高校時代、ある友人から「教祖になれ」と言われたことがある。「何の教祖か?」と聞くと、「宗教」だという。「何で宗教の教祖なのか」と尋ねると、「お前、仙人みたいだから」という答。
確かに、その頃の愛読書は『老子』や『荘子』で、無為自然の考え方に憧れを持ってはいた。そのせいで、ボーッとした雰囲気を醸し出していたのかもしれない。しかし、それを教義にして、宗教を起ち上げようなどということは、考えたことはなかった。
そもそもぼくには、教祖になる素質がない。特殊な能力があるわけでもなく、人を導くような教義を持っているわけでもない。何よりも教祖に不可欠なカリスマ性というものがないのだから、それは無理である。もしそれでもなるとしたら、インチキ宗教の開祖になるしかない。
2、
昔読んだマンガに『笑う宗教』というものがあった。辛い時も、悲しい時も、笑っていれば救われるというものだったが、これなら出来そうな気がする。
最近は笑うことが少なくなったが、ぼくは元来笑い上戸の男なのである。小学生の頃などは、人のすることがおかしくて、いつも一人で笑っていたものだった。
その頃のぼくは、笑い出すとなかなか止まらない人間だった。そのために腹は痛くなる、涙は出てくる。そういう自分がおかしくて、また笑ってしまう。
3、
授業中に一度、誰かの発言がツボにはまってしまい、笑いが止まらなくなっなったことがある。先生はそれを見て、
「あんた何がそんなにおかしいんね。他の人は誰も笑ってないやろ?」と言った。
「だっておかしいもん」とぼくは答えた。
その先生とのやりとりが、またおかしく感じる。で、また笑ってしまう。
すると先生は怒ってしまい、
「授業の妨げになる。廊下に立ってなさい!」と怒鳴るのだ。
廊下に立っていても、しばらく笑いは収まらなかった。
4、
考えてみると、あの頃が一番楽しかった。もしかしたら、それ以降あまり笑わなくなったから、楽しくなくなったのかもしれない。楽しいことが福なら、やはり笑う門には福がくるのだろう。
そうだ。これだ。笑っているだけで、儲かるのだから、これはいい商売だ。元手がいらないのだから、お布施がすべて利益になるわけだ。
しかし、それならぜひ、ぼくに「教祖になれ」と言った友人に教祖になってもらいたい。何せ、彼の高校時代のあだ名の一つが、『笑い仮面』だったのだからだ。
ぼくは教祖様の取り巻きでいい。つまり、映画『教祖誕生』の中の、岸部一徳役で充分ということだ。
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 日記(786)
- もう一つの日記(1)
- ぶるうす(253)
- 思い出(28)
- 過去の日記(181)
- 言葉をつま弾く(29)
- 詩風録(13)
- 街風景(0)
- 夢見録(0)
- 吟遊(0)
- 生活(3)
- 事件簿(0)
- 飲食ネタ(1)
- 頑張る40代!(0)
- 健康一番(6)
- 備忘録(0)
- ローカルな話(1)
- 聴き歩き(1)
- スポーツ(0)
- 仕事の話(3)
- HP・PC・携帯(0)
- 想い出の扉(4)
- 中学時代(0)
- 高校時代(0)
- 浪人時代(0)
- 東京時代(0)
- 旅行記(0)
- 吹く風録(0)
- 筋向かいの人たち(0)
- 嫁ブー(0)
- ヒロミちゃん(1)
- 甘栗ちゃん(0)
- タマコ(0)
- 酔っ払いブギ(16)
- 歌のおにいさん(0)
- たまに人生を語る(0)
- 延命十句観音経霊験記(0)
- 霊異記(1)
- 携帯写真館(0)
- 本・読書(0)
- 歳時記(0)
- テレビ・芸能(1)
- 動物録(3)
- 時事・歴史(0)
- がらけろく(27)
- しゃめがら(1)
- 自戒(1)
- モノラル(2)
- 入院日記(0)
- リライト(50)
- 履歴書(0)
バックナンバー
人気記事