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映像の世紀 〜 ムッソリーニ,ヒットラー,スターリン3独裁者, パリ,ニューヨーク,ベルリン 〜

2021-01-31 04:44:49 | 日記

ファシズム(全体主義?)は,ムッソリーニによってミラノで発足したファシスト(=結束する者)に端を発し,ヒットラーやチェコスロバキアの チャウシェスクが冒頭で紹介される。

ヒットラーは,第一次大戦後クーデターに失敗・服役後,ミラノを訪れ国民を魅了させるムッソリーニのやり方を研究し,後に共産党員を投獄した。

当初ムッソリーニはヒットラーを道化師と称していこと,レーニンはスターリンを後継者として粗暴がゆえ不適格と見ていたとは面白い。その結果トロツキーが引き継いだが,スターリンはトロツキーの成功を讃える映画からそのシーンを抹消させたという。

当時ファシズムの可能性について,チャーチルは議会制民主主義は民意を反映せず限界を感じており賞賛していたことや社会主義者 バーナードショーもはじめは理解者だったとは興味深い。ただし,数年後ナチスとソ連は敵対するのだから真意は分からない。

その後,最愛の妻を亡くしたスターリンは近しい人に対して不信に陥り,次々に無実の者を侵略国のスパイ等の名目で粛清を行なっていった。

その後,独ソ不可侵条約締結後,ポーランド侵攻等の後ドイツはソ連に侵攻し4000万人もの犠牲者を出したという。

19世紀末に建造されたエッフェル塔が当時国内では無用の長物とされたこと,ヒットラー政権時に大パリ都市圏軍事総督に任命され8月9日にパリに着任し,パリ市死守または破壊するというヒトラーの命令を無視したコルティッツ,ベルリンの世界首都構想を受けた若き建築家で後に軍需相となったシュペーアの証言,戦後 パリで豪華な女性服を発表したデザイナークリスチャン ディオールがパリでは非難され米国で賞賛されたこと,ベルリンの壁崩壊後 東ドイツの少女メルケルの言葉,エンパイヤステートビルの建造と日本企業買取と若き不動産王トランプによる買い戻し等を示す映像が流された。

 

最後に生き残ったのはスターリンのみで,その後毛沢東等との連携が描かれている。

(注: 社会主義国とは,狭義にはマルクスレーニン主義を掲げる国家、広義には社会主義的諸政策を推進している国家である。)

それらは一般には知られていない事実ではあろうが,現在NHKも中国や韓国系資本の影響を受けていることを考慮すると,世界中どこでもみられる誰か知らぬ人の命を受けたプロパガンダとも考えられるため要注意である。

(20世紀前半に日米等で暗躍したコミンテルンとは,スターリンがボスだということになろう。)


和室前のリフォーム中の庭が姿を現してきた

2021-01-30 18:00:23 | 日記

和風の庭はネット情報も近隣世帯もほぼ西洋化していて事例が少ない。

 

庭師さんに一任していた和室前の庭が,昼にランチに出かけて帰宅すると灯籠,石,低木の赤い花,踏み台の飛石,手前の玄関前との仕切り等目を見張る景観になっており,門扉前から玄関までの洋風アプローチに加えて和室前の雑木林が圧巻の和風庭園に生まれ変わりつつあり久々に感動した。


反知性主義(anti-intellectualism)について

2021-01-28 17:43:00 | 日記

近年,「反知性主義」という言葉が日本でも使われているようである。誤用されているとも見聞きする。

 

発端は,米国のRichard Hofstadte, ” Anti-Intellectualism in American Life (1963)“の邦訳が2003年に出版されて以来のことらしい。その後日本では色々な意味で使われているようなので森本あんり氏の「反知性主義 ー 熱病の正体 ー」(電子版)を購入し早速緒言と結語を読んでみた。

「反知性主義」はAnti-Intellectualismの訳語としては妥当でしょうが,きわめて誤解を招きやすい言葉であり,日本では少なくとも実態にあった別の用語の必要性を感じる。

 

”Anti-Intellectualism in American Life (1963)”を著した Richard Hofstadterは一時期は共産党員のインテリ学者で本書の冒頭には「赤狩り」の言葉も見受けられる。

元来,”Anti-Intellectualism”はヨーロッパ人が米国の建国以来の米国に使った言葉のようで,だとすれば米国で始まった哲学 プラグマティズムと密接不可分の概念と考える。既に米国で情報開示されたはルーズベルトの日米開戦を仕込んだ言動やハルがコミンテルンであり議会承認を得ないまま書いた「ハルノート」の謎に誰か迫って欲しいものだ。

 

ここまでくると,先般,赤旗で報道された日本学術会議問題(特に選出されなかった6名の破廉恥な言動)を想起する。

左翼の人は一般に論理的ながら真実の一部切り取りやマスコミの偏向報道に似た言い回しを使い教科書まで影響を及ぼす。例えば有名な南京大虐殺をはじめ歴史教育を捻じ曲げてきた。

 

そもそも西洋文明にキャッチアップするための欧米語の日本語訳は明治の西洋化~昭和の高度経済成長期までは奏功したと考えるが,その後は足枷になったとのではなかろうか。失われた〜年の正体かも。

 

森本あんり氏によれば「反知性主義」の名付け親は『Anti-Intellectualism in American Life (1963),邦訳:アリカの反知性主義(2003年)』を著したチャールズ・ホフスタッターで『単なる知性への反対というだけでなく,もう少し積極的な意味を含んでいる。というより,ここまで使用法が広がってしまった今ではとても信じられないことかもしれないが,本来「反知性主義」は,知性そのものではなくそれに付随する「何か」への反対で,社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だったのである。』と述べている。また,佐藤優氏は「実証性や客観性を軽んじ,自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義し,教育社会学者 竹内洋氏の「社会の大衆化が進み,人々の感情を煽るような言動で票を集めるような政治家が現れたことに反知性主義の高まりを見ている。」とのことだが要するに日本では定義が曖昧ということだ。ただし,共通しているのは単なる無知や知性を否定する言葉ではなさそうである。

 

私に言わせれば,米国では権威主義の否定(ミシガン大に留学経験をもつ京大の升田教授による指導)や自分の頭で考え感じることの大切さ(自説)を指しているように私には思える。

 

そもそも元来,”Anti-Intellectualism”は米国の建国以来ヨーロッパ人が米国民に対して使った言葉ではないでしょうか?

 

森本氏によればキリスト教とも関係はありそうだが,信者ではない私にはよく分からない。

20世紀を代表する思索家ドラッカーの”Landmark for Tomorrow,1957”は,戦前にキリスト教で否定的だったダーウインの進化論が第二次大戦後は巷で語られるようになったという事実認識に始まり「東洋の終わり」や「ポストモダンの世界観」を説く。ハーバード大の招聘を断ったドラッカーもanti-Intellectualの一人ではなかろうか?

 

日本ではインテリ,特に文系の識者と呼ばれる人達は学校で学んだこと(17~19世紀の物理学やテクノロジー)を絶対視する傾向にあり,これを否定する意味であれば理系の私は賛同したい。

 

若い頃,文系の有名私立大出身者が「試行錯誤はサイエンスではない。」と言った驚きの発言を思い出す。

 

 

 

 


新型MacBook Airその後

2021-01-28 05:43:37 | 日記

朝受診したメールが「昨日」となっていたので,昨日再度,アップルのサポートに電話した。

今回はサポーターの対応がイラつくものだった。

前回のサポートを受けた後,自分で既に米国西海岸から日本に「システム環境設定」にて修正済みだったという話をサポーターはを聞き逃し,5分待たせた上,マニュアルを読み上げるロボットのような回答であった。今Time Machineをみると,最古のバックアップ一昨日の16:50,最新のバックアップ今日9:10,次回のバックアップ今日8:30? なお,今の時間は7:45だ。時間の設定にバグがありそう。

こんな状況でよく売れるものだと思っていたら,Appleは10月から12月期に1000億ドルの売り上げ(トヨタを数倍上回る)とニュースが飛び込んできた。

ことの発端は,シチズン The  Citizenの日付が2日進んでいることに気付き,昨年にも同じ問題が起きてリューズを28日進めて戻したが今回は2度目なので,メーカーに問い合わせた回答は数日後との自動受診メールがきて気付いたもの。

大勢の社員を抱えていながら,日米ともに心ないロボット対応とは世の末だとも感じたが,ここはコスト削減に努め,日本はワークライフバランスを取るようになった結果だと考えたい。


雨の一日

2021-01-27 11:11:30 | 日記

1年前に設置した内窓のお陰で長シャツ一枚で生活できるがリビングの外は雨で,窓際ではガラスから冷気が伝わってくる。

 

こういう時はオイルヒーターのほのかな暖かさがありがたくノルエーブランドの最新機種だと数m離れていても暖気を感じることができる。

 

エアコンを基本にし人力の燃料補給が不要の都市ガスファンヒーター(約10年前敷設されLPGから変更)や遠赤外線ヒーターも適宜併用する。燃費はヒートポンプ方式のエアコンがさらに省エネが進み今でも断トツに安価だが,上記2機種の電気代はオイルショックで高騰した石油と比較すると遜色ないレベルと考える。燃費もさることながら,暖かさはそれぞれに格別の味わいがある。

 

テクノロジーは20世紀で完結したと思いきや21世紀も日進月歩だと感動します。

19世紀末の特許庁長官は,今後もうこれ以上の発明は出てこないだろうと考えていたそうです。

50年前学生の頃,これ以上の電化商品は不要だと感じていたことを思い出す。

人間の欲望に限界がないことは確かのようです。

 

午後には雨は上がり,薄日が差し込んできたので,オイルヒーターは不要になった。

太陽のエネルギーはとてつもなく巨大だと思い知る。