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なんでも素直に受け入れ肯定的に生きる。

美しい笑顔 浜口京子

2004-08-24 10:09:42 | 随筆
 準決勝で敗れた浜口は素直に負けを受け入れられなかったようだ。それまでの苦しい練習、自分を支えてくれた多くの人たち、日本中の期待、いろんな思いがその胸に去来したことだろう。そんな浜口に息苦しいほどのせつなさを感じながらも、『見苦しいぞ浜口』と叫ばずにいられなかった。

 しかし、三位決定戦までの長い長い時間(おそらく8時間くらい)に心の整理がついたのだろう。浜口は日本時間深夜には清清しい表情で再びマット上に現れた。
 吹っ切れた浜口に相手はもう為す術もなく、完勝と言っていいほどの勝利を収めた。そしてオリンピックのマットに口づけをした浜口は輝く笑顔で全ての結果を受け入れたのである。

 表彰式の浜口も立派だった。喜びに満ちた笑顔で銅メダルを受け、精一杯の感謝を表した。

 浜口京子、君は日本選手団の旗手であり、日本人の誇りだ。

 君の笑顔、忘れない。

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タクティクスの勝利

2004-08-23 13:15:42 | 随筆
 昨年の世界選手権二位入賞で既に世界トップレベルの力を示した野口だが、今年5月6月に実施した中国・昆明の合宿では、ひと月に1300kmの走り込みをしたという。アテネでの勝利を見据えて血のにじむような高地トレーニングに励んでいたのであろう。ともすれば表面的なものの見方しか出来ない日本のマスメディアであるが、勝利の影に隠された努力を見逃してはならない。

 野口は25km過ぎの上り坂でスパートし後続集団に30秒以上の差をつけ、その後、差をつめられはしたが危なげなく逃げ切っての勝利であった。自分でレースを動かしリードするというのは、あのシドニーでの高橋と同じパターンである。彼女等に共通して言えるのは、世界のトップレベルの力にプラスαのタクティクスがあり、さらに類まれな勝負根性がそれを支えていたということであろう。

 私は人並みはずれた努力でつかんだ野口の勝利に心からの拍手を贈りたい。

 以下おまけ (アテネ五輪サッカー男子代表を念頭に)

 世界の舞台で勝利するためにはそれに見合った実力がなければならないが、実力がありながら精神面のもろさをさらけ出し、敗れ去った選手・指導者に言いたいこと。

 自立しなさい。 

  実力もないのにちょっとしたラッキーで登場し、マスメディアに持ち上げられて有頂天になり大成することなく消えて行く選手・指導者に言いたいこと。

 自立しなさい。


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井上康生の敗因

2004-08-22 11:46:43 | 随筆
 アテネで大活躍の日本柔道界にあって、皮肉なことに最も期待された井上康生が敗れた、井上康生にいったい何があったのだろう。

 アテネで戦った柔道を見て感じたのが、日本の選手は体力があるなということだ。男女関係なく他の国の選手が試合時間3分を過ぎるとバテがくるのに対し、日本の選手は最後まで元気に闘っていた。それは日本柔道界が五輪に向けて周到な準備をしたことをうかがわせるものだ。練習中の怪我が伝えられた谷選手も本番では周囲の不安を一掃する試合を見せた。

 そんな中一人だけ、どこかおかしいのではないかと思わせたのが井上だったが、実は井上の変調は国内の予選からあった。国内の大会で井上は、同クラスの鈴木と勝ったり負けたりを繰り返していた。そんな国内の試合で鈴木との試合以外でも『今日の井上はおかしいですね』という解説者の言葉があったのが思い出される。そして、その言葉はアテネでも聞かれたのである。

 ここからはまったくの憶測になるが、日本柔道界が一丸となってアテネに向かって練習を重ねている時期、日本選手団の主将であり前回シドニー五輪のチャンピオンである井上に対して、本番ではやってくれるだろうという安易な期待がコーチ陣になかったとは言えないだろうし、適当な練習相手がいなかったということもあったろう。

 偉大な選手に対するコーチ陣の遠慮によって、井上の発する危険信号が見逃されたのではないか。私には、そんな気がしてならない。さらに厳しく言えば本人にも敗因があったことは否定できない。


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人間力って?

2004-08-21 10:44:33 | 戦術
 人間力とは、少なくとも知性や教養といったものとは違うようです。
 大工さん、左官屋さん、とび職さん、そしてスポーツ選手、その道の達人に共通したもの、あるいは一芸に秀でた人が持つ何か、そんなことを考えさせられます。

 「オリンピックでは人間力が試される」と語ったサッカー五輪代表山本監督の場合、その人間力はどうだったのだろう。

 山本監督は「選手の人間力」という意味で語ったものだが、 山本監督自身の人間力が面白いほどよく分かる、山本監督と福原選手のコメントの比較。(某掲示板の投稿から)

五輪に向けて
山本昌邦 46歳
 「アテネ経由ドイツ行き。いいプレーを見せてドイツへ向かいたいと思います」
福原愛 15歳
 「アテネは通過点ではなく、しっかり立ち止まって結果をだしたい」

五輪の目標は
山本昌邦 46歳
 「チームの立ち上げの時から、『先輩を抜くために表彰台に上がろう』 ということを目標にやらせてきました」
福原愛 15歳
 「メダルの事は考えていません。一戦一戦、頑張るだけです」

五輪開幕を迎えて
山本昌邦 46歳
 「小野が入るとやはり、いろいろなものが全て作り替えられてしまうんですよね」
福原愛 15歳
 「こっちに来てから、何かを直すのは無理だと思います。何も直せないので、今あるものをどれぐらい出し切れるか、ですね」

五輪初戦を終えて
山本昌邦 46歳
 「立ち上がりの早い時間の失点と、あとはピッチコンディションにフィットしなかった。那須はキャプテンという重圧を感じていたのだと思います」
福原愛 15歳
 「とても緊張したが、今まで何回もこういう場面があり、大丈夫だろうと思っていた」

五輪敗退が決まって
山本昌邦 46歳
 「ここに来ないと感じられないことがたくさんあったと思いますので、次につなげていってほしいと思います」
福原愛 15歳
 「もう1試合できれば…。 4回戦(3試合)では五輪はわからない」

 ついでに日刊スポーツの記事も紹介しておきます。

 山本監督が得意としたはずの「情報戦」での失敗もあった。前々日の公式練習で、五輪組織委員会から「芝が傷むのでスパイク練習は禁止」と伝えられ、山本監督は選手たちに別会場での練習を指示した。しかし、パラグアイはアップシューズで本番会場での練習を行い、芝の状態を確かめていた。試合中、選手が何度も足を滑らせ、結果的に勝敗を決した4点目もDF阿部が転倒してのクリアミスを決められたものだった。

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何が阿武を勝利させたか

2004-08-20 10:00:56 | 随筆
 アトランタ・シドニーと期待されながらも実力を発揮できず、いずれも初戦敗退に終わっていた阿武がついにアテネで金メダルを獲得した。
 2回戦から登場した阿武は非常に安定した試合運びで勝ち進み、決勝で劉霞(中国)を破って悲願のオリンピック優勝を果たしたのである。

 阿武の戦いを振り返ると抜群の集中力、体力、そしてタクティクスが勝利を支える原動力になっていたのが見て取れる。

①試合序盤、けして無理な仕掛けをしない。
 (相手の体力が充分なうちは返し技を警戒)
②絶対に相手の得意な組み手にさせない。
③常に時間いっぱい戦い抜く覚悟。
④延長を恐れない。
⑤ここぞというときに必殺の技を繰り出す。
⑥私が一番という自信。
 (世界選手権4連覇)

 2回戦 ケイビ・ピント(ベネズエラ)五輪初勝利(①⑤⑥)
 3回戦 ルチア・モリコ ( イタリア )徹底して右を封じる(②③⑥)
 準決勝 セリーヌ・ルブラン(フランス)延長戦勝利(①②③④⑤⑥)
 決勝 劉霞(中国)一本勝ち(①⑤⑥)

 阿武おめでとう。君は眩しいくらい輝いている。

 そんな君の笑顔を見て私は思う。
 君をを勝利に導いたものそれはもっと深いところ(心の奥底)にしまっておいた、そうアトランタとシドニーに置き忘れたものを取り戻そうとする気持ちだったのではないのかと。

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