2002年4月10日
休みの日、昼過ぎに「ピンポーン」とチャイムが鳴った。出てみると、そこには小太りのおっさんがいた。
「はい、どちら様でしょうか?」
「こんにちはー、読売新聞ですけど」
新聞の勧誘だった。ぼくは、こういう時の応対は、いたって冷静である。
「ああ、読売さんですか。それは残念なことをしました」
「え?」
「うちには、巨人ファンはいませんからねえ」
「ホークスファンでしょ。よく言われるんですよ。でも、読売新聞はホークス情報も満載ですよ」
「西スポよりも?」
「いや、西スポさんほどじゃないけど・・・」
「残念ですねえ。うちは西スポなんですよ」と、お引き取りいただいた。
ちなみにうちで取っているのは、西スポではなく産経新聞である。
新聞の勧誘は実にしつこい。
だいたい新聞というのはどこも似たり寄ったりだから、よっぽど個性的な新聞の名を持ち出さないかぎり、相手は引いてくれない。つまり、毎日新聞の勧誘に来た時に、「うちは朝日ですから」ではだめだ、ということだ。
ぼくは毎日新聞が来たときには、
「すいませんねえ、うちは日経とってますから」と言うことにしている。だいたいこう言えば、相手は引いてくれる。
「一般紙も読んでみませんか?スポニチもお付けしますよ」と突っ込んでくることもある。そういう時は、
「うちには三紙も取る余裕なんてありませんよ。それに古新聞を置く場所もないし」
「古紙は回収していますよ」
「じゃあ、荷造りしてくれますか?」
「いや、それは・・・」
休みの日に家にいると、いろいろな人がやってくる。
「私、O教会からやって参りました」
ドアを開けてみると、そこには子連れの女性が立っている。
「なんでしょう?」と聞くと、聖書を買ってくれという。その子供までが
「お願いしまーす」と言う。
「申し訳ありませんけど、うちは代々浄土真宗の家系でして」と言ってお断りする。
それでもしつこく食い下がる人には、「パーン」と手を叩き、
「さて、どちらの手がなったでしょう?」と質問する。相手は戸惑う。すかさず、
「これがわかったら買いましょう」と言う。相手は気味悪がって帰っていく。ぼくは合掌して送り出す。
実はこの「パーン」は、禅問答のひとつである。答はぼくにもわからない。勧誘撃退だから、何でもありだ。相手が何か答えたら、「違います」と言うだけである。
そういえば、彼女たちは以前、機関紙を売って歩いていた。
「いりません」と言うと、
「お金はいいですから、読んで下さい」と言って、それを置いていった。
ただで置いていくくらいなら、ポストに入れればすむことじゃないか。わざわざ「ピンポーン」する必要はない。神に仕える身の人のすることは、よくわからない。
新聞、宗教の他にも、互助会、生命保険、物売り、共産党など、さまざまな人がやってくる。そのつど応対も変わるのだが、一度失敗したことがある。
第一生命が来た時である。
「こんにちは、第一生命です」
「ああ、第一生命さん。ぼく入ってますよ」
「そうでしたか。それはすいませんでした」と言って帰った。
後日、その人がまたやってきた。
「こんにちは、第一生命です」
「ああ、どうしたんですか?」
「帰って調べたんですが、しんたさんの名前はありませんでしたよ」
「え、調べたんですか。しょうがないなあ」
「顧客を検索したら、すぐにわかりますよ」
そう言って、彼女は笑いながら帰っていった。