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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

常陸太田市鯨ヶ丘の街歩き

■ 2023年11月18日 常陸太田市鯨ヶ丘の街歩き

JR東日本駅からハイキング「鯨ヶ丘を街歩き~レトロな景観を楽しみながらゆっくりお散歩コース~」に参加してきました。JE水郡線常陸太田駅のコインパーキングに車を置き、観光案内センターで参加受付後、熊野八坂神社~遍照寺~立川醤油店~梅津会館~若宮八幡宮~太田故城(舞鶴城)碑~太田一高旧講堂~馬場八幡宮~太田落雁碑~浄光寺~真福寺~法然寺~梅照寺~JR水郡線常陸太田駅に至るルートを歩きました。標題にある「鯨ヶ丘」は佐竹氏の居城「舞鶴城(太田城)」があった馬の背状の台地の姿が海に浮かぶ鯨のように見えることから、いつからか「鯨ヶ丘」と呼ばれるようになり、常陸太田の中心商業地として賑わってきた所だそうです。今も土蔵づくりや町屋づくりの古い建物が残されており、古い町並みの景観を見ることができ、歴史を味わいながら楽しい街歩きができました。

▼ ルートマップ

JR水郡線常陸太田駅~熊野八坂神社~遍照寺~立川醤油店~梅津会館~若宮八幡宮~太田故城(舞鶴城)碑~太田一高旧講堂~馬場八幡宮~太田落雁碑~浄光寺~真福寺~法然寺~梅照寺~JR水郡線常陸太田駅に至る8.6Km

▼ JR水郡線常陸太田駅

▼ 観光案内センターで参加受付後、街歩き開始!

▼ 熊野八坂神社

▼ 鯨ヶ丘ふれあい広場


■ 遍照寺・・・1294年に佐竹8代当主の行儀公の北の方によって建立。その後、遊行上人二代の真教上人が1468年に時宗のお寺として開山。

▼ 遍照寺入口にある「天龍上人霊堂入口」碑

▼ 本堂軒下にある家紋は、入口右側が佐竹の家紋、左側が徳川の家紋。


■ 立川醤油店・・・元禄15年(1702)から始める創業300年を超える老舗醤油店。 


■ 梅津会館・・・昭和11年(1926)に太田町役場として建築。昭和53年7月まで常陸太田市役所として利用。現在は郷土資料館。この建物は、常陸太田市出身で23歳の時に北海道函館に渡って海産物問屋を営み、大成功した梅津福次郎からの寄付金で建てられた(説明板より抜粋)。

▼ 外観

▼ 説明板

▼ 玄関横にある梅津福次郎銅像

▼ 1Fの様子

▼ 1Fの展示

▼ 寒水石のカウンターと階段・・・寒水石は常陸太田市内真弓町などに分布している大理石の一種

▼2Fの会議室

▼ 展示室の展示


▼ 街角の常夜灯


■ 若宮八幡宮・・・応永年間(1934-1428)佐竹十三代義仁公婿養子として鎌倉より入府の際、鶴岡八幡宮の御分霊を舞鶴城中に奉斎し、以降佐竹氏代々の祈願所。


▼ おしゃれな外観の太田進徳幼稚園

▼ 東洋堂・・・パン屋さんで購入した「ブーちゃんパン?」、いちごクリーム味+もちもち食感で美味しかった!

▼ 太田故城「舞鶴城趾」碑(現太田小学校)・・・天人2年(1109)に藤原秀郷の子孫が太田太夫と称して城塞を築いたのが太田城(舞鶴城)の始まり。佐竹義宜が水戸城に映る1590年までこの太田城が佐竹氏の本城。

▼ 太田一高旧講堂(国指定重要鵜文化財)・・・明治33年(1900)に茨城県立水戸中学校の太田分室として設置。明治37年(1903)に本行動が完成。


■ 馬場八幡宮・・・天喜4年(1056)、源頼義が陸奥の阿部頼時鎮撫に向かう途中、源氏の氏神で石清水八幡宮の神霊を当地に移したことが起源。以降、佐竹氏の守護神として崇められる。

▼ 馬場八幡宮始まりの場所・・・天喜四年(1056)源頼義により源氏の氏神石清水八幡宮(京都)の御分霊を平らな大きな石二枚を敷いた上に安置し、大任遂行を祈願(説明板より抜粋)。

▼ 本殿・・・屋根は現在鋼鈑葺きとなっているが、もとはこけら葺き。本殿のつくりは、桃山時代の建築様式を残す。天正8年(1580)名棟札には佐竹十九代義重が中坂少将義人を造営奉行として工事を行ったことが記されている(説明板より抜粋)。

▼ 本殿横には多数の祠がある


■ 昼食で立ち寄った「塩町館」・・・「粗挽きそばと石臼うどん」に誘われて入ったお店。メニューはうどんとそばのみ。せいろうどんとせいろそばを頂き、どちらも美味しかった!薬味のワサビとショウガがうどんとそばの差かな?


▼ 東町通りの蔵

▼ 旧稲田屋赤煉瓦倉・・・明治43年この地で酒造業を営んでいた「稲田屋」の稲田敬造氏が建造(説明板より抜粋)。


■ 太田落雁碑・・・天保4年(1833)水戸九代藩主徳川斉昭が領内の景勝地を巡視し選定した水戸八景の一つ。

▼ 標識の手前を左手に入る・・・この標識がないとたどり着けないかも?

▼ 説明板

▼ 水戸八景の説明板

▼ 展望台


▼ 内堀町交差点にある「鯨ヶ丘」碑

▼ 浄光寺・・・正中元年(1324)、常陸国の有力御家人、佐竹氏9代当主の佐竹貞義によって母の追善供養のために創建。佐竹氏秋田移封前は17代佐竹義篤、20代佐竹義昭の墓所であった時宗の寺。

▼ 真福寺・・・千葉県成田山にある成田山新勝寺の分霊を祀った直末寺。

▼ 板谷坂・・・太田七坂の一つ。ここからの眺めはすばらしく、眉美千国とも言われていたそう。鯨ヶ丘にはいくつもの坂があり、特に南の「木崎坂」「下井戸坂」、東の「板谷坂」「塙坂」「東坂」西の「杉本坂」「十王坂」を太田七坂という(鯨ヶ丘ウォーキングマップより転載)。

▼ 法然寺・・・延元元年(1336)に連勝房永慶が太田城主十代佐竹義篤の保護を受けて開創。


■ 梅照院・・・平安時代に額田(現那珂市)で「梅龍院」として創建。1976年に現在地に移転。

▼ 藤淵寅三郎翁之墓・・・貯蓄奨励を進め直接保護、間接保護、一時保護等更生事業に専念また、地域の犯罪防止、教育に住民の力添えとなり、地域貢献に一生を捧げた(説明板より抜粋)。

▼ 伊藤隆安の墓・・・医者で和歌の大家。門下生は1500人を数えたといわれる(説明板より抜粋)。

▼ 孝子喜代太郎の墓・・・江戸時代後期の常陸国における三大孝子の一人。江戸時代後半に木崎に生まれ、極貧の中で親孝行に励み十三歳で早世(説明板より抜粋)。

▼ 芭蕉の句碑・・・江戸時代後期、太田の俳句結社「五々庵」祖とされる小澤芝六が、芭蕉の百回忌を記念して天明3年(1783)に建立。「不由古毛李 未た与里曽和む このはし良」(冬ごもり また寄り添わむ この柱)の句は元禄元年(1688)の冬、芭蕉四十五歳の時の作とされる(説明板より抜粋)。

▼ 天保の大飢饉供養塔・・・天保七年(1836)の大飢饉の賀詞さhを供養するため、天保九年(1838)日蓮宗の僧侶により建立(説明板より抜粋)。


【参考】

1、鯨ヶ丘

 

鯨ヶ丘(茨城県・常陸太田)

茨城県常陸太田市にある鯨ヶ丘は、訪れる人にゆったりとした時間と空間を感じていただける街づくりを目指しています。

鯨ヶ丘(茨城県・常陸太田)

 

2、慈久庵(塩町館)

3、TOYODO東洋堂 | 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ


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