2002年3月10日
ぼくがお笑いを好きになったのは、『おそ松君』の影響が多分にある。小学生の頃に読んだ少年サンデーの『おそ松君』は、当時のお笑いのギャグのオンパレードだった。
「やんな!」「びっくりしたなあ、もう」「親亀の背中に・・・」「いやーん、いやーん」などは、すべて『おそ松君』で知った。
それからぼくはお笑い番組を見るようになった。特に日曜日になると『大正テレビ寄席』を始めとして、いくつかのお笑い番組があった。それを見るのが楽しみだった。
当時ぼくが好きだったのは、『獅子てんや瀬戸わんや』『てんぷくトリオ』『林家三平』『三遊亭歌奴』『Wけんじ』、それと『ドリフターズ』だった。
『てんやわんや』はてんやさんの、クールなつっこみやいびりが面白く、好きだった。たまに昔の漫才をやっているが、当時のてんやわんやは今見ても笑える。おそらく彼らの全盛期の漫才は、『やすきよ』や『ツービート』『B&B』でもかなわないとぼくは思っている。
『てんぷくトリオ』は何といっても、伊東四朗だった。彼の飄々としたボケぶりが好きだった。
解散後、三波伸介が人気を博した時期があった。ちょうど三波が『笑点』の司会をやっていた頃だが、その頃三波を見るたびに「伊東四朗はどうしてるんだろう」と思っていた。
小学6年でぼくのお笑い番組好きは一応幕を閉じるが、それから「見ごろ食べごろ笑いごろ」を見るまで、ぼくは伊東四朗にはお目にかからなかった。(ドラマ『ムー』)ベンジャミン伊東を見たときは、正直うれしかった。
ぼくはこの「見ごろ食べごろ・・・」は毎週欠かさず見ていた。キャンディーズが出ているというのもあったが、一番の理由は伊東四朗に会えるからだった。
後に「ヤクルトタフマン」のCMに彼が出ているのを見た時は、「これぞ伊東四朗だ」と思ったものである。
『林家三平』は以前ここでも書いたが、ぼくは後ろでアコーディオンを弾いている人が好きだった。あの無表情さが特によかった。
『三遊亭歌奴(今の圓歌師匠)』を知ったのは、例の「山のアナアナ」が一世を風靡した時期だった。しかしぼくにとって「山のアナ」はどうでもいいことだった。三平をけなすのを見るのが好きだったのだ。
新宿末広亭の中継の時だったと思うが、歌奴がいつものように三平をけなしていると、突然三平が乱入してきたことがある。おそらく打ち合わせしていたのだと思うが、あれは面白かった。
『Wけんじ』は宮城けんじが好きだった。
この人の、無表情に淡々と話すのがおもしろかった。
「やんな」というギャグがあったが、ぼくは使ったことがない。
そして『ドリフターズ』。
ぼくは全員集合よりも、大正テレビ寄席に出ていた頃のドリフのほうが好きだった。全員集合のほうは、いつもネタに追われているようで、ギャグに余裕がなかったように感じた。テレビ寄席の頃はネタを充分に練っていたので、安定した面白さがあった。
もちろん加藤茶がメインだったが、他のメンバーも面白かった。ちなみに、ぼくは荒井注のファンだった。
かつてお笑い番組を見ていた頃は、腹の底から笑っていたものだった。しかしそういう笑いも、『コント55号』を最後に終わってしまった。
中学生になってからは、お笑い番組を見ても、ぼくはあまり笑わなくなったのだ。おそらく小学生の頃に、一流のお笑いを見てしまったせいだろう。
その後、80年代のマンザイブームまで、お笑いに対する笑いを忘れていた。
笑いを思い起こさせてくれたのは『B&B』だった。あのスピード押してくるマンザイは、驚きでもあった。しかし、彼らも時代の波とともに消えていった。