それからの武蔵を訪ねて⑫ 2005年05月06日 | Weblog ★ 引導石 武蔵の友人である春山和尚が居た泰勝寺へ向う道の 左側にある引導石は、武蔵の葬儀の途中、柩を置いた とされる石で、ここで待ち受けていた春山和尚が引導 を渡しました。 この時、「一天晴たるに雷鳴一つあり」と二天記に記し てあります。
それからの武蔵を訪ねて⑪ 2005年05月06日 | Weblog 正面達磨図(武蔵筆) 線が右から左に引かれていることから 武蔵は左利きだったと云う説と二刀を 使ったことから左右の手を自由に使え るように鍛えた結果だと云う説の二つ の説があります。
それからの武蔵を訪ねて⑩ 2005年05月03日 | Weblog 戦気(武蔵筆) 戦気の下に、とても私には読めませんが、寒流帯月澄如鏡 「寒流月を帯びて澄むこと鏡の如し」と書いてあります。 白楽天の詩「江樓宴別」の一節だそうです。 武蔵が勝負に臨む時の心境を書いたものなのでしょうか?
それからの武蔵を訪ねて⑨ 2005年05月03日 | Weblog 井戸跡 武蔵は、細川忠利公から熊本城脇の千葉城址に 居宅を与えられた。 現在のNHK熊本放送局駐車場の片隅に武蔵が 使用したといわれる井戸跡が残っています。
それからの武蔵を訪ねて⑧ 2005年04月28日 | Weblog 五百羅漢 霊巌洞への経路上にある五百羅漢の説明文に こう 書いてありました。 「羅漢とは、釈迦の教えを聞いて悟りを開いた俗体の 弟子達のことであり、釈迦の信仰の対象とされるよう になった。五百羅漢の一つ一つを注意して見ると必ず 自分の身内にそっくりの顔を見出すことができるとの 言い伝えがある。」と・・・
それからの武蔵を訪ねて⑦ 2005年04月28日 | Weblog 霊巌洞 金峰山麓にある霊巌洞は、雲巌禅寺の奥にある洞窟で 石体四面の観音が奉ってあり、岩戸観音とも云います。 武蔵は、この洞窟に篭もり参禅し、「五輪書」を著しました。 周囲は、うっそうと枯木が茂り、奇岩の上に五百羅漢が 苔むし、文字通り深山の気を感じさせてくれます。 「神仏は尊し、神仏を頼まず」(独行道)という武蔵が、静か に波乱の生涯を振り返り、剣の道をまとめあげるのには 絶好の場所であったであろうことが伺えます。
それからの武蔵を訪ねて⑥ 2005年04月27日 | Weblog 武蔵肖像画 島田美術館の最後を飾る「武蔵肖像画」 武蔵は、自分の剣法を五輪書「地の巻」で 二天一流と名付けています。 これは、二天一流 五方の形の一つ下段 構えの肖像画です。 眼光鋭く、肖像画といえども気迫ある攻め を感じます。 老いても斯くありたいものです。 北海の熊
それからの武蔵を訪ねて⑤ 2005年04月27日 | Weblog 櫂削りの木剣 佐々木小次郎との決闘時、武蔵が使用した櫂削りの 木剣と云われていますが・・・ 後世に模擬として作成 されたものであろうと思います。 同一の類似品が、霊巌洞のある雲厳禅寺にも陳列さ れています。
それからの武蔵を訪ねて④ 2005年04月25日 | Weblog 海鼠透鐔【ナマコスカシツバ】:武蔵作 通称:武蔵鍔と云われているこの鍔は、実用性と素朴な美が 融合した鉄製の鍔であり、非常に使いやすく機能的で優れた 一品と評価されている。 左右の穴の形が海鼠(ナマコ)に似ていることからこの名が 付けられました。
それからの武蔵を訪ねて③ 2005年04月25日 | Weblog 島田美術館に陳列されいる武蔵の武具 伝 武蔵所用刀 「吉岡斬り」の伝承がある刀だそうですが、人を斬った刀には 見えません。 武蔵が没する前に刀匠に依頼して打たせた刀なのでは? この他に平成になって作成された佐々木小次郎が使用した 長刀「物干し竿」と同寸法の刀(細身で美しい)も陳列されて います。 こんな長刀を使いこなしたのかと驚きました。