付与前の特許異議申立制度が付与後の異議申立制度に変わったのは、確か平成7年であったと思う。私は平成6年4月に2年間研究開発官として出向していた工業技術院から特許庁に戻った。
すでに、付与後異議にすることは、日米合意でもあり、残念ながら戻す術はなかった。付与前異議制度がなくなることに一抹の寂しさがあったが、これも時の流れかと思った。私だけでなく、付与前異議制度を是としていた多くの審査官も諦めムードになっていたと思う。
その頃、日本の特許出願件数は急増しており、特許庁もたくさんのバックログ(滞貨)を抱えていた。だから、異議の審査自体が、通常出願の処理の遅れにつながっていたことは事実であったと思う。アメリカは異議制度を審査を遅らせる制度として攻撃してきたのである。
私は平成9年から、審査第五部(現在の特許審査第四部)の映像機器の審査長に就任した。ここでは、私が審査官時代と審査長時代に行った異議の審査についていくつか紹介したい。私が映像機器の審査長になったとき、部屋(審査室)のロッカーには、異議審査待ち案件が大量にあった。異議決定は、公告決定した審査官が行うのが最も効率的かつ効果的であるという私の考えには変わりがない。しかし、その頃の審査官には、新願のバックログの処理におわれていた。
当時の審査室映像機器の担当技術は、テレビ技術とファクシミリ技術であった。画像通信、画像処理技術がメインであり、私が長年、審査官としてやってきた分野のものだから、私にも異議決定はできると思った。
審査長としての日常の仕事の合間に、私は異議事件の書類を読んだ。家に持ち帰って読んだことも多い。私は映像機器の審査長をやっている期間中に100件程の異議決定をした。すべて、テレビとファクシミリに限られるのであるが面白い事例もあった。ひとつだけ、異議決定ではない変わった解決手段をとったことがある。
A社のファクシミリの実用新案登録出願の公告決定に対して、B社から異議申し立てがあった事件である。証拠は、B社製品の設計図とその公知性を証明するための証人尋問の申請である。異議決定をするためには、証人尋問が不可欠であった。仮に、証人尋問に設計図の公知性が証明されたとしても、本件のクレームに記載されているものが設計図とが同じものであるかどうか、あるいは設計図に記載された事項から当業者が容易にクレームされた発明に到達できるのか否かの判断も微妙な事件であった。
担当課の異議係りに聞いたところ、証人尋問ができるのが約1年後になるという。審査長という立場で1年間も待っていられない。そこで、「和解?」という方法を考えた。裁判所でも和解による解決が多いと聞く。だから、異議決定においても和解による解決があっても良いのではないかと考えたのである。まず、B社(異議申立人)の代理人を呼んでこのように聞いた。「A社が御社(B社)に権利行使をしないことを保証したら、御社は異議申し立てを取り下げることは可能ですか?」と。B社の代理人は、「A社がB社に権利行使をしないことを約束してくれれば、異議を取り下げてもよい。」と言った。それから、私は日を改めてA社(出願人)の代理人を呼んで次のような話をした。「B社(異議申立人)は、A社が権利行使しないならば、異議を取り下げてもよいと言っていますが、御社(A社)は異議申立人B社に対して権利行使するつもりですか。」と。
出願人A社は、異議申立人B社に対して権利行使するつもりはないと言った。ただ、アジアへの輸出をしているので、日本で登録にならないと困るというのである。私は、和解文案をA社とB社に示し、双方の社長印を付した覚書を作った。これで一見落着した。
審査長時代に私が行った約100件の異議決定は、私が特許の実務家として立つ上で極めて意義のあるものであった。今、裁判所で特許の無効が判断されるようになり(特許法104条の3)、出願人は特許をとっても権利行使するのを不安に思う状況になっている。そうであれば、付与前異議のような制度を復活させ、特許庁レベルで有効性の高い権利、つまり、簡単には潰すことができない権利を設定することが必要ではないか。(平成24年8月5日)