2001年9月8日
古い日記を見ていると、たまに「おっ!」と思うことが書いてある。
昭和54年の今日、ぼくはバイト先で中原理恵に会っているのだ。(会ったというより、見たといったほうが正しいだろうが)
当時ぼくは、東京のMというスーパーマーケットでアルバイトをしていた。彼女はその店に来ていたのだ。“東京ララバイ”がヒットした翌年である。イベントか何かでの来店かと思い、歌が聴けるかもと期待していたのだが、ただの買い物だった。
その日の日記には、
「中原理恵が店に来ている」というので店内に行った。レジのところにジーンズをはいた痩せた女性が立っていた。バイト仲間のKに「あれか?」と聞くと、「おう」と言った。「なーんだ、ただのねーちゃんやん」とぼくは思った。・・・
と書いてある。
そういえば、東京にいた頃、芸能人を何人か見たことがある。
御茶ノ水駅前で、中谷一郎(水戸黄門の風車の弥七役の人)を見たのが最初だった。
次が、宍戸錠だった。その頃、女子プロ野球の『ニューヤンキース』というチームがあった。女子プロ野球とはいうものの、別にそういう機構があったわけではなく、芸能人チームやプロ野球OBチーム相手に野球をやっていただけだ。フジテレビがやっていたチームで、のちのおニャン子クラブの野球版と思ってもらったらいいと思う。
その『ニューヤンキース』にぼくの知り合いが所属していた。
「今度出場するから、しんたさんも見に来て」
と言われ、神宮球場まで見に行ったのだが、その時の相手が『日活OBチーム』だった。
神宮球場で開場待ちをしている時に、ほっぺたの大きな人がぼくたちの横を通り過ぎていった。それが錠さんだった。
中原理恵を見た少し前、たしか7月だったと思うが、凄い人を見た。それも50センチ位間近で。
その日の昼食後、代々木の街を歩いていると、反対方向から一人の男性が歩いてきた。ちょっと背の低い人だった。すれ違う時、横目でその人を見たのだが、それこそ『ちかっぱ、いい男』なのである。
その人は車道に降り、停めてあったサバンナRX7に乗り込んだ。いっしょにいた友人に
「いい男やったのう。芸能人か?」
と聞くと、
「見てなかった」
と友人は言う。
『誰だろう?』と思いながら歩いていると、その辺にたむろしていた女の子たちが、
「かっこよかったねえ」
「映画のロケだって」
「やっぱりRX7だったね」
などと言っている。
そういえば、その日代々木で“太陽を盗んだ男”のロケをやるといっていたのを思い出した。
『・・・ということは、あの人はジュリー!』
沢田研二といえば、前に日記にも書いたが、小学生時代のぼくのヒーローの一人だ。それから数ヶ月の間、ことあるたびに「おれ、ジュリーに会った」と触れ回っていた。今でも、その時の状況やジュリーの顔をしっかりと覚えている。
その後も、岩崎宏美や仁科明子のお母さんや作家の田中小実昌などを見たが、ジュリーほどの衝撃は受けなかった。
東京に住んでいた頃、有名人を見たのはそのくらいだったか?もっと見たような気がしたのだが。それでも、東京に行く前の20年間に見た有名人の数よりは多い。