小学校から大学まで僕の筆順が先生と違っていることはなかったけれど、
書家には違う場合があってあれれと思った。
「必」という字の場合僕の筆順は台湾式のようだ。
心にたすきの筆順だけれど学校で習ったもの。
今学校で習う日本式は違うし、中国式もまた違う。
書道家の草書や行書は運筆優先の筆順で楷書の整体重視との一致バランス等学者の説もいろいろあるようだし、
慣れた筆順を敢えて変える苦労をする必要もないという学者もいるようで面白い。
小学校から大学まで僕の筆順が先生と違っていることはなかったけれど、
書家には違う場合があってあれれと思った。
「必」という字の場合僕の筆順は台湾式のようだ。
心にたすきの筆順だけれど学校で習ったもの。
今学校で習う日本式は違うし、中国式もまた違う。
書道家の草書や行書は運筆優先の筆順で楷書の整体重視との一致バランス等学者の説もいろいろあるようだし、
慣れた筆順を敢えて変える苦労をする必要もないという学者もいるようで面白い。
「左」と「右」は筆順が違うし、
「必」のように書きにくい字や筆順不明の字などを調べたくて、
松本仁志著「筆順のはなし」を読んでいる。
筆順に唯一の正解はないとなると、
小学校で習ったのが唯一の手がかりになってしまう。
皆さんは筆順に自信は?
鬼やらいの由来は旧暦大晦日に宮中で行われた儀式のようだ。
神戸市西区の寺社で多く行われている年始めの追儀式はこれに
由来していると考えられるが、旧暦だと2月初旬になって
節分の追儀式のほうが正当性があるようにも思われる。
しかし旧暦の日付をそのまま新暦の近い日に当てはめたのであれば
今の年始行事の由来があてはまってくる。
鬼が使っている松明の残りを頂いて帰ると、
厄除けなどのご利益があるとかと言われるところもある。
性海寺の松明はその場で燃やし尽くしてもったいないと感じるのだが、
昔は役立っていたらしい。
昔の鬼やらいは今のように昼間ではなく
夕方から夜にかけて行われて、参拝者たちがその松明を持って
暗い夜道を帰っていったらしい。
これはまさに魔除けだ。
これだと「鬼夜来」という言葉が生きてくるではないか。
文珍師匠は今もっとも跳んでいる噺家のひとり。
きょうの枕はえべっさん。そしてスマホ、ケータイや
いじめやカレントな話題も盛り込んで文珍ギャグを
いっぱい散りばめて、抱腹絶倒。
本題ももちろんだがおよそ小一時間
時を忘れて今年もいい年明けだ。