2005年03月1日
柔道の町道場で居合道を習っていたことを書いたが、実はその道場ではもう一つの武術を教えていた。それは手裏剣術である。
手裏剣と言っても、忍者映画に出てくる八方手裏剣などではない。棒手裏剣である。五寸釘の太いやつと思ってもらえばいい。先生は、その道の宗家でもあったのだ。
先生は支那事変の時、部下の敵を手裏剣で取ったという。何でも、敵兵を待ち伏せしておき、何歩か手前に来たところで、手裏剣を投げたらしい。そしてそれがすべて当たり、かなりの損傷を与えたのだという。
その先生、常日頃ホラばかり吹いている方だったので、ぼくは最初またいつものホラが始まったと思って聞いていた。
ところが、それは本当のことだった。その時の新聞の切り抜きを見せてもらったのだ。その新聞の見出しには、『近代戦に手裏剣』と書いてあった。
ぼくたちがどんな練習をやっていたのかと言えば、壁に板を立てかけ、そこから十メートルほど離れたところから手裏剣を投げる、ただそれだけであった。
ぼくたちは、その練習を、柔道や居合の練習の合間にやらせてもらっていた。だが、これがけっこう難しい。最初のうちは、力任せに投げていたのだが、それではなかなか的に刺さらない。
そこで先生に、
「どうやったら刺さるんですか?」とそのコツを聞いてみた。
「肩で投げるな」と先生は言った。
「肩で投げんで、どこで投げるんですか」と聞くと、先生は
「腰で投げろ」と言う。
腰で投げる、この要領がわからない。そこで先生の投げ方を見てみると、なるほど肩には全然力が入ってない。それなのに、板に刺さる時には火花が散るのだ。
そこで先生の投げ方を真似てやってみた。すると、10回のうち2,3度は刺さるようになった。刺さる時には、手裏剣が的の前でゆっくりと一回転する。それが気持ちいい。
それから手裏剣に病みつきになった。先生から、手裏剣を分けてもらい、家でも練習することにした。
しかし、分けてもらったのは一本だけだった。そのため、投げるたびに手裏剣を取りに行かなければならない。それが面倒で、そのうち家で手裏剣を投げることはやめてしまった。
ある日、東京から一人の学生が、手裏剣を習いにやってきたことがある。練習熱心で、物静かな人だった。
その後、その方は古武道家として有名になり、ちょくちょくテレビに出るようになった。
ぼくはといえば、居合をやらなくなると同時に、手裏剣もやらなくなった。さらにその当時先生から手裏剣を教わっていた人たちも、今は何もやってない。
ということは、先生の技を受け継いでいるのは、東京在住のその著名な古武道家さんだけということになる。地元の弟子としては、ちょっと寂しい気がする。
手裏剣(火打ち釘と呼んでいた)