しいなの独り言

音楽評論ほか

大腸がん-わたしのリアル闘病記- まずは無事5年経ちました

2021-10-31 22:40:42 | 大腸がん闘病記

みなさま、ご無沙汰しています。無事生きてます。

がん闘病の節目と言われる5年が経ちました。振り返ると早いような気もするし、長かったような気もします。

辛かったのはやはり最初の一年でしょうか。

まずは不安でした。手術痕は半年以上痛く、また体に力が入りません。前にも書きましたが、自転車のタイヤ空気入れができませんでした。力を入れても空気が入っていきません。愕然としたのを覚えています。

そして、腸の閉塞感。食べると腸によくないものがある、と気づきました。きのこ類、根菜、貝類。大好きなサザエ、アワビ、ごぼうなどはその後食べていません。たぶんこれからも。

ラーメンも最初は恐る恐るでしたが、今は週に2回くらい食べてます。よく噛んで。

もっと運動しないといけないと思うのですが、コロナ渦で全然足りていません。最近尿酸値や血糖値、血圧の値がよくありません。せっかくがんを克服したのに少しもったいないと感じています。

 

一ヶ月後に年に一度の内視鏡検査があります。主治医さんは「これで最後」といってくれていますが、せっかくなので今後も毎年受けるつもりです。


大腸がん-わたしのリアル闘病記- 四度目の内視鏡検査を受け終えて(3)

2020-01-23 20:28:00 | 大腸がん闘病記

次の報告は体力の回復についてです。

がん発症を経て、体力は大きく低下していました。

人によると思いますが、私の場合入院時70kgであった体重は57kgまで落ちました。

そして一番感じたのは「パワーを失った」ということです。自転車のタイヤに空気を入れられません。水2リットル✗6本入の箱が運べません。自分としては愕然とする状況です。

そのような状況は昨年夏まで続きました。

でも回復しました。急回復です。体力はもとに戻りました。もう戻らないと思った体力が戻りました。

当事者としてはとても嬉しい感覚です。

ようやく本当に社会復帰できたと感じます。


大腸がん-わたしのリアル闘病記- 四度目の内視鏡検査を受け終えて(2)

2020-01-23 20:00:20 | 大腸がん闘病記

私が感じた痛みは針を血管に刺す技術の優劣が原因だと思っていましたがすみません、違いました。

以下がその後の経緯です。

若い方が2回続いたあと、ようやくあの方に再会したのです。ベテランのあの人です。その方も私を記憶してくれていました。正直「ああ、今日はよかった」と思いました。そして以前のように淡々と手順通り準備が進みました。

しかしです。

その方が首を捻り始めました。「あの、以前より血管がだいぶ細くなっています」

えっ... 

そういうことでした。

その後なんとか針を入れていただき、検査室に入ったのですが、念の為もう一度入れ直しいただき無事完了です。

血管を太くするにはと思い、ニンニクを食べてみたりしましたが、部下の女性に「ニンニクの臭いがしますね(笑)」と言われ、「そうだよね、私だけど。(笑)」と事情を説明しつつやめました。

血管を太くするいい方法あれば知りたいですね。


大腸がん-わたしのリアル闘病記- 四度目の内視鏡検査を受け終えて(1)

2020-01-23 20:00:20 | 大腸がん闘病記

相当な期間、投稿を怠っておりました。

失礼しました、死んでなんかいません。

同じ会社内で職務変更があり、少し悪戦苦闘しておりました。 これからもよろしくおねがいします。

三度目の内視鏡検査を終えたあとの経緯を駆け足でご報告させていただきます。

私が受ける精密検査スケジュールは概ね以下のサイクルです。

それぞれ検査(都度採血あり)と、一週間後検査結果による主治医面談がございます。

・3月・・・造影CTスキャン

・6月・・・レントゲン撮影

・9月・・・造影CTスキャン

・12月・・・内視鏡検査

お陰様で今のところ経過は順調、特段の心配はしておりません。

ただ報告しておくべき事項がございます。

1つ目の報告です。

上記のように造影CTスキャンは2回/年受けています。

造影CTスキャンとは、造影剤を体内投与し、CTスキャンする検査です。

造影剤は、点滴のように注射針を通じて投与します。検査前に「アダプター+針」を血管にセットしておき、スキャンのベッドに横たわったあと「アダプター」と装置をつないで、機械的に注射を打つ要領で造影剤を血管内に注入します。

投与自体は無痛です。強い酒をあおったときのように血管が「カッとする」感覚が数十秒続きます。

 

最初の間、常にベテランの方が手際よく血管に入れてくれました。ほぼ無痛で、一発で成功です。そういうことで造影CTスキャンは全く無痛でした。

しかし… その後、いわゆる「若い方」が2回続きました。

針を入れるとき痛いのです。 しかもうまく入らず、抜いたり刺したりされます。

私はいわゆる「いいおとな」の男ですので、一応声を出さず我慢するのですが、アブラ汗は隠せません。

 

心のなかで、「あのベテランのかたはうまかったな」と思いながら耐えました。

でも違ったのです。


JRA史上屈指の名勝負ー第44回阪神大賞典(1996)-2-

2019-03-12 22:24:41 | スポーツ評論
時は1996年3月9日、阪神競馬場である。
阪神大賞典は芝3000m。春の天皇賞の前哨戦と言われる。

さあ、レースがスタートした。
状況はYouTube等で、大声を出さぬよう注意しながら、ぜひ確認いただきたい。

先に先頭集団の好位置で様子を伺っていたマヤノトップガンが残り400mで一気に先頭へ。
間髪を入れぬタイミングでナリタブライアンが追走、この二頭が先頭に立った瞬間、後続はどんどん遅れていく。ついていけないのだ。

二頭は完全に並んだ状態で、どんどん差を広げ、そのままゴール付近へ。
首一つナリタブライアンが抜けたところでゴール。ナリタブライアンが頭差でマヤノトップガンを退けた。

この日のナリタブライアンの騎手は、数々の名レースを制してきた天才、あの武豊である。

ちなみに3着は9馬身差。

払戻は馬連で210円。つまり熱心な競馬ファンの約半分は「ああ、やっぱりなあ。そうだろなあ。」といったのだろう。

前年振るわなかったとはいえ、このときナリタブライアンはこのレースを連覇(1995、1996年)。
これまた奇しくも1997年はマヤノトップガンが制覇。

やっぱり競馬は面白い。筋書きのないドラマである。

風呂でなんとなく思い出し投稿したが、1996年の開催が3月12日であった。
偶然と思えない。
今年も競馬は熱くなるだろう。