大阪商業大学高等学校サッカー部

公式試合や練習試合、合宿や遠征の様子などをお知らせします。

TRM vs 桃山学院大学高等学校

2018年06月20日 21時57分47秒 | 練習試合
商大高 3-1 桃山学院
①滝→中岡
②滝→窪田
③谷

商大高 1-1 桃山学院
①清水→和田





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闘莉王が日本代表に説く“弱者の戦術” 「規律、謙虚さ、チームメートに対する信頼」

2018年06月19日 20時26分04秒 | 心・技・体
●W杯戦士・闘莉王が単独インタビューに応じ、西野ジャパンに提言

 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会開幕まであと2日。今回で6度目の世界一決定戦に臨む日本代表のこれまでの最高到達点は2002年日韓大会と10年南アフリカ大会のベスト16だが、南ア大会で最終ラインからチームを鼓舞し、貢献したのがDF田中マルクス闘莉王(京都サンガF.C.)だった。
 勇壮な鼓舞と強烈なリーダーシップから「闘将」と呼ばれる男は単独取材に応じ、西野朗監督率いる日本代表に対し、「自分たちのサッカー」を掲げて惨敗に終わった2014年ブラジル大会の失敗から学び、「規律」「謙虚さ」「味方への信頼」を前面に押し出す戦いを期待した。
「日本のサッカーの強さはどこにあるのでしょう。スピードでも高さでもパワーでもありません。テクニックも上がってきましたが、世界のスーパースターを見れば敵いません。では、どこで対抗すればいいのか。それは規律だと思います。僕はブラジルで育ちましたが、規律正しさこそが日本の素晴らしさだと思います。チームメイトのために犠牲になれる気持ちだと思います。厳しい状況だからこそ、立ち返ってほしい」
 西野朗新監督が就任後、日本代表は2連敗。まだ無得点で攻守に大きな不安を残している。
 国外大会で初めて決勝トーナメントに進出した8年前の南アフリカ大会だったが、日本代表も大会前には苦難に直面し、下馬評も決して高いものではなかった。
「2010年ワールドカップの前には色々な試練に直面しました。自分が出場できなかった日韓戦で負けて、サッカー界の雰囲気がすごく悪くなった。そして、イングランド、コートジボワールという強豪との親善試合で手も足も出なかった。この2試合で自分はオウンゴールもしてしまった。自分たちのサッカーに対して、持っていたプライドが完全に潰された。自分たちは世界の強豪ではない。自分たちは決して強くないという現実がある。相手の胸を借りるつもりで行かなければいけない」


●南アフリカ大会直前のミーティングで飛ばした猛ゲキ

 大会直前にスイスのキャンプ地ザースフェーで行われた選手ミーティングで「俺たちは弱い。下手くそなりに闘わなければワールドカップでは勝てない!」と檄を飛ばし、堅守速攻で躍進したチームの揺るがぬコンセプトとなった。
 下馬評が低く、結果が出ていないという点で8年前と状況は近いが、必ずしも同じではないという。
「あの時はユウジさん(中澤佑二)と自分が後ろにいた。阿部(勇樹)もアンカーに入って、守備の堅さという拠り所はあったと思う。今は何をベースにすべきか。本当に難しい状況ですが、自分はまず守備だと思います。日本はまだ世界の舞台で相手を圧倒できるようなチームではない。失点したら試合には勝てない。グループステージは最大で勝ち点9。相手に勝ち点3を与えないチームマネジメントというものも、ワールドカップにはあると思います」
 未だ4バックか3バックか定まらない緊急事態で、一刻も早く守備のベースを固めることが最優先事項と持論を展開した。
 そして、グループステージ敗退に終わった14年ブラジル大会の過ちだけは繰り返さないように提言している。
「日本代表はブラジル大会の前も同じ失敗を犯しています。2006年ドイツ大会では、“自分たちのサッカー”をやろうとしました。自分たちがアクションを起こして、試合の主導権を握ろうとするサッカーです。しかし、日本は強豪国相手にいつでも何点も取れるチームではない。あの時のジーコ監督の中盤には、素晴らしい選手そろえていた。ただ、世界には上には上がいる。そういう結果になってしまった」
「2010年は自分たちのやりたいサッカーを我慢した。相手にサッカーをやらせないという方向に転換したことで、多少の結果は出せたと思う。14年にはまた“自分たちのサッカー”で、あんな残念な結果になってしまった。言葉は悪いかもしれないですけど、味方の尻を拭くぐらいの戦いをしなきゃいけない。それがワールドカップにおける、日本の戦い方だと思います」
「4年に1度の戦いです。サポーターが注目してくれるサッカー界にとって大事な舞台です。1回の失敗を教訓にしなければいけない。ブラジルで痛い目を見た。そこから勉強しないといけない」


●闘莉王が説く“弱者の戦術”「“自分たちのサッカー”よりも相手のサッカーをやらせないこと」

 ジーコ氏が率いた06年ドイツ大会では中田英寿氏、中村俊輔(磐田)ら日本サッカー史上に名を残す名手が中盤に集結したが、グループステージ2敗1分けで敗退。ザッケローニ監督が率いた14年ブラジル大会は「ワールドカップ優勝」を目標に掲げていたが、グループステージで2敗1分け。いずれも失意の大会となっていた。
「“自分たちのサッカー”以前に、相手のサッカーをやらせないくらいの気持ちでひたむきに戦った方が、日本の良さも出てくると思う。規律、謙虚さと、チームメイトに対する信頼。そういう部分を見せてもらいたい」
「自分はブラジルで育ちました。ブラジルでは代表戦のある日は誰も仕事をしなくなる。国の機能がストップしてしまうぐらい。とんでもない盛り上がりを見せます。日本でもスポーツを通じて世の中が一体になれる大きなイベントだと思います。みんな代表のユニフォームを着て、テレビの前で応援してくれる。この代表を応援して良かったと、サポーターや家族が胸を張ってくれるような試合をしてもらいたいですね」
 16歳でブラジルからサッカー留学で千葉・渋谷教育幕張高に入学するために来日。日本語が一切話せなかった日系三世は2003年に日本国籍を取得。04年アテネ五輪と10年南アフリカ大会で日の丸を背負い、世界と戦った。今でも君が代を聞くたびに、心が震えるという闘莉王は厳しくも愛あるエールを日本代表に送っていた。(THE ANSWER編集部)


「THE ANSWER 2018年6月12日掲載」

https://the-ans.jp/column/25893/

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鶴見緑地球技場

2018年06月19日 20時25分52秒 | 練習



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フィジカルトレーニング

2018年06月15日 17時27分55秒 | 練習





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大島僚太に「自分の全てを教えた」憲剛流ゲームコントロールの極意。

2018年06月14日 15時27分09秒 | 心・技・体
大島僚太に「自分の全てを教えた」憲剛流ゲームコントロールの極意。

「自分の全てを教えたよ。全部を叩き込んだつもり」

 日本代表の壮行試合となったガーナ戦を終えたタイミングの頃だ。W杯ロシア大会に臨む日本代表・大島僚太について、中村憲剛がそんな風に話している。そして、本大会へのエールをこう続けた。

 「リョウタがやってくれることが国内組の評価にもつながる。もしやれなかったら、『Jリーグだから』と言われるかもしれない。でもガーナ戦を見た限りでは中心になってやれる。『自信を持ってやれ』と言いましたよ」

 手塩にかけて育てた大島が世界の舞台で躍動する姿を、心待ちにしているようだった。


●川崎に憲剛がいるとは知らなかった。
 大島僚太が川崎フロンターレに入団したのは、2011年のことだ。

 静岡学園高校3年生のとき、夏の大会でフロンターレのスカウトだった向島建の目に止まり、秋の練習参加を経て急遽内定となった。決まっていた大学進学を取り消し、異例の「滑り込み」で入団が決定したことは、いまだ有名なエピソードとなっている。

 高校時代は、熱心にテレビ観戦をするタイプではなかった。高3時に開催された2010年の南アフリカW杯も、時差があった関係で試合をしっかりと見た記憶がないという。Jリーグの事情にも疎く、川崎に練習参加が決まった際も、思い浮かぶ選手といえばジュニーニョぐらい。

 日本代表である中村憲剛や稲本潤一の存在は知っていたものの、彼らが川崎に所属していたことを把握しておらず、練習参加前に同級生から言われて、「そうなんだ」と気づいたほどだった。

 ただ先入観がないゆえに、フラットな眼を持っていたとも言える。

 「だって、まわりがいくら『すごい! 』と言っていても、実際にはそうではなかったりすることってあるじゃないですか」と笑っていたのを覚えている。周囲の評価や名前ありきで、実力を評価したりもしない。あくまでピッチに立った自分の肌感覚を大事にしているのは、現在と変わっていないところだ。


●「風呂、行くか?」「いや、いいです」
 練習参加したときに、そのプレーを目の当たりにして衝撃を受けた選手がいる。

 中村憲剛である。

 「ケンゴさんは、本当にすごいと思いましたね。目の前で練習と試合を見て、『本当にすごい! この人より巧い人は見たことない! やばい! 』って、みんなに言いたくなりました(笑)」

 中村憲剛の巧さを知らないサッカーファンは日本中で君ぐらいだよとツッコミたくなるところだが、詳しく知らなかったが故に、その興奮ぶりも格別だったのだ。

 その数年後、両者は師弟関係を築くことになる。ただ、それがすぐに始まったわけではない。例えば新人時代のキャンプ中、人見知りでシャイな性格の大島は、中村からの「風呂、行くか?」という誘いを、緊張のあまり「いや、いいです」と思わず断ってしまったという伝説がある。「入った頃のリョウタは、ほとんど俺と会話ができなかったからね」と当時を思い返して中村も笑う。


●技術以上に、サッカー脳を伝える。
 ピッチ内で少しずつ出場機会を掴んだ大島は、風間体制後にスタメンとして定着。'14年からは中村とダブルボランチを組む機会が増え始め、日本屈指のゲームメーカーの隣で舵取りを叩き込まれて頭角を現していく。リオ五輪代表からA代表と着実にステップアップしていき、そしてW杯ロシア本大会に選出。その共同会見の場で、大島は中村に対する感謝の言葉をこう述べている。

 「サッカーでどう勝つか。試合でどう勝つかを考えずにプレーしてきた。そういったことを1から教えてもらい、見よう見まねでやってみることから始まった。全てを教えてもらったと感じてます」

 全てを教えたと話す中村憲剛が、大島僚太に最も伝えたかったこととは何だったのか。

 それは技術的な面ではない。ゲームの流れを読む思考や駆け引き、いわば「戦術眼」などサッカー脳の部分だったという。


●行き詰まったタイミングでヒントを。
 「相手が今、どうしたいのか。とにかく、そこに敏感になれ」

 そのことを何度も大島に説いたと中村は言う。

 「相手がどういうシステムで、こっちをハメに来ようとしているのか。そうしたら、どこが空くのか。ボランチが、そこを一番敏感に察知しなくてはいけない。相手の一番嫌なところを突くように味方を先導するのがボランチの仕事。相手が一番隠したいところを引き出されるわけで、そういうのをプレーで見せることが、怖さにもつながる。それをプレーで見せたりとか、話しながらとかしてましたね」

 自分のやりたいことをやるのではなく、相手の出方を見て、その弱点を突いていく。その柔軟性を植え続けていたのである。

 とはいえ中村も、手取り足取りで大島にレクチャーし続けていたわけではない。大島が行き詰まっているのではないかと感じ取ったタイミングで、その壁を越えるヒントを中村が伝えるというのが、2人の関係性だった。大島も熱心にアドバイスを求めるタイプではないが、いざというときに伝える言葉に真剣に聞き入る姿に、中村も助言を惜しまなかった。

 「モノはあったからね。もちろん、そこから先で伸びていくかどうかわからない。でもユウ(小林悠)もリョウタもそうだけど、素直だった。耳を傾けて、自分のものにしていける。そこで、もし『僕は、そうじゃないです』とか『僕、もう大丈夫です』と言われていたら、自分も話はしなかったと思う」


●昨年、久しぶりにアドバイスした。
 近年は助言する機会もめっきりと減っていたが、あるとき、「久しぶりに(大島に)アドバイスをしたよ」と中村が明かしてくれたことがあった。

 それは去年の3月、完敗を喫したリーグ第4節・FC東京戦(0-3)の後のことだ。

 狭い中央の密集地帯でもボールを扱える技術と機動力を持つ大島だが、それゆえに、対戦相手は、より徹底したマークで止めてくるようにもなっていた。このFC東京戦でも激しい圧力を中央で受け続け、マッチアップした橋本拳人にはファウルも辞さない覚悟でプレーを止められた。警告を受けた橋本は後半途中でベンチに下がったが、代わって入った田邉草民もハードマークを続ける徹底ぶりで、大島のユニフォームが破れてしまうほどだった。


●ちょっと息抜きで相手を困らせてみる。
 タイトな大島シフトを敷かれた結果、中央からの打開策を失った川崎は、この試合で鬼木体制での初黒星を喫している。

 「狭い真ん中をどうやって崩すか」にこだわっていた大島の姿をみかねた中村は、後日、アドバイスを伝えることにした。

 それはビルドアップの時に、中央だけではなく、サイドバックやセンターバックの間などにポジションを取る動きを意図的にやってみるという駆け引きだ。その位置取りによって、相手の守備陣形がどう出るのかを観察して揺さぶってみるのである。中村は言う。

 「自分もたまにやるんだけど、フラッとわざとサイドバックのほうにいく。そこで(相手の)誰が出てくるかを観察する。リョウタはボールを受けて、1人を剥がす。それはすごいけど、怪我もあるし、運動量も多い。基本的に真ん中でサッカーをするから、とにかく消耗するし、削られる。それを考えると、相手を動かして、スペースを作るという作業もこれからは必要になる。ちょっと息抜きのために、相手を困らせてみるのも良いんじゃないかと」


●「ヤットさんもよくやる」極意。
 主戦場はあくまで中央だが、ときにはわざとサイドにズラすことで、相手の目先や重心も動かしてみる。そうやって守備組織の穴を探るポジショニングでの駆け引きについて、中村は「ヤットさんもよくやる」と遠藤保仁の名前を挙げて話していた。

 実際、こうした提言は、大島の心にも強く響くものだった。珍しく饒舌に語ってくれたものだ。

 「自分のところで相手の守備のスイッチが入っているところがあるのは、やっていても感じていました。それをどう崩すかを考えていた部分も強いんです。サイドに流れたら、真ん中が空いてしまう不安もありました。ただうまく引き出して、サイドに流れてポジションを取る。そういう労力を使わない方法もこれからは必要かなと。その使い分けがあれば、相手の守備もやりにくさはあると思いますね」


●「俺は育て方を間違っていなかったな」
 こうした助言を経ながら、大島はゲームコントロールの極意を身につけていった。そしてチームは昨年リーグ制覇を果たしている。優勝が決まって等々力のピッチで泣いてうずくまる自分の元に、すぐに大島が駆け寄ってきていたことを映像で知った中村は、感無量だったという。

 「最初、ノボリ(登里享平)が来ているのかな。で、その後にリョウタが来ているんですよ。それを見て、『よかった。俺は育て方を間違っていなかったな』と(笑)。自分の思いをちゃんと汲んでくれていたんだな。あれをみて、このチームで優勝してよかったなと思った」

 ロシア大会の舞台の幕が、まもなく上がる。中村は自分の思いを重ねるように、期待を寄せる。

 「楽しみだよね。前回は、ヨシト(大久保嘉人)ぐらいだったし、そういう楽しみがなかったから。リョウタが日頃、ここでやっていることをどれだけピッチで出してくれるか」

 スイスとの親善試合、中盤では大島を経由するボールが明らかに増えた。

 それは西野ジャパン対策を進めている対戦相手からのマークが厳しくなることとイコールでもあるが、そんな状況に直面したときの打開策も、大島には備わっているはずだ。

 いかにして相手を困らせることができるか。

 W杯のピッチで、そんなことを考えながらプレーしている大島僚太の姿を目撃したい。

(「JリーグPRESS」いしかわごう = 文)



「Number Web 2018年6月14日掲載」

http://number.bunshun.jp/articles/-/831059

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