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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

黒坂命や八幡太郎義家の伝承が残る堅破山

■ 2022年01月14日 黒坂命や八幡太郎義家の伝承が残る堅破山

茨城県日立市にある堅破山(たつわれさん)を訪れました。堅破山は黒坂命や八幡太郎義家などの伝承が残る山で巨石・奇岩をめぐるハイキングコースが設定されています。今回は、駐車場から堅破山を目指し、山頂奥の胎内石を見た後に太刀割石、神楽石、奈々久良滝を回る周回コースを歩きました。

▼ ルートマップ・・・参考:山と渓谷社 茨城県の山

堅破山駐車場~二の鳥居~明神鳥居~仁王門~黒前神社~堅破山山頂~胎内石~堅破山山頂~釈迦堂~太刀割石~神楽石~奈々久良の滝~駐車場に至る4.8Km

▼ 登山道入り口・・・左手奥の駐車場から少し下った所にあります

▼ 駐車場にある案内板

▼ 二の鳥居

▼ 登山道脇にある後生車・・・登山の無事を願って廻します

▼ 後生車の右奥にある案内板

▼ 最後の修験僧の墓

▼ 不動石・・・盤上に不動明王の石像が祀られ、その足元をきれいな清水が流れ落ちています。この石像は、明治になってから祀られたもので、石そのものはもともと黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所であったといわれています(説明版より抜粋)。

▼ 烏帽子石・・・八幡太郎義家が堅破山の神霊に参拝した時、かぶっていた烏帽子に似ていたことから名がつきました(説明版より抜粋)。

▼ 手形石・・・石いっぱいに右手の5本指の跡が深くえぐられているように見えます。八幡太郎義家が石を押したときについた手形といわれています(堅破山ハイキングコースマップより転載)。

▼ 畳石・・・畳を重ねたように大きな石が4段に裂けるように割れています。八幡太郎義家が腰を下ろして休んだので「腰かけ畳石」と呼ばれたことに由来しています。後に、堅破山で修業をした修験僧が座禅をした石ともいわれています(案内板より抜粋)。

▼ 手水・・・黒前神社の手水舎には水がありません。参詣者はここで口と手を清めていきましょう。

▼ ベンチがあるお休み処

▼ あかめやき窯・・・昭和25年(1950)頃まで使っていた炭焼き窯

▼ 弁天池・・・一名御手洗といい雨乞いの池ともいう

▼ 明神鳥居

▼ 仁王門・・・門前には右大臣・左大臣の木像が配置されており、門の呼び名である仁王像は、後方にある畳半畳ほどの板張りの囲いの中に収蔵されている。以前は、仏教像である仁王様が堂々と配置されていましたが、慶応4年(1868)に発布された「神仏離令」によって黒前神社として継承され、神社形態の随身門として右大臣・左大臣に置き換えられました。本来は処分されるべき石像の仁王様を隠しながらも大切に守ってきた背景には、仏教霊場として佐竹時代に広く恩恵を受けた地元の強い信仰がうかがえます。現在に残す神仏混淆の珍しい門となりました(堅破山ハイキングコースマップより抜粋)。

▼ 甲石・・・元禄(1688)以前は「堅破和光石」と呼ばれ、薬師如来が隠されている石として信仰され、正面に石をくりぬいた祠があり、その中に薬師如来の12神将像が祀られています。水戸光圀翁が仏教色の強い「堅破和光石」を「甲石」に改名したといわれています(説明版より抜粋)。

▼ 舟石・・・一見船が山に登る形に似ている石

▼ 釈迦堂・・・左手に黒前神社へ通ずる階段があります

▼ 黒前神社へ通ずる石段

▼ 黒前神社

▼ 黒前神社横にある祠と顕彰碑

▼ 山頂にある展望台

▼ 展望台からの眺望・・・高鈴山と太平洋

▼ 展望台からの眺望・・・筑波山

▼ 山頂にある山名板

▼ 胎内石・・・山頂を過ぎて下った所にある胎内石。黒坂命が陸奥(蝦夷)遠征の帰路、山の麓で疲れていた体を休めていた時、一人の童子が馬を引いて通りかかり、あまりに疲労した黒坂命を見て、その馬の背に乗せ、急坂の山肌を一気に駆け上がり、この岩窟に休ませたことから「胎内」という名がついたと言われています(説明版より抜粋)。

山頂から釈迦堂に戻り、太刀割石に向かいました。

▼ 太刀割石(たちわりいし)・・・永保3年(1083)、八幡太郎源義家が奥州征伐の折、戦勝祈願のために堅破山に立ち寄り、野宿していると夢の中に「黒板命」が現れ大太刀を差し出しました。目覚めた義家が大太刀を一振りすると、巨石が真っ二つに割れたといわれています。隠居した水戸光圀翁がこの山に登った折、「最も奇なり」と感銘し石の名をつけたといわれ、以前は「磐座(いわくら)」と言って、神の宿る石として石の回りにしめ縄を張りめぐらし、みだりに石の上に上ることはできませんでした(説明版より抜粋)。

▼ 登山道脇にあったミヤマキシミの蕾と実

▼ 軍配石

▼ 伐採地から見た堅破山

▼ 神楽石・・・「堅破山絵図」(元禄4年)では「まいまい石」と言われ、堅破山の神霊が浜降りの際、折橋の氏子の人たちにこの場所で神輿を渡し、一休みのためにお神楽を奏し神楽舞をしたとされ、石の名になりました(説明版より抜粋)。

▼ 林道を横切って奈々久良の滝に向かいます。

▼ 奈々久良の滝

▼ 奈々久良の滝から分岐まで戻り、堅破山駐車場へ戻ります

▼ 途中から林道を下って駐車場に戻りました


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