鳥島チャンネル

タイトルをニコ生と統一しました。アイドルマスター中心。xbox360、PC、synthesia(ピアノ)宗像市関連も少々

生徒さんからの年賀状…

2015年01月07日 | パソコン
たまには仕事の話でも…
鳥島のPC教室でのお話です。
12月にCS検定を受検された生徒様からの年賀状が来ました。受験後にご連絡がなかったので少し不安もありましたが、忙しいからなんだろうと思っていたら、年賀状での合格のご報告がありました。

MOSやMOUS検定なら受検された方も多く、テキストも充実しているのでそうまで不安にはならないのですが、うちのパソコン教室CS検定を受検されるのは初めてのケースだったので、教材は出来る限り揃え、指導もバッチリ!と思ってはいましたが、試験自体の雰囲気なんかはわからないので…

専門外でも、出来る限りのお手伝いは致します。今後もなんなりとご相談下さい。
(^^♪

年賀状のために報告を控えておられたのかな?
大丈夫と信じてはいたけども、今年一番嬉しい年賀状でした。ありがとうございます。


で、ついでなんでうちのパソコン教室の歴史(というより個人的な現代史)や現状なんかについて語ってみるw。

うち(メディアステーション)は、windows、IT革命なんかが流行りだした頃(1998年頃?)に始まったんですが、当時は別会社に勤めていたので実情はあまりわかりませんが、当初はオフィスは元よりインターネット、メールの使い方など比較的ライトな内容の、よくあるPC教室でした。デフレスパイラルは始まってはいましたが、まだまだバブルの残り香もあり、IT業界自体が年を追うごとの技術革新や新規事業の立ち上がりなどで盛り上がっていた時期でちょっと広告を出せば、結構問い合わせがある良い時機でした。ハローワークなどの支援プログラムも多かったのでPC教室業界は新規参入や大手の進出活気に溢れていました。数が多ければ、当然ながら質の良くない教室もあり「PC教室なんかに行くのは無駄!」って風潮もありました。高価な教材での資格商法みたいなのも世間では問題になっていましたし…。
で、私自身はこの頃はPCへの興味は薄くなっててプレステくらいしかやっていませんでした。もっとも中学~高校の頃は友人のX-1やらMSXやら学校の98なんかで遊んでいたのでまったく関心がないわけではありませんでした。で、父親が代理店をやっていた通販会社の端末がドリームキャストで、一年以上継続すれば本体は無料になるキャンペーンがあり、ただなら使ってみるかと導入したところ、インターネットへの関心が強まりまたまたPCへとのめりこむようになりました。インターネットの案内本に載っていた将棋倶楽部24が一番の動機かな。このころはまだ対外通信での対戦ゲーム自体がまだまだ下火でまったく知らない、多くの人と戦えること自体が新鮮だったしな。ゲームのためだけにPCを買うってとこまではメガドライブ以降はあんまり考えなくなってたんですが、インターネットの面白さを判ってき出したらやはり、基本的には見るだけしかできないDCじゃ物足りなくなりNECのTV付きモデルを20万くらいで買ってしまいました。しかも地雷のmeだw。
PCを買ってしまうとPSのゲームは買わなくなり、ネットサーフィンやPCゲーム中心に移行。特に「信長の野望」は新作のたびにシステムがガラッと変わるようになっていた時期で出るたびに評価が別れていてレビューを見るだけでも面白かった。あとは、本を買うといろいろなゲーム新作の体験版が入ったCDが付録に付いていたりで、ただゲー(厳密には本代はかかってた)やるのに恵まれていた時期だったと思います。
そして、携帯電話のweb閲覧機能が当然になり、携帯電話向けゲームが増えてきた頃に、あのkoeiが「信長の野望」「三国志」を引っ提げ携帯ゲームに参入します。信長フリークだった私は当然ながら参加しました。で、他のプレイヤーとの交流にHPを使っている方も多く流行り物に弱い私は、そちらにも参入w。もっとも携帯電話ユーザーとの交流メインなので多く使われていたのは容量2MBくらい?だったかの、画像は5枚までとかの制限のあるようなとこが殆どで、それじゃ物足りなくなり本を買ったり検索をしてHTMLを勉強したりデジカメ買ったりで段々と知識が身についてきました。
そして1年半くらい使ってた愛機の故障!この頃は自作PCが盛んな頃で、解説サイトも多く「次は自分で組んでみるか」と思っていたのですが、さすがに一台目から高価なパーツを組むのは怖かったのでマザーボードと筐体だけ購入して1号機のCPUやらメモリやらを移植して使っていました。Pentium IIIの866MHzだったかと思います。そうなると新しいCPUと変えてみたり、メモリ増設したり、windows XPが出たので入れてみたりといろいろやってハード面の知識も身についていきました。なんだかんだで5~6台作ったかと思います。
Maker of Parts PLUSが本で紹介されていて、そこからmidi作成に再び…。BASICでPSG三重和音やX-1のFM音源なんかもいじってましたが、その頃に比べると格段に楽で、こんなソフトがフリーで使えるんだと感動しました。
その後いろいろ検索してcherryを使うようになり、midiをレンタルスペースで公開してたらチャット仲間に着メロを作ってと依頼されJ研に投稿するようになりましたが、コアな選曲と出来の波の激しさにちょい凹みながらも数はそれなりにこなしたと思います。
社内の資料作りをエクセルで担当するようになり、掲示物作成のためにword、プレゼン用にパワーポイントなんかもやりだした。自宅PCは自作機なので当然オフィスは入ってないのでオープンオフィス使ったり、画像加工にJTrimGIMP使ったりでフリーソフトの有り難味にどっぷりと漬かりました。結婚式用のスライドショーを作ったのも後に動画作成(と言うほどのものは作ってないけど)へのハードルが低くなった点も今考えると良かったと思います。

そして2009年の秋にパソコン教室を手伝いだしたのですが、当時はお年寄り(失礼)の生徒さんが多く、休憩時間の茶飲み話も盛んで、勉強の為というよりもそれが楽しみで来て下さる和んだ状況で、全国的に見ても大手が撤退していく中、カフェタイプのようなパソコン教室は生き残っているといった形になっていきました。もちろん教え方がうまい、立地が良い教室、料金は高くてもマンツーマン指導のところなどは生き残っていました。また、機器トラブルやPC設定などのサポートを大手家電店から依頼されることも多かったのですが、段々と自社対応する店が増えていき生徒さんやご紹介中心になっていき、全体の件数は減少傾向になりました。
常連さん以外は、比較的若い方が就職対策としてMOS検定を目指す方が増えてきましたが、当然の事ながら就職してしまうと来られません。年に数度質問や設定の依頼やご挨拶いただいたりはあるけども連続して通われることはまずありません。就職が決まらないで来て下さるのはありがたい反面心配になりますが…。
以前は、徐々に世代交代する感じで、常連さんが入れ替わっていたのですが、段々と高齢の新規さんは減りご新規様は若い方ばかりになっていきましたが、前述したように長くは来られないので、在籍人数は増えても段々と出席者数は減り、開店休業のような日もでてきます。回転率を考えれば現在の方が良いのですが、やはり見た目は閑古鳥が鳴いています。
懇意にしているパソコン教室のオーナーも同じようで段々と空席率が増えていると。現在の60~70歳くらいの方は出来る方と、今更パソコンを勉強する必要はないと考える方に二極化されているようです。スマートフォンの発達でPC購入をされる方が減ったのが一番でしょうか。買ったら、せっかくだから勉強するかという気になる方は出てきますが、買わないことにはね…。
あとは昔と違い、情報発信をするにはサイト作成よりもフェイスブックやツイッター、ラインを使えば十分といったこともあるでしょうかね。勉強できる場を必要としているのは実際にコンテンツを作ろうって方ぐらいかもしれません。もっとも、本当に作ろうとされる方の場合は独学や知恵袋なんかで解決するか、諦めるの二択になるのが殆どだと思います。諦めるなら近所のPC教室に相談されるのも良いかもしれませんよ。特に、小さい所だと講師=オーナーの場合が多く、教えたいけど習いたい人が来ないと思っている可能性はあります。
やってみると意外と簡単だったって反応は多いですし、とりあえずインストラクターに聞いてみて下さい。
(^^♪


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