瑠璃神社

自然社本宮出身の福井きよてる です。
どうぞよろしくお願いいたします。

永代供養

2023-01-01 22:25:23 | 日記
皆さんこんにちは


自然社本宮には永代供養殿という建物があります。


自然社本宮が建立された当時

永代供養の御霊達は
写経を納経している納経殿
お祭りされていました。

確かもう30年ぐらい前になると思いますが
永代供養殿が
お水を頂ける場所のすぐ近くに建立されました。


そしてさらに
10年ほど前に
金田徳光先生をお祀りしている
すぐそばに
永代供養田が建立されました。



自然社本宮の宿泊施設で
長年働いてくださった岐阜縁の方や
生涯独身を通されて子孫の方々がいらっしゃらない中国に戦争に行かれた経験のある方や
私の25歳の誕生日の日に
25歳の若さで亡くなった女性や
一人息子を大変可愛がっていたお母さんや


永代供養を必要な方々が
お祭りされています。


自然社本宮の永代供養殿の月次祭の日は
1日ですが
春と秋のお彼岸には大祭を行っています。



永代供養殿の月次祭の日時は
1日の午前11時からです。

例外は1
3月はお彼岸の中日に大祭を行います。
9月もお彼岸の中日に大祭を行います。




皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水子

2023-01-01 22:09:41 | 日記
皆さんこんにちは

自然社本宮では
毎月3日午前中1時から
水子の祠で月次祭を
行わさせて頂いております。




先月は水子慰霊祭を私の家では
2回行わさせていただきました。


水子供養はとても大切です。

水子は目には見えませんので
供養されずにいる御霊達がいらっしゃいます。


そしてその供養をきちんとしていけば
家庭がより円満になって行きます。


兄弟が
もしいたならば
その兄弟と同じように愛情をもって水子に接することがとても大切です。


そうしないと
水子たちは兄弟に対して



羨ましいなあ


何とかしてほしいな


親や兄弟たちに
色々とメッセージを投げかけてきます。


そのメッセージに気づいて
水子供養をしていただけると
ありがたいのですが


水子供養をなおざりにしていて
家庭がうまくいかなくなった
例は本当にたくさんあります。




自然社本宮では3日午前11時から
自然社本宮の駐車場のすぐそばにある
水子の祠で月次祭を行なっています。


長い人間の歴史
何代も続いている家
食糧難の続いた時代など

水子のいない家は
ないと言っても過言ではありません。



是非皆様方も水子慰霊に取り組んでくだされば幸いです。




皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからの時代 素朴で単純な人々が活躍されます。

2023-01-01 21:54:44 | 日記
皆さんあけましておめでとうございます。


自然社では毎年夏に
林間学校を行っています。


30年ぐらい前に

琵琶湖の北側にある
余呉湖の近くで青年たちの集いが行われました。

なぜ その場所で行ったかといえば
余呉湖は日本にとってとても大切な場所だからです。



この狭い島国に本当にありがたいことですが
豊富に水が恵まれています。

日本の水瓶と言われている琵琶湖の北側にある余呉湖は
日本の水の恵みにとって
とても大切な場所だからです。




琵琶湖の北側に余呉湖で
自然社の代表である橋本先生を中心に
神主さんや若者がお祈りをしました。



水のめぐみに
感謝し
今後も日本が
水のめぐみに
恵まれて
発展していきますようにと
みんなで
祈らせて頂きました。


祈りで最も大切な祈りは感謝の祈りです。

感謝の心があればこそ多くの恵みが恵まれます。
太陽の恵みを始め
地球という大地の上で生活させて頂いているめぐみ
そして豊富な水によって生活をさせて頂いているめぐみ

などなど多くの豊かな自然によって日本は大変に恵まれた国であります。


その素朴で単純な祈り自然の恵みに感謝していく祈りは本当に大切なことです。

私たちは自然の恵みによって生かされ生きているということを忘れてはなりません。


その自然の恵みに感謝していくことが
大きな災害を防止する一番の働きと言えるかもしれません。


穏やかな心が
穏やかな天候気候を生み出します。


自然の恵みに感謝して大切に使わせていただくという心を持っている人が多い地域は
穏やかな気候が恵まれて行きます。





余呉湖でのお話の時に
自然社の代表である橋本先生が若者たちに向かってこのように言われました。



これからの時代

素朴で単純な人々が活躍されますよ。





世の中を見渡してみますと
素朴で単純な方々が本当に一生懸命働いておられることを感じます。
それはきっと自然の恵みに感謝して大切に使わせていただこうという精神に溢れておられるからだと思います。

自然は素朴で単純ですよね。

その自然を大切に感謝して使っていれば自然と素朴で単純な人が育っていくんだろうなあと思います。


先日紀の川市である農園の方と初めてお会いしお話をしました。
その方も素朴で単純な方でした。


その方にはご紹介しませんでしたが私の裸おどりの動画を見たらきっと大笑いしてくれるんだろうなあと思いました。



皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2代前の師匠 橋本先生が自然社本宮の元旦祭の後の直会で成年の落語を本当に面白そうに見ておられました。

2023-01-01 21:33:22 | 日記
皆さんこんにちは


自然社本宮では元旦祭を元日の
朝7時から執り行っています。



厳かな式典の後
参拝の皆さんで
研修館という建物で
料亭つる井さんの

美味しいおせちを
いただきながら
みんなで直会をしていました。


その直会の前に
今では立派なお医者さんになった
ある青年が
落語をしてくれて
皆さんを大笑いさせていました。


その落語を見ながら
橋本先生ももちろん大笑いなさっていました。


私は幼い頃から橋本先生のありがたいお話を何度も何度も聞かせていただいたと思いますが
心の中にはしっかりと残っていると思うのですが
どんな話だったのか全く覚えておりません。


しかし
橋本先生が落語を聞いて
ニコニコされていた様子は

今でもハッキリと思い出すことができます。

このことを思い出すということは
私も皆様方をニコニコさせることが大切なんだというふうに思っています。




何年か前に
高野山弘法大師御廟にお参りした時に

お大師様が
どなたかわかりませんが


お前もうちょっと面白おかしく話しをしたほうがいいよ


というメッセージを頂きました。



その日だったかそれから後だったか覚えていませんが

東北から来た青年と高野山で出会い
高野山の中を案内させて頂きました。



その時金剛峰寺のご案内したのですが
私は何度も金剛峯寺に入っておりますので
拝観料もいるしと思って

外で待ってますのでどうぞお入りください


とお伝えすると


青年は

私がお金を払いますので一緒に入りましょう



ということでともに
金剛峯寺に入らせて頂きました。





一緒に見学して
お参りもさせていただき

奥野ひろまで
ありがたいお坊さんの法話を皆さんとともにお茶を飲みながらお菓子も頂きながら聞かせて頂きました。



確か韓国系のお坊さんだったと思いますが

本当におもしろおかしくありがたいお話をしてくださいました。



お聞きになっている皆さん大爆笑



きっと御参拝を終えられて帰ってご家族の皆さんとお土産話をしている時に



壊さんでなあこんな面白い話を聞かせてもらったんやで


と言って高野山のことが話題になると思います。



弘法大師は
こういうおもしろい伝え方もあるよ
お前も頑張れよ



その青年と出会うことを通して
伝えてこられたんだと思います。


落語の起源は
お坊さんの法話が元になっているとお聞きしたことがあります。


今の時代はほとんどの皆様が
小学校中学校と通われ
いわゆる読み書きそろばん:といったようなことができます。


昔はお百姓さんなど
難しい話は分からない方も多かったので
それをお坊さん達が工夫して
今の落語のように
面白くおかしく伝えたのが
落語の起源なんだそうです。




落語の中には人間の様子を面白おかしく表現したものがたくさんあるのはそういうことかもしれません。

漫才も人間の面白いことを面白おかしく表現していますね。



なので私が先輩の神主さんなどから教わったありがたいお話も
場合によっては面白おかしく皆さんにお伝えすることが大切なんだと思っています。


どっこいしょのお話



これも面白いですよ


また一度動画で撮ってみたいと思っていますのでお楽しみに。



皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海行かば

2023-01-01 15:07:18 | 日記










皆さんこんにちは

ふるさと自然社本宮では毎月19日に
万国戦没者慰霊殿で
月次祭を行なっています。


月次祭は午前11時から行われます。


大祭は9月の19日
午後7時より執り行われます。


その式典後

皆さんで

海行かば

という歌を歌います。


私は幼い頃より
この歌を歌うのが
とても楽しみで

今でも式が終わった後
皆さんとともに
歌わせて頂いています。

また和歌山市から自然社本宮に参拝したおり
万国戦没者慰霊前にお参りした後
海行かばを
歌わせて頂いております。




私の先輩の神主さんが

以前自然社から出ている月刊誌に

この
海行かば
のことについて詳しく書いてくださいました。


先輩の文章から少しご紹介をさせていただきます。




東大寺の大仏が建造されている時

この大きな仏像を
金色に仕上げるために
必要な黄金が



天平21年
西暦749年
2月

国内で初めて今の宮城県涌谷町で見つかったことを

お喜びになられた聖武天皇が
そのことを
仏前で
奏されました。


その時に
もともと大伴家持が作った歌を天皇が引用されたので
 
大伴家持は大変喜んで
改めて
歌を作りました。



その中に




海行かば
水漬くかばね
山行かば
草むすかばね

大君のへにこそ死なめ
顧みはせじ





この
歌が千数百年を経た

昭和12年
1937年

作曲家の信時潔さんが
メロディをつけて

出征兵士を送る歌として
完成させました。



そして昭和12年11月に
国民歌謡としてラジオから
初放送されました。


昭和18年10月
早稲田の戸塚球場で
戦時中最後の早慶戦が
行われました。


戦地に出征する学生たちに

せめてものはなむけを


慶應義塾大学の小泉信三塾長の思いが
人々を動かして実現したものでした。



試合は 慶応大学が早稲田に負けますが


慶応大学の学生が早稲田大学の校歌

都の西北




早稲田大学の学生が

慶応大学の校歌

若き血

歌ってエールを交換し終えると


期せずして

海行かば

の大合唱が早稲田の杜に響きました。


小泉信三塾長は三塁側のスタンドの学生達の中にいましたが

溢れる涙を拭うことも
しなかったと伝えられています。


元々

海行かば



大伴家持が
おおらかに時代をたたえ
聖武天皇を讃える
歌でありました。



それが現在は
戦没者慰霊のためになくてはならない歌となっているのは
時代の流れを
表しているように思います。



何年か前の戦没者慰霊殿大祭で

こんなことがありました





式は滞りなく進み
橋本先生のご挨拶が済んで

最後に
みんなで

海行かば

斉唱しました。




その時
ある奥さんが
このような体験を
なさいました。




大勢の男性歌手が
周囲を取り囲んで歌っているように
聞こえ出しました。

それは1000人に及ぶ体格のいい男性歌手が
大合唱しているような歌声でした。


声から推測して外国の人も混じっている感じを受けましたが
なぜか
みんな日本語で歌っていました。


ものすごい音量なのですが
全くうるさい感じはなく

四方から立体的に聞こえて
身体中に響き渡り
それが心のどこかに触れてゾクゾクして
涙があふれてきました。


この体験について後日
神様から次のように
教えていただいたそうです。




式の最後の
海行かば
式場に集まっている参列者だけでなく
慰霊殿に祀られている御霊達も共々に
精一杯の想いをこめて
合唱して居ると知ります。


現象界そして幽界が
一つに和して
世界の平和と国家の安泰を願い
祈りを込めた
尊い
ひと時であったと知ります。








皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする