が聞きたかったです。
でも、貴重なものを 特別に見学でき、良かったです。