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名医 扁鵲(へんじゃく)のはなし!  第1回 扁鵲の人物像②

2016年08月31日 | 日記
扁鵲の人物像のつづきです。

扁鵲は、もとは①時代の前、伝説時代にいたとされる神医です。
①殷 : B.C.1600ころ~B.C.1120ころ。 考古学的に実在が確認されている、中国の最古の王朝。

山東省で出土した、②時代に作られた画像石が有名で、人面鳥身の姿をしております。
②漢 : 前漢B.C.202~A.D.9。 後漢A.D.25~A.D.220。劉備や諸葛亮孔明が活躍した時代。

この画像石を見て僕自身は、山東省付近で活躍し、人々に親しまれていたのではないかと思っております。





人面鳥身や半人半獣の姿は、中国古代神話で登場する普遍的なイメージです。
敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)③にある、人面鳥身の壁画です。 


③敦煌 莫高窟 : 甘粛省北西部の鳴沙山(めいささん)、東の断崖に1.600mに渡り掘られた、600あまりの洞窟のひとつ。
          中には、2.400あまりの仏塑像(塑像は粘土などによって作られる彫刻)が安置されている。
          壁には、一面に壁画が描かれ、総面積は45.000㎡。
          作られ始めたのは、A.D.355あるいは、A.D.366とされる(王羲之が蘭亭集の序を書いたころ)。




『抱朴子(ほうぼくし)』④には

 「千秋の鳥、万歳の禽(キン)⑤、みな人面にして鳥身、寿命もまたその名のごとし」と書かれています。

④抱朴子(ほうぼくし) : 東晋(A.D.363)に葛洪(かつこう)の著。 神仙術の理論と実践を説いています。
  同時期、王羲之(おうぎし)が、曲水の宴で、「蘭亭集の序(らんていしゅうのじょ)」を、酔って書いたと言われています。



⑤禽(キン) : 鳥類。又は鳥類、獣類の総称。


伝説時代は、三皇と五帝8人の理想の君主がいたとされる時代です。
司馬遷は『史記 五帝本紀』で、

 「黄帝伝説(伝説時代)は史実とは思っていないが、
  黄帝伝説のあるところに限って、共通の民族風土があり、
  いくばくかの史実が紛れ込んでいることは、否定できない。
  よってこれらを記録することに、価値を見いだすものである」 と書いています。

三皇は神、五帝は聖人の性格を持つと言われています。
誰が三皇五帝に該当するかは、諸説あります。

三皇の一人、古代中国神話に登場する神の伏羲(ふっき、ふくぎ)と女神の女媧(じょか)。
二人は兄妹、又は夫婦とされています。


五帝の一人、黄帝(こうてい)。
現存する中国最古の医学書『黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)』、
『黄帝内経霊枢(こうていだいけいれいすう)』を書いたとされています。


秦の始皇帝(B.C.259~B.C.210)は、B.C.221に史上初の中国統一を成し遂げ、
皇と帝を合わせた「皇帝」(三皇五帝より尊い存在であるという意味)という称号をつくり、自分に対する呼び名としました。
以降、中国の統治者は、皇帝という称号を使用するようになりました。



扁鵲の話に戻ります。
春秋時代の扁鵲(秦越人)は、2代目です。
当初は、人々から魯医(ろい)と呼ばれていましたが、卓越した医術により扁鵲と呼ばれるようになりました。



最後に、司馬遷の『史記 扁鵲倉公列伝』で、扁鵲の人物像について、書かれていると思うところを記載します。

 「扁鵲、名、天下に聞ゆ。
   
  邯鄲(かんたん、現在の河北省)に過(よぎ)るに、婦人を貴(たっと)ぶと聞き、
  即ち帯下医(たいかい)と為(な)る。
   
  洛陽(らくよう、現在の河南省)に過(よぎ)るに、周人(しゅうびと、周のくにの人)は老人を愛すと聞き、
  即ち耳目痺(じもくひ)の医と為る。
   
  来(きた)りて咸陽(かんよう、現在の陝西省(せんせいしょう))に入るに、
  秦人(秦のくにの人)は小児を愛すと聞き、即ち小児医と為る。
   
  俗に随(したが)ひて、變(へん、かわる)を為す。」


 「扁鵲の名声は天下に鳴り響いた。
   
  邯鄲に行き、そこでは婦人が大切にされていると聞くと、婦人科医として腕をふるった。
   
  洛陽に行き、周の人たちは老人を敬愛すると聞くと、
  老人病の医者として活躍した。
   
  咸陽の町に入り、秦の人たちは小児をかわいがると聞くと、小児科医として、腕をふるった。
   
  各地の習俗に適応した医療を、臨機応変におこなったのである。」



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