「一度きりの大泉の話」
萩尾望都作
について。
萩尾望都。
の本を先日手に入れた。
やっとだ💨
竹宮惠子。
のくだんの本を読んでから、結構時間を稼いでしまいますたな。
何でこんなにも愚図愚図していたのか。
正解は、古本屋の棚に並ぶ機会を、いつかいつかと窺っていたから。
甲斐あって1980円を半値で手に入れられた。
我ながらNice👍️👍️
萩尾望都。
は最近悩んでいた。
竹宮惠子。
が自伝を書いて、その本を読んだか?と、周辺に聞かれる事が多くなったから。読んでない。と、言うとウソだと言われる。重ねて感想まで聞かれる。挙げ句「大泉の話」のドラマ化の打診まである。
二人の関係性とは。
その作風や同時期に影響力のある作品を発表していた事で、同士的な仲の作家であると、世間は認識していた。か?
萩尾望都。
は思いをめぐらす。「大泉」を離れてから、目を痛めたり体のあちらこちらに変調を来たし、一時漫画家を辞めてしまおうとまで考えた事。
竹宮惠子。
の存在も「大泉」の事も、忘れてしまえば何とか漫画家生活を上手くやって来れた事。
なのに今頃だ。
急にざわつき出した、身の回りを何とか静かに出来ないものだろうか。
この迷惑な状況を何とかしたい。
萩尾望都。
は、そこで重い腰を上げる事にした。
いっそ、ぶっちゃけるしかない。
竹宮惠子。
の発表したものは、たとえば「大泉」以降いっさい見ていない。「風と木の詩」すら読んでいない。きっぱり。
さりげなく書いてはいるが、まさか、驚愕過ぎ😱の独白。
萩尾望都。
と、
竹宮惠子。
って一緒に何かをやってる所、そう言えば案外見た事ない気がする。衆生の素朴な疑問…そのハズ。だいたいお互いが(特に萩尾望都)お近づきでなかったんだから。
萩尾望都。
は一回こっきり、今回の場で事の真相みたいなものを明かす事にした。
真相を知れば、まわりも得心するであろう。切なる希望的な観測をもって。
竹宮惠子。
から「大泉」を引っ越す事にした。と切り出され、それは竹宮側の事情(竹宮惠子の本に詳しい)から。それからしばらくして、ある日竹宮から呼び出しをくらう。
萩尾望都。
が描いた「ポーの一族」の一話について。その内容についてあれこれ問い質された。
竹宮惠子。
がその場で言わんとしていた事、話の内容がまったく理解出来なかった。身に覚えもない。因縁?言いがかり?
面食らい、ただ茫然となる。
萩尾望都。
には衝撃過ぎた。思考が停止する。
何をどうすればいいと言うのか?
竹宮惠子。
に一言の反証も出来ないほど、だった。
今この二人の漫画家について、興味関心のある日本人はいったいどれほどいるのであろうか。
「大泉の話」
ここで明かされたその内容は1973年、今から50年位前の事である。
50年前の話。
十分に長い歳月と思う。
遠い過去とも思う。
ともすれば忘れ去られるほどの事柄だ。
作者はこの中で、その話を触れたくなかった事、触れないでほしい、そっとしておいてほしかった事と書いている。
しかし、先に竹宮惠子が「少年の名はジルベール」という自身の本で「大泉の話」に言及した。世間ではあまり知られていない伝説扱いの逸話だ。だがそれをきっかけにして、それまで誰も知る由のない、二人のあいだで眠っていた昔が動き始めてしまったのだ。
萩尾望都の漫画を今でも読み続け、多少なりとも彼女のこれまでを見てきた自分は、そこで明かされた話にいたく得心した。
ただ動揺もした。
何より考えたくもないという、彼女の強い思いに共感した。
何十年も前にどこかの雑誌で読んだ話。
萩尾望都が原稿の締め切りで三日三晩徹夜になった時、食事を作っている時間もなく、ゆで玉子とリポビタンDで乗り切ったとか。
命を切り売りしてるみたいだ。
対する事より、避ける方が賢明だったのか?
後の祭りに思う。