原子力発電所の再稼働をなぜ日本政府はこだわるのだろうか ?
いま
私は小森陽一著『死者の声、生者の言葉』新日本出版刊を読書中である。
小森氏はサブタイトルを「文学で問う原発の日本」としていた。
御著の帯には
3.11後の川上弘美から賢治、漱石
としていた。
この
サブタイトルに魅せられて購入したのであったが、
本文には
>日米安全保障条約の体制と日米原子力協定体制は一体・・・となっている、と著者は述べていた。
いま、安倍首相はアメリカへでかけておるが
日米安全保障条約のさらなる解釈拡大を約束したとの報道だ。
世界の果てまで アメリカさんの軍事行動をサポートするらしいのである。
その約束には
>日米安全保障条約の体制と日米原子力協定体制は一体・・・となっている、ことから
訪米中であるだけに
日本の原子力発電所を20~22%は維持する、と固守してみせたかったのであろうか。
2011年3月におきたフクシマの原発大災害事件はいまだに収束をしていない。解決をしていないのだ。
小森陽一著では
フクシマの詩人若松丈太郎の詩文を紹介している。
詩人若松さんは
フクシマは核災害である、といわれているのだ。
《 私は原発を〈核発電〉、原発事故を〈核災〉ということにしている。その理由は核エネルギーなのに、あたかも別物であるかのように〈原子力発電〉と称して人びとを偽っていることをあきらかにするため、〈核発電〉という表現をもちいて、〈核爆弾〉と同根のものであると意識するためである。
さらに、〈原発事故〉は、単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核にいる構造的な人災〉であるとの認識から〈核災〉と言っている。 》
日本のメデアは原発、原子力発電所と平和的装いで発信してきたが、
詩人若松丈太郎さんは
核発電・・・と正確に核心をつかれている。
たしか、ノーベル文学賞候補者の村上春樹氏も
原子力発電といわずに核発電所といおう、と発信されていたかと記憶する。
私はフクシマの原発事故というとらえかたがしっくりこず、原発事件とあえて発信してきた。
福島県での東京電力会社による事件ではないか、
事件は起きたのだから
犯人は償いをしてもらいたい、という主張をこめたつもりで事件と述べてきたつもりである。
犯人に責任をとらせもしないなかで
政府は
原子力発電所
つまり
核発電所を
再稼働させるという腹なのであろうか。
アメリカとの約束を履行することを第一義としているのであろうか。
それとも
日本人の生命財産を守ることで
政治をおこなうことにするのなら・・・・
おのずと
廃炉にむかうのでは・・・・
日本人はヒロシマ
ナガサキ
ビキニ
今回の
フクシマ
の被曝を体験してきた。
政治を国民の側においてもらわないことには
第5の
被曝者をうみださぬともかぎらぬのではないだろうか。
地震大国
火山大国の立地条件下にある日本を考慮するなら、
核の制御のできぬ発電所であるのだから、、、
核発電の存続をしてよいのか、
廃炉にすべきか、
選択の道はひとつとなるのでは
ないだろうか。
いま
私は小森陽一著『死者の声、生者の言葉』新日本出版刊を読書中である。
小森氏はサブタイトルを「文学で問う原発の日本」としていた。
御著の帯には
3.11後の川上弘美から賢治、漱石
としていた。
この
サブタイトルに魅せられて購入したのであったが、
本文には
>日米安全保障条約の体制と日米原子力協定体制は一体・・・となっている、と著者は述べていた。
いま、安倍首相はアメリカへでかけておるが
日米安全保障条約のさらなる解釈拡大を約束したとの報道だ。
世界の果てまで アメリカさんの軍事行動をサポートするらしいのである。
その約束には
>日米安全保障条約の体制と日米原子力協定体制は一体・・・となっている、ことから
訪米中であるだけに
日本の原子力発電所を20~22%は維持する、と固守してみせたかったのであろうか。
2011年3月におきたフクシマの原発大災害事件はいまだに収束をしていない。解決をしていないのだ。
小森陽一著では
フクシマの詩人若松丈太郎の詩文を紹介している。
詩人若松さんは
フクシマは核災害である、といわれているのだ。
《 私は原発を〈核発電〉、原発事故を〈核災〉ということにしている。その理由は核エネルギーなのに、あたかも別物であるかのように〈原子力発電〉と称して人びとを偽っていることをあきらかにするため、〈核発電〉という表現をもちいて、〈核爆弾〉と同根のものであると意識するためである。
さらに、〈原発事故〉は、単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核にいる構造的な人災〉であるとの認識から〈核災〉と言っている。 》
日本のメデアは原発、原子力発電所と平和的装いで発信してきたが、
詩人若松丈太郎さんは
核発電・・・と正確に核心をつかれている。
たしか、ノーベル文学賞候補者の村上春樹氏も
原子力発電といわずに核発電所といおう、と発信されていたかと記憶する。
私はフクシマの原発事故というとらえかたがしっくりこず、原発事件とあえて発信してきた。
福島県での東京電力会社による事件ではないか、
事件は起きたのだから
犯人は償いをしてもらいたい、という主張をこめたつもりで事件と述べてきたつもりである。
犯人に責任をとらせもしないなかで
政府は
原子力発電所
つまり
核発電所を
再稼働させるという腹なのであろうか。
アメリカとの約束を履行することを第一義としているのであろうか。
それとも
日本人の生命財産を守ることで
政治をおこなうことにするのなら・・・・
おのずと
廃炉にむかうのでは・・・・
日本人はヒロシマ
ナガサキ
ビキニ
今回の
フクシマ
の被曝を体験してきた。
政治を国民の側においてもらわないことには
第5の
被曝者をうみださぬともかぎらぬのではないだろうか。
地震大国
火山大国の立地条件下にある日本を考慮するなら、
核の制御のできぬ発電所であるのだから、、、
核発電の存続をしてよいのか、
廃炉にすべきか、
選択の道はひとつとなるのでは
ないだろうか。