夜のつぎは朝なのだ。 

日々のあれこれ…

体育坐り

2012-03-14 | からだ
「なんで、こんな格好で座らなあかんの?」

ずっと疑問でした。

正座でいいでしょ、正座で。(それもイヤですけど…。)

でも、それだと納得はできるんです。もともと古くからあったものですし。

それを、わざわざ体育坐りって…。

今になって、整体師という立場から考えてみても、首は縮まるし、背中は丸まるし、骨盤は後傾するし、尻っぽは押し込まれるし、いいことなんて何もないんです。

やっぱり「なんで?」なわけです。

で、こんな本に出会いました。

「これは子どもを「手も足も出せない」有様に縛りつけている、ということになる。子ども自身の手で自分を文字通り縛らせているわけだ。さらに、自分でこの姿勢をとってみればすぐに気づく。息をたっぷりと吸うことができない。つまり、これは「息を殺している」姿勢である。手も足も出せず息を殺している状態に子どもを追い込んでおいて、やっと教員は安心する、ということなのだろうか。これは教員による無自覚な、子どものからだへのいじめなのだ。」 (思想する「からだ」/竹内敏晴)

「生徒たちをもっとも効率的に管理できる身体統御姿勢を考えた末に、教師たちはこの座り方にたどりついたのです。しかし、もっと残酷なのは、自分の身体を自分の牢獄とし、自分の四肢を使って自分の体幹を緊縛し、呼吸を困難にするようなこの不自然な身体の使い方に、すぐに子どもたちが慣れてしまったということです。それを彼らは「ふつう」の状態であり、しばしば「楽な状態」だと思うようになるのです。これは日本の戦後教育が行ったもっとも陰湿で残酷な身体の政治技術の行使の実例だと思います。」 (寝ながら学べる構造主義/内田樹)

姿勢は心をつくります。

心は姿勢をつくります。

この時代になって、実際に教育の現場でそんなことを意図して指導しているなんてことはないと思うんですよね。

だったら尚さらね…。

どう考えても身体に悪いですよ、あれは。

慣習だけで残っているものって、けっこうあるんですよねー。

ファ~イト~

2012-03-11 | 日記
はじめてちゃんと聞いたんです。

中島みゆきさんの「ファイト」。


伊丹十三監督の映画を観て「おもしろい」と思ったときは、なんだか大人になれたような気がしたものです。(え、僕だけ?)

中島みゆきですよ。

いやー、ここにきて中島みゆきか…。


整体plusで、中島みゆきが流れていたら、そうゆうことです。

中島みゆきの流れる整体院。

…それはやめます。


ファ~イト~ 闘うキミの歌を~ 闘わないヤツらは笑うだろ~ ファ~イト!


1年経ちましたね。


幸福論

2012-03-02 | 雑記
「幸福であることは、他人に対する義務でもあるのだ。これはあまり人の気づいていないことである。愛する人たちの退屈、悲しみ、不幸以上に乗り越えがたいものがあるだろうか。」 byアラン


楽しそうな人の周りに人が集まるのは、自分まで楽しい気分になれるからです。

機嫌が悪そうな人の周りから人が遠ざかっていくのは、自分まで機嫌が悪くなってしまうからです。

幸せそうな人の近くにいると、自分まで幸せな気分になってきます。

幸せな人は、それだけで人を幸せにしてしまうんです。

元気な人は、それだけで人を元気にしてしまうんです。(たまに、逆もありますが…)

すごいねー。

幸せなひとが、ひとを幸せにする。

元気なひとが、ひとを元気にする。


で、先の「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL」

まずは、自分が幸せであること!元気であること!自分たちが幸せであること!元気であること!

幸せや元気に条件なんてありませんし、他の誰かになる必要もありません。

幸せにしてればいいんです。

元気にしてればいいんです。


って、それが難しいんですけどねー。(笑)

同時に

2012-03-02 | 雑記
「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL」


いま、「自分」をどこに置きました?

「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」。

ちょっと、そんなことを考えてました。

もちろん状況によって変わるんですけどね。


すごく説得力のある言葉です。

そういう言葉って、たくさんあります。

でも、真っすぐなひとは、その説得力に疲れてしまうときがあるんですよね。


ひとりとみんなは、分けられません。

ひとりの中にも、みんなの中にも、「自分」は同時にいるんですけどねー。

与えることは受けること。受けることは与えること。


あ、ぼくは疲れないですよ。

ハイ、しっかり曲がっているようです。(笑)


日に日に、あたたかくなってきました。