しばらく寄り道

「本」と「F1」と「映画」と「英語」の話

F1の話 その4 See you again!

2007-01-25 23:47:16 | Formula 1
ニューマシンの発表会がたけなわ。この時期に語るにはあまりにも遅すぎる話題とは十分にわかっていながらも、私に幸福な時間を与え続けてくれた鈴鹿サーキットに、心からの感謝の気持ちを込めてこのログをアップする。

指折り数えたら、ちょうど両手の十指が折れた。それが、F1日本GPのために私が鈴鹿へ通った回数である。初めてのF1観戦でその地を訪れたのが1997年。以来、生で観る圧倒的な迫力に魅せられ、秋に鈴鹿へ足を運ぶことは、私の年間計画のファーストプライオリティーであり続けた。何らかの事情で行けなく日がいつかは来るかもしれないことは頭の片隅にはあったものの、鈴鹿からF1が去る日、そんなのは完全に想定外だった。気になる仕事を抱えていたにも関わらず、仮病も同然で有給をとって、金曜日のフリー走行からサーキットへ入った。メインゲート前に到着して、まず右手に目に入るのがジェットコースター。すっかり見慣れた風景を目にしたとたん涙が出そうになった。「鈴鹿に行く!」という目標がなければ、私には出来なかったことや頑張れなかったことが、もっともっとたくさんあったに違いない。我ながら実に単純であるが、目を閉じて鈴鹿のスタンドで感じる乾いた空気を思い起こすだけで、私はずいぶん励まされてきた。それだけに、次の秋にはその場所へ行かないのだという事実と向き合うことは、たいへんな困難が伴う。この大きな喪失感を例えるなら、まさに大失恋。1年に1度しか会えない永遠の片思い。それでも十分に幸せだった。

あれもこれも・・・思い出は尽きないけれど、あえて最も印象的だった年を挙げるとすれば、シューマッハーがフェラーリで初のドライバーズ・チャンピオンに輝いた2000年のレースは、実に感動的だった。1998年も忘れがたい。ハッキネンが初チャンピオンを決めた一方で、リタイヤに終わったシューが2コーナー脇のガードレールに腰掛けて、一人で長い間佇んでいた姿もまた私にとっては、鈴鹿を代表する一場面のひとつである。シューマッハーの黄金期は、消化GPとしての開催になってしまったけれど、2002年は佐藤君の登場でサーキット内の雰囲気がずいぶん変わったことに、日本人ドライバーの存在の大きさを感じさせられた年だった。

「Rating (Out of 10):10」-これを見つけたときはうれしかった。また、日本人として誇らしくさえ思った。イギリスBBCのウェブサイト内にF1が開催される各サーキットのコース紹介がある。鈴鹿の評価は、10点満点の10点。ちなみに、他に満点が付けられたコースは、スパ・フランコルシャンだけである。モナコが9点、自国のシルバーストンが7点なのだから、決して偏った採点ではないと言えるだろう。 →BBCのサイトはこちら。

「Home of British Motorsports」-この言葉は、英国シルバーストーン・サーキットの正面入り口のゲートに掲げられている。「Home of Japanese Motorsports」-鈴鹿ほどその名にふさわしい場所はない。夢をありがとう!そして、そう遠くはない未来に、F1サーカスがきっと戻って来ることを信じて、その日まで少しの間さようなら。