大島僚太に「自分の全てを教えた」憲剛流ゲームコントロールの極意。
「自分の全てを教えたよ。全部を叩き込んだつもり」
日本代表の壮行試合となったガーナ戦を終えたタイミングの頃だ。W杯ロシア大会に臨む日本代表・大島僚太について、中村憲剛がそんな風に話している。そして、本大会へのエールをこう続けた。
「リョウタがやってくれることが国内組の評価にもつながる。もしやれなかったら、『Jリーグだから』と言われるかもしれない。でもガーナ戦を見た限りでは中心になってやれる。『自信を持ってやれ』と言いましたよ」
手塩にかけて育てた大島が世界の舞台で躍動する姿を、心待ちにしているようだった。
●川崎に憲剛がいるとは知らなかった。
大島僚太が川崎フロンターレに入団したのは、2011年のことだ。
静岡学園高校3年生のとき、夏の大会でフロンターレのスカウトだった向島建の目に止まり、秋の練習参加を経て急遽内定となった。決まっていた大学進学を取り消し、異例の「滑り込み」で入団が決定したことは、いまだ有名なエピソードとなっている。
高校時代は、熱心にテレビ観戦をするタイプではなかった。高3時に開催された2010年の南アフリカW杯も、時差があった関係で試合をしっかりと見た記憶がないという。Jリーグの事情にも疎く、川崎に練習参加が決まった際も、思い浮かぶ選手といえばジュニーニョぐらい。
日本代表である中村憲剛や稲本潤一の存在は知っていたものの、彼らが川崎に所属していたことを把握しておらず、練習参加前に同級生から言われて、「そうなんだ」と気づいたほどだった。
ただ先入観がないゆえに、フラットな眼を持っていたとも言える。
「だって、まわりがいくら『すごい! 』と言っていても、実際にはそうではなかったりすることってあるじゃないですか」と笑っていたのを覚えている。周囲の評価や名前ありきで、実力を評価したりもしない。あくまでピッチに立った自分の肌感覚を大事にしているのは、現在と変わっていないところだ。
●「風呂、行くか?」「いや、いいです」
練習参加したときに、そのプレーを目の当たりにして衝撃を受けた選手がいる。
中村憲剛である。
「ケンゴさんは、本当にすごいと思いましたね。目の前で練習と試合を見て、『本当にすごい! この人より巧い人は見たことない! やばい! 』って、みんなに言いたくなりました(笑)」
中村憲剛の巧さを知らないサッカーファンは日本中で君ぐらいだよとツッコミたくなるところだが、詳しく知らなかったが故に、その興奮ぶりも格別だったのだ。
その数年後、両者は師弟関係を築くことになる。ただ、それがすぐに始まったわけではない。例えば新人時代のキャンプ中、人見知りでシャイな性格の大島は、中村からの「風呂、行くか?」という誘いを、緊張のあまり「いや、いいです」と思わず断ってしまったという伝説がある。「入った頃のリョウタは、ほとんど俺と会話ができなかったからね」と当時を思い返して中村も笑う。
●技術以上に、サッカー脳を伝える。
ピッチ内で少しずつ出場機会を掴んだ大島は、風間体制後にスタメンとして定着。'14年からは中村とダブルボランチを組む機会が増え始め、日本屈指のゲームメーカーの隣で舵取りを叩き込まれて頭角を現していく。リオ五輪代表からA代表と着実にステップアップしていき、そしてW杯ロシア本大会に選出。その共同会見の場で、大島は中村に対する感謝の言葉をこう述べている。
「サッカーでどう勝つか。試合でどう勝つかを考えずにプレーしてきた。そういったことを1から教えてもらい、見よう見まねでやってみることから始まった。全てを教えてもらったと感じてます」
全てを教えたと話す中村憲剛が、大島僚太に最も伝えたかったこととは何だったのか。
それは技術的な面ではない。ゲームの流れを読む思考や駆け引き、いわば「戦術眼」などサッカー脳の部分だったという。
●行き詰まったタイミングでヒントを。
「相手が今、どうしたいのか。とにかく、そこに敏感になれ」
そのことを何度も大島に説いたと中村は言う。
「相手がどういうシステムで、こっちをハメに来ようとしているのか。そうしたら、どこが空くのか。ボランチが、そこを一番敏感に察知しなくてはいけない。相手の一番嫌なところを突くように味方を先導するのがボランチの仕事。相手が一番隠したいところを引き出されるわけで、そういうのをプレーで見せることが、怖さにもつながる。それをプレーで見せたりとか、話しながらとかしてましたね」
自分のやりたいことをやるのではなく、相手の出方を見て、その弱点を突いていく。その柔軟性を植え続けていたのである。
とはいえ中村も、手取り足取りで大島にレクチャーし続けていたわけではない。大島が行き詰まっているのではないかと感じ取ったタイミングで、その壁を越えるヒントを中村が伝えるというのが、2人の関係性だった。大島も熱心にアドバイスを求めるタイプではないが、いざというときに伝える言葉に真剣に聞き入る姿に、中村も助言を惜しまなかった。
「モノはあったからね。もちろん、そこから先で伸びていくかどうかわからない。でもユウ(小林悠)もリョウタもそうだけど、素直だった。耳を傾けて、自分のものにしていける。そこで、もし『僕は、そうじゃないです』とか『僕、もう大丈夫です』と言われていたら、自分も話はしなかったと思う」
●昨年、久しぶりにアドバイスした。
近年は助言する機会もめっきりと減っていたが、あるとき、「久しぶりに(大島に)アドバイスをしたよ」と中村が明かしてくれたことがあった。
それは去年の3月、完敗を喫したリーグ第4節・FC東京戦(0-3)の後のことだ。
狭い中央の密集地帯でもボールを扱える技術と機動力を持つ大島だが、それゆえに、対戦相手は、より徹底したマークで止めてくるようにもなっていた。このFC東京戦でも激しい圧力を中央で受け続け、マッチアップした橋本拳人にはファウルも辞さない覚悟でプレーを止められた。警告を受けた橋本は後半途中でベンチに下がったが、代わって入った田邉草民もハードマークを続ける徹底ぶりで、大島のユニフォームが破れてしまうほどだった。
●ちょっと息抜きで相手を困らせてみる。
タイトな大島シフトを敷かれた結果、中央からの打開策を失った川崎は、この試合で鬼木体制での初黒星を喫している。
「狭い真ん中をどうやって崩すか」にこだわっていた大島の姿をみかねた中村は、後日、アドバイスを伝えることにした。
それはビルドアップの時に、中央だけではなく、サイドバックやセンターバックの間などにポジションを取る動きを意図的にやってみるという駆け引きだ。その位置取りによって、相手の守備陣形がどう出るのかを観察して揺さぶってみるのである。中村は言う。
「自分もたまにやるんだけど、フラッとわざとサイドバックのほうにいく。そこで(相手の)誰が出てくるかを観察する。リョウタはボールを受けて、1人を剥がす。それはすごいけど、怪我もあるし、運動量も多い。基本的に真ん中でサッカーをするから、とにかく消耗するし、削られる。それを考えると、相手を動かして、スペースを作るという作業もこれからは必要になる。ちょっと息抜きのために、相手を困らせてみるのも良いんじゃないかと」
●「ヤットさんもよくやる」極意。
主戦場はあくまで中央だが、ときにはわざとサイドにズラすことで、相手の目先や重心も動かしてみる。そうやって守備組織の穴を探るポジショニングでの駆け引きについて、中村は「ヤットさんもよくやる」と遠藤保仁の名前を挙げて話していた。
実際、こうした提言は、大島の心にも強く響くものだった。珍しく饒舌に語ってくれたものだ。
「自分のところで相手の守備のスイッチが入っているところがあるのは、やっていても感じていました。それをどう崩すかを考えていた部分も強いんです。サイドに流れたら、真ん中が空いてしまう不安もありました。ただうまく引き出して、サイドに流れてポジションを取る。そういう労力を使わない方法もこれからは必要かなと。その使い分けがあれば、相手の守備もやりにくさはあると思いますね」
●「俺は育て方を間違っていなかったな」
こうした助言を経ながら、大島はゲームコントロールの極意を身につけていった。そしてチームは昨年リーグ制覇を果たしている。優勝が決まって等々力のピッチで泣いてうずくまる自分の元に、すぐに大島が駆け寄ってきていたことを映像で知った中村は、感無量だったという。
「最初、ノボリ(登里享平)が来ているのかな。で、その後にリョウタが来ているんですよ。それを見て、『よかった。俺は育て方を間違っていなかったな』と(笑)。自分の思いをちゃんと汲んでくれていたんだな。あれをみて、このチームで優勝してよかったなと思った」
ロシア大会の舞台の幕が、まもなく上がる。中村は自分の思いを重ねるように、期待を寄せる。
「楽しみだよね。前回は、ヨシト(大久保嘉人)ぐらいだったし、そういう楽しみがなかったから。リョウタが日頃、ここでやっていることをどれだけピッチで出してくれるか」
スイスとの親善試合、中盤では大島を経由するボールが明らかに増えた。
それは西野ジャパン対策を進めている対戦相手からのマークが厳しくなることとイコールでもあるが、そんな状況に直面したときの打開策も、大島には備わっているはずだ。
いかにして相手を困らせることができるか。
W杯のピッチで、そんなことを考えながらプレーしている大島僚太の姿を目撃したい。
(「JリーグPRESS」いしかわごう = 文)
「Number Web 2018年6月14日掲載」
http://number.bunshun.jp/articles/-/831059