現在地:御徒町
静岡まであと 150.1km(直線距離)
北近畿・ミニエコー・渋谷駅と、ダイヤ改正でいなくなる列車や駅を堪能した、その次の日のこと。
午前6時半と早いですが、ホテルを出発しました。
ちなみにこれがホテルの全景。
目の前を首都高速上野線が通っています。
御徒町駅に向かい、今日の起点となる東京駅に向かいます。
なんと伊右衛門ラッピングの車両(E231‐500系545編成)に出会いました。何がすごいのかというと……
このように、通常は緑の帯が一本入るだけのステンレス車体が、黄緑一色に塗られているのです。
元々は「みどりの山手線50周年」を記念したラッピングなのですが、いつの間にかお茶の宣伝をさせられていました。なぜだ。
あれ? 山手線は緑じゃないの? と思う人もいるかもしれませんが、登場時からエメラルドグリーンだったのは205系とE231系だけ。意外と知られていませんが、2世代前の103系の運転当初は、総武線と同じ黄色一色でした。その前は、ブドウ色の旧型国電が幅を利かせていました。
毎度のことではありますが、7時前というのに東京駅は人で溢れていました。東京の人はいつ寝ているんでしょうか。鉄道ファンには始発から終電までが活動時間と宣う人がいますが、終電1時、始発5時の東京でその生活は異常だと思います。
ダイヤ改正前の最終日。本日の目的は、緑の看板の奥にあります。
途中下車をし過ぎて改札を通せない切符を駅員に見せ、中に入ります。
北に向かう新幹線全てが発着する東京駅では、東北系統(東北・山形・秋田)と上越系統(上越・北陸)で案内が分かれています。
今日の狙いは上越新幹線「たにがわ471号」です。
ホームへ上がります。定期ダイヤでも4分に1本という恐ろしい密度です。JR東日本の苦心の成果ですが、ひとたび詰まると大惨事。大宮から東京まで団子のように連なることになります。
東京に集う新幹線。左から、E2‐1000系「はやて」、E2‐0系「あさま」、E4系「Maxとき」です。JR東日本の新幹線は、種類も行先も豊富で、見ていて飽きません。一方、どこぞの倒壊は全部カモノハシにしやがって……
隣に東海道新幹線のホームがあります。隣接する14番線には、最近登場したN700A系――正式にはN700系1000・4000番台。形式は780台(グリーン車)/790台(普通車)――です。帯の「A」がその印です。
7時16分。「たにがわ471号」が入線してきました。
この列車に狙いを定めていた理由は――
――200系が使用されている数少ない列車だったからです。
東海道・山陽の0系と同じ団子鼻を採用した200系は、東北・上越新幹線の開業と同時に投入された車両です。言わば0系の寒地用ということですが、雪の多い地域を走ることから床下は全て覆い、スノープラウ付きのスカート、雪切り室など、北国用の装備をしています。東京から短時間(東京~仙台・新潟:2時間、東京~盛岡:3時間)ということで食堂車の連結が見送られたのも特徴といえば特徴です。
その後、リニューアル、塗装変更などがありましたが、1982年の登場から実に30年近くにわたって活躍を続けてきました。国鉄時代の面影を残した200系の頑丈さは、2004年の上越地震で証明される形となりました。
が、北の老兵も時代の波には勝てず、東北新幹線からは2011年を持って引退。その後も上越路で頑張ってきましたが、2013年3月15日をもって定期運転を終了。その後のイベント列車も含めて、4月で完全に線路上から退くことになりました。
この日運用に入っていたのはK51編成。200系の運用は1月26日で大幅に運用が減り、日中はほとんど姿を見せなくなりました。それに合わせて残る編成も5編成から3編成へと減り、その状態で定期運行最終日を迎えることになりました。
東京駅の駅名表とリニューアル色。
停車中、隣のホームにE5系「なすの254号」→「はやて15号」が到着。東北新幹線最新鋭と最古参が並びました。時代を象徴する一コマです。
E5系が停まるのを待っていたら、鼻が長すぎてご覧の通り見切れてしまいました。残念。
東海道の700系と並ぶ200系。
東日本大震災以来続く「つなげよう、日本」のステッカーも健在です。
1号車入口。扉横の切れ込みが雪切り室です。モーターを冷やすために外気を取り込むのですが、その時は言ってしまった雪がモーターに向かわないようにする空間です。
登場から30年がたった200系は、90年代後半に大規模なリニューアルがされました。当時の最新鋭・E2系にあわさせる形となり、表示もLEDに変えられています。
「たにがわ471号」はグリーン車の9号車・指定席の10号車を除いてすべて自由席です。
発車までの約10分の間に、急いで車内点検と整備が行われます。一旦ドアが閉まるJR東海とは違い、JR東日本は紐を張るだけです。
先頭の222-1518にヘッドライトが灯りました。まもなく出発です。
[種別:新幹線 上越新幹線 たにがわ471号 東京7:28→高崎8:27]
《東京7:24発》
開業当初、東京~大宮は建設途中でした。人口の密集しているこの地域では建設反対の動きが強かったためです。しばらくの間、東北・上越新幹線は大宮を起点にし、空白の区間は185系の「新幹線リレー」が繋ぐ形で運行していました。
住民との和解で上野~大宮間が開通したのは開業から3年後の1985年。当初は上野駅の設置はなく上野公園の真下を通る予定だったものが、東京駅の用地不足が原因で急遽サブターミナルとして作られることになりました。東京駅まで到達するのはJRになってからのことです。
この変更で上野~大宮間はカーブが連続することになり、和解条件の一つ「110km/h以下で運行すること」が重なり、東北・上越新幹線の足かせとなっています。
山手線を眼下に見ながら進む200系。平日の朝なので、E231系500番台11両の列車は満員なのでしょう。
7時54分、大宮を発車。早くも「たにがわ471号」の道のりの半分に差し掛かりました。
発車しばらくは東北新幹線と上越新幹線の線路が並ぶ、貴重な新幹線の複々線区間を走ります。
上越新幹線単独になったところで、車内を巡ってみます。
運転台端にあるK51編成の表示。
200系は関東平野の中を進みます。
指定席の10号車の様子です。
「たにがわ471号」は、平日運行ということからもわかる通り、通勤・通学を主眼にしています。そのため10両中8両が自由席なのですが、指定席もそこそこ着席がありました。「たにがわ471号」が行くのは高崎まで。東京から100kmちょっとしかありません。東海道に直すと東京~熱海より短いです。短区間でも指定席を利用する人がいることに驚きです。
9号車のグリーン車(215-1021)を覗いてさらにびっくり。JR東日本はグリーン料金が安い(東京~高崎なら自由席料金+2000円)とはいえ、こんな朝の列車(それも下り)のグリーン車に乗らなくても……と思ってしまいます。
8時7分・熊谷。各駅停車の「たにがわ471号」はほぼ10分おきに停まります。速度が安定してきたな……と思い始めた頃にブレーキがかかる感じです。
1時間の旅はあっという間に終わり、8時27分、高崎駅11番線に到着しました。
《高崎8:27着》
「たにがわ471号」は1時間後に「たにがわ476号(高崎9:20→東京10:20)」となって折り返すまで11番線に居続けます。
次に乗る列車まで時間があるので、しばらく200系を撮ることにします。
9号車(グリーン車)横の車掌室。
10号車のパンタグラフ。0系と同じ小型のひし形パンタですが、パンタグラフ横の防風壁はありません。
車体番号は、この10号車のように金属のものと白のペイントのものが編成内でごっちゃになっていました。
白ペイントはこんな感じです(7号車・225-504)。
「つながろう日本」のもう一つのステッカーがこちら。
以下、200系をいろんな角度からご覧ください。
このままこの編成で東京まで戻ってもいいのですが、K51編成とはこれでお別れです。ありがとう、K51。
つづく!
現在地:高崎
静岡まであと160.1km(直線距離)
あれ、静岡からだんだん遠ざかってるんじゃ……
静岡まであと 150.1km(直線距離)
北近畿・ミニエコー・渋谷駅と、ダイヤ改正でいなくなる列車や駅を堪能した、その次の日のこと。
午前6時半と早いですが、ホテルを出発しました。
ちなみにこれがホテルの全景。
目の前を首都高速上野線が通っています。
御徒町駅に向かい、今日の起点となる東京駅に向かいます。
なんと伊右衛門ラッピングの車両(E231‐500系545編成)に出会いました。何がすごいのかというと……
このように、通常は緑の帯が一本入るだけのステンレス車体が、黄緑一色に塗られているのです。
元々は「みどりの山手線50周年」を記念したラッピングなのですが、いつの間にかお茶の宣伝をさせられていました。なぜだ。
あれ? 山手線は緑じゃないの? と思う人もいるかもしれませんが、登場時からエメラルドグリーンだったのは205系とE231系だけ。意外と知られていませんが、2世代前の103系の運転当初は、総武線と同じ黄色一色でした。その前は、ブドウ色の旧型国電が幅を利かせていました。
毎度のことではありますが、7時前というのに東京駅は人で溢れていました。東京の人はいつ寝ているんでしょうか。鉄道ファンには始発から終電までが活動時間と宣う人がいますが、終電1時、始発5時の東京でその生活は異常だと思います。
ダイヤ改正前の最終日。本日の目的は、緑の看板の奥にあります。
途中下車をし過ぎて改札を通せない切符を駅員に見せ、中に入ります。
北に向かう新幹線全てが発着する東京駅では、東北系統(東北・山形・秋田)と上越系統(上越・北陸)で案内が分かれています。
今日の狙いは上越新幹線「たにがわ471号」です。
ホームへ上がります。定期ダイヤでも4分に1本という恐ろしい密度です。JR東日本の苦心の成果ですが、ひとたび詰まると大惨事。大宮から東京まで団子のように連なることになります。
東京に集う新幹線。左から、E2‐1000系「はやて」、E2‐0系「あさま」、E4系「Maxとき」です。JR東日本の新幹線は、種類も行先も豊富で、見ていて飽きません。
隣に東海道新幹線のホームがあります。隣接する14番線には、最近登場したN700A系――正式にはN700系1000・4000番台。形式は780台(グリーン車)/790台(普通車)――です。帯の「A」がその印です。
7時16分。「たにがわ471号」が入線してきました。
この列車に狙いを定めていた理由は――
――200系が使用されている数少ない列車だったからです。
東海道・山陽の0系と同じ団子鼻を採用した200系は、東北・上越新幹線の開業と同時に投入された車両です。言わば0系の寒地用ということですが、雪の多い地域を走ることから床下は全て覆い、スノープラウ付きのスカート、雪切り室など、北国用の装備をしています。東京から短時間(東京~仙台・新潟:2時間、東京~盛岡:3時間)ということで食堂車の連結が見送られたのも特徴といえば特徴です。
その後、リニューアル、塗装変更などがありましたが、1982年の登場から実に30年近くにわたって活躍を続けてきました。国鉄時代の面影を残した200系の頑丈さは、2004年の上越地震で証明される形となりました。
が、北の老兵も時代の波には勝てず、東北新幹線からは2011年を持って引退。その後も上越路で頑張ってきましたが、2013年3月15日をもって定期運転を終了。その後のイベント列車も含めて、4月で完全に線路上から退くことになりました。
この日運用に入っていたのはK51編成。200系の運用は1月26日で大幅に運用が減り、日中はほとんど姿を見せなくなりました。それに合わせて残る編成も5編成から3編成へと減り、その状態で定期運行最終日を迎えることになりました。
東京駅の駅名表とリニューアル色。
停車中、隣のホームにE5系「なすの254号」→「はやて15号」が到着。東北新幹線最新鋭と最古参が並びました。時代を象徴する一コマです。
E5系が停まるのを待っていたら、鼻が長すぎてご覧の通り見切れてしまいました。残念。
東海道の700系と並ぶ200系。
東日本大震災以来続く「つなげよう、日本」のステッカーも健在です。
1号車入口。扉横の切れ込みが雪切り室です。モーターを冷やすために外気を取り込むのですが、その時は言ってしまった雪がモーターに向かわないようにする空間です。
登場から30年がたった200系は、90年代後半に大規模なリニューアルがされました。当時の最新鋭・E2系にあわさせる形となり、表示もLEDに変えられています。
「たにがわ471号」はグリーン車の9号車・指定席の10号車を除いてすべて自由席です。
発車までの約10分の間に、急いで車内点検と整備が行われます。一旦ドアが閉まるJR東海とは違い、JR東日本は紐を張るだけです。
先頭の222-1518にヘッドライトが灯りました。まもなく出発です。
[種別:新幹線 上越新幹線 たにがわ471号 東京7:28→高崎8:27]
《東京7:24発》
開業当初、東京~大宮は建設途中でした。人口の密集しているこの地域では建設反対の動きが強かったためです。しばらくの間、東北・上越新幹線は大宮を起点にし、空白の区間は185系の「新幹線リレー」が繋ぐ形で運行していました。
住民との和解で上野~大宮間が開通したのは開業から3年後の1985年。当初は上野駅の設置はなく上野公園の真下を通る予定だったものが、東京駅の用地不足が原因で急遽サブターミナルとして作られることになりました。東京駅まで到達するのはJRになってからのことです。
この変更で上野~大宮間はカーブが連続することになり、和解条件の一つ「110km/h以下で運行すること」が重なり、東北・上越新幹線の足かせとなっています。
山手線を眼下に見ながら進む200系。平日の朝なので、E231系500番台11両の列車は満員なのでしょう。
7時54分、大宮を発車。早くも「たにがわ471号」の道のりの半分に差し掛かりました。
発車しばらくは東北新幹線と上越新幹線の線路が並ぶ、貴重な新幹線の複々線区間を走ります。
上越新幹線単独になったところで、車内を巡ってみます。
運転台端にあるK51編成の表示。
200系は関東平野の中を進みます。
指定席の10号車の様子です。
「たにがわ471号」は、平日運行ということからもわかる通り、通勤・通学を主眼にしています。そのため10両中8両が自由席なのですが、指定席もそこそこ着席がありました。「たにがわ471号」が行くのは高崎まで。東京から100kmちょっとしかありません。東海道に直すと東京~熱海より短いです。短区間でも指定席を利用する人がいることに驚きです。
9号車のグリーン車(215-1021)を覗いてさらにびっくり。JR東日本はグリーン料金が安い(東京~高崎なら自由席料金+2000円)とはいえ、こんな朝の列車(それも下り)のグリーン車に乗らなくても……と思ってしまいます。
8時7分・熊谷。各駅停車の「たにがわ471号」はほぼ10分おきに停まります。速度が安定してきたな……と思い始めた頃にブレーキがかかる感じです。
1時間の旅はあっという間に終わり、8時27分、高崎駅11番線に到着しました。
《高崎8:27着》
「たにがわ471号」は1時間後に「たにがわ476号(高崎9:20→東京10:20)」となって折り返すまで11番線に居続けます。
次に乗る列車まで時間があるので、しばらく200系を撮ることにします。
9号車(グリーン車)横の車掌室。
10号車のパンタグラフ。0系と同じ小型のひし形パンタですが、パンタグラフ横の防風壁はありません。
車体番号は、この10号車のように金属のものと白のペイントのものが編成内でごっちゃになっていました。
白ペイントはこんな感じです(7号車・225-504)。
「つながろう日本」のもう一つのステッカーがこちら。
以下、200系をいろんな角度からご覧ください。
このままこの編成で東京まで戻ってもいいのですが、K51編成とはこれでお別れです。ありがとう、K51。
つづく!
現在地:高崎
静岡まであと160.1km(直線距離)
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