病院内薬局日誌

500床程度の病院(精神科、内科)内の薬局日誌です。

閑話休題 書評-ユリウス カエサルー

2005-01-17 23:57:13 | Weblog
塩野七生 ローマ人の物語8~13巻(文庫本版)読了。

 塩野の描くローマ史モノは、例えば鴎外の史伝や吉村昭の歴史モノに比べ、考証学的な質は落ちるものの、登場人物の魅力という点では他を圧している。学究的な考証と戯画的な人物の魅力という二つのバランスのとり方は司馬遼太郎と似ているが、塩野の方がやや時代考証に対して意識的という印象を受ける。

 さて、塩野の「カエサル史」が優れているのはその(ルビコン以降の)主軸をカエサル(政治家)対アントニウス(軍人)でもカエサル(革新派)対ポンペイウス(保守派)でもなく、カエサル(帝政)対キケロ(寡頭共和制)においたところにある。主要登場人物にそれぞれ統治システムを象徴させることによって、古いシステムが覆され、新しいシステムにとって変わる歴史的潮目を魅力的に描き出すことに成功している。システムの入れ替わりの歴史的必然とそれぞれのシステムの旗手である人物の資質(先見性、創造性、それを生み出す人間性、これらの資質全てがカエサルには備わっており、キケロには前2者が欠けていたとする。)がうまくかみ合って物語りが紡がれる。

 現在の欧米の学校教育ではキケロ(共和主義者=民主主義者)、カエサル(帝政創始者=独裁者)といった語られ方をする。しかし、塩野の考証では実際は少し様相が違っている。カエサルは元老院(貴族院)が持っていた超法規的民衆弾圧法を廃案にし、名門ローマ市民にしか門戸を開いていなかった元老院を辺境の市民にも開放した。それがキケロら元老院派の反発を買い、暗殺につながったのだが、この事実を見るだけでもキケロ=民主主義者、カエサル=独裁者の括りは正確ではないことが理解できる。

 なお、評論家の福田和也によれば、この「ローマ人の物語」は日本のパワーラインの愛読書ナンバーワンであるらしい。