死亡した事故が大きく報じられましたが、同様の事故で
亡くなった方は2012年で41人もいらっしゃるようです。
私は実は3回も高速道路上で故障してJAFに救出された経験が
あります。
1度目は昭和59年、オートラマカーサ開業の年、
富士の従業員の車がクラッチがすべり気味なので修理を依頼され
富士から浜松まで運ぼうとした時、富士川の橋の上で
結局クラッチが磨り減って立ち往生してお世話になりました。
早朝だったのと路肩が広かったのと軽自動車だったので、
走行車線にはみ出ずに停止できたのが幸いでした。
友人が通りかかって、三角停止板を貸してくれたのも良かった。
2度目はその翌年くらいかな?
浜松から富士に向かう時の中古トラックが途中でオーバート。
夜で寒くて、JAFが来るまで法面で待ってました。
3度目は10年くらい前、島田で生命保険の契約をして
意気揚々としての帰り道、
焼津インターから東名に入っての加速中にクラッチが壊れて
惰性で進んで路肩に停車し、夜の寒さの中、路肩の草むらで
JAFを待ちました。
もう少しで日本坂PAだったのに・・・
結構、危険な体験をしてるんです。悪運強いんですね。
”憎まれっ子、世にはばかる”ってことでしょうか。
桜塚やっくんとそのマネージャーの冥福をお祈りします。合掌。
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