セッシーオゥの戯言伝

世の為!人の為!正義の為!に…

丹羽克子の芝居

2006-12-18 10:57:34 | 舞台
 青春が人にあるとするなら、その青春を描くのはとても人それぞれで全てを描ききれないと思う。

 しかし演劇で一人の青春を見るとそこになぜか当てはまる自分が存在していたりする。 人は皆それぞれだなどいうけれど大概は同じ感情でしめられているのではないかなどと思ったりする‥

 個人の尊重なんて世の中いってるけど青春の記録に残るのは過剰に仲の良かったとき、罵り合い、喧嘩、嫉妬、金の問題など自分や相手に過剰に入ったり入られたりがあるわけで、青春の一コマなんて実はそんなきれいなもんじゃないと思う。

 丹羽は激しい、見ているこちらの心をぐさぐさと抉りそして脳みそにずけずけと入ってくる。そして逃げられない逃げてはいけないと質問を投げかけてくる。

 これを他人事でとらえられるなら、よほどご機嫌な人であろう

僕の周りにいる今のカップルさん達は相手に介入することはしないそうだ。

 まっ僕はそんな相手の尊重などカッコつけてもとっくに通用しなくなっている、セクハラだのパワーハラスメントだの当てはまるものばかり(自分ではそう思っていないけどね) 過度なものでなければ重要なスキンシップであると思う(^^;)青春とはそれが過度でも許される(そんな時期があるのだ)

 せいぜい今の若いカップルは喧嘩すればよい。お互いの心を粉々になるまで罵り合い、必要であれば殴り合いの喧嘩だってしても良いと思う、但しそれには条件がある!「全てをさらけ出しても良い相手」だ。 そうじゃなければ受け止めることも受け止められることも(最終的に助け合う事)出来ない…

 熱くも痛々しい青春を過ごしていないヨイコちゃん達が魅力的には見えないし今後魅力が出るとも思わない。