快楽主義者の窓

-la janela do epicurismo-

語りすぎることへの不安について

2008年12月20日 03時28分31秒 | diary
・批判を言わない

・自分について多くを言わない

この二つのルールを守っている限り、たぶん人に嫌われることはない。

現実世界であれ、ブログ上であれ、多くの人はそれを自覚している。




でも、理解者や共感者を求めるとき、

あるいはそれを越えて、

相手に何らかの影響を与えたいと思うとき、

「自分」という便利な道具をつかわないで済ますのは難しい。


そこで必然的に、

語りすぎることへの不安と、自己表現の欲求とのせめぎ合いが再び発生する。

我々はこうして、

「わかっちゃいるんだけど、」

と思いつつも、ついよけいな一言を言ってしまうのだ。




つぶさに観察せよ

2008年12月20日 02時06分52秒 | diary
人の体を切り分けて、隠されていたモノを見るときの興奮と、

人の心を読み取って、隠れされた面を理解してゆく喜び。



使う道具がハサミか言葉かの違いはあるが、

どちらも似たような行為だと気づく。

回内回外論

2008年12月19日 02時50分51秒 | diary
回外時と回内時のウデどっちが好きかって?そりゃ回内時でしょう。

理由はいくらでも挙がります。


手のひらのぶよぶよ感が見えるのは回外

トウ骨の斜行する美しいラインが浮き出るのは回内

体育会系の男が上腕二頭筋を誇示するときは回外

女の子が大事なところを隠すときは回内





いったい、そこに異論の余地はありますか?

interplay

2008年12月19日 02時23分46秒 | diary
夜道を歩いているとき、ふと、

飾らない、生(なま)の、人間の声が聞こえてくることがある。

うめき声とも叫び声ともつかないその声は、

時にいろいろな旋律を奏でる。

見事なジャズのフレーズもあれば、

素っ頓狂な跳躍と喘ぎ声の重奏もある。

キース・ジャレット似のその声に誘われるようにして、

私と彼との対話は始まる。


休息

2008年12月19日 02時05分30秒 | diary
働け。働け。働け。

いつから私たちは、働くことを義務と心得るようになったのだろうか。

いつから私たちは、働かないことに罪悪感を覚えるようになったのだろうか。


朝のまどろみの幸せは、押し寄せる罪悪感によって壊される。

夜のここちよい語らいは、迫りくる明日への不安によって乱される。


徹夜して解剖を覚えながら思うに、

どうやら私は本質的に生真面目であり、

また同時に怠け者でもある。