見出し画像

ペーパースマハー

✕✕ではあるが、✕✕ではない。


「桐島、部活やめるってよ」
朝井リョウ作
を読んでみた。

部活やめるってよの部活って何部?
大概の人はそんな事気にしてないでしょ?
自分もご多分に漏れず、そんな事考えてもみなかった。
ただこのタイトル、どっかで見かけるたび何か自分に打ち明けられてるみたいで、いっつも変に気持ちがザワついてた。
このあいだ早稲田のバレー部がインカレで優勝して、それに関した記事をバレーの雑誌で読んでたら、ページの後ろの方で「桐島、部活やめるってよ」の小説の事が載ってて、桐島はバレー部にいたと書いてあった。
部活やめるってバレー部だったのか?
部活ってそんなのぶっちゃけ何部でもいいんだけど、けれどバレーの事はどんな事でもアンテナ張ってる自分は、それを今頃知ってチョー焦ったよ。
この小説は十年位前に出た小説だから、その自分にとっては肝心な部分を、最近知る事になるなんて全くショックさ。
長い間、誰もそれを自分に教えてもくれなくて、ホント世間様はなんて冷たいんだと改めて思う。
それから自分は桐島との失った十年(?)を一気に取り戻すべく、超特急で小説を駅前までスッ跳んで買いに行った。疲れた。
小説はすぐに入手出来たよ。おまけに値段も税込610円と良心的。
とにかくそういう訳で自分の中身はひとまずオール桐島一色さ。
その時読んでた本もblogも、YouTubeやら他の事も全部脇へうっちゃけて、ただ小説だけに全集中。
まず桐島がリベロでキャプテンという設定にビックリした。いろいろいっばいバレーは見てきたけれど、現実的にあまり聞かないケースだから。そんなキャプテンで重要な立場の桐島がどうして何があってやめる事になるのか?
よく聞くあるあるで、チーム内の不仲説とかキャプテンとしての重圧にメンタルが殺られたとか、どうせそんなモンでしょ。
小説では桐島のバレー仲間や好きな子や友達が、それぞれに自分の学校生活を淡々と一章毎に出てきて、語って行くよく見かけるパターンのやつ。
桐島がバレー部やめたって、でも自分の今の問題はこうなのよ。っていう。
そもそも桐島の事は最初の方で語られはするが、小説の章を追う毎に存在はぞんざいになる。
出てくる部活も野球、吹奏楽、ソフト、映画部とバレーはどうしたって感じ。
ホントにバレーの話を読みたくて小説買ったんですけどって、作者に抗議したいほどバレーの事はおざなりで面食らうワ。
大体一番大切な桐島本人が物語の中で不在って、そんな事ある?それに出てくる人物達は、桐島の事を特に重要視している訳でもないのがわかるし。桐島立場ないやん。
誰だって人の事より自分が大切さ。だよね。
学校はいつだって楽しいし、学生にとっちゃ一日の生活の大部分を占めているところ。
けど、いつも仲いい同士でも楽しいのそばで、どうして?っていうちょっとした違和感みたいなモノも時々感じてるよね。
物事は思ってた様にはならないのが常だから。いい事の隣には良くない事が必ず張り付いているから。
人はそんな違和感が楽しいを飲み込んでしまうんじゃないかと、いつでも気になり出して気になり出して、心底辛くなるんだ。
人に話せばしょうもないの一言で片付けられちゃう、本人にとっては重大な事ってヤツ。
作者はそんな楽あれば苦ありの、誰でもきっと経験している感情をそれぞれに分けて見事に書いている。
自分の高校の時なんて恥ずかしいほど大昔の話だけれど、桐島の友達が一喜一憂している部分は「そだねー」って、あの頃も今もおんなじさって少し共感出来たよ。
桐島の部活をやめるっていう英断は、それぞれの人物の何かに踏み出そうとしている背中を、チョンと押すきっかけみたいなモノになったんだね。
自分はこの小説でそんなこんなを思ったよ。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事