羽曳野支部25周年 根底にあるもの
羽曳野支部が発足して25周年を今年迎えた。
何もわからず、レベルの高い試合に挑み目の前にある大きな壁を感じた日々・・・。
そして、その壁を破ったかのように、大きな大会で活躍する選手が出てきた喜び・・・。
武道としての空手に取り組み、理想の空手を求めた「近つ飛鳥 武道空手道大会」を、6回開催でき、垣根を越えて多くの団体と交流した日々。
どれも心の中で、ダイヤモンドのように輝いている思い出である。
我が誠拳館の道場訓は、「尊敬」「礼儀」「忍耐」「努力」「創造」である。これらのことを空手の練習を通じて学ぶことが修練であると考えている。厳しい練習のなかでこれらを培うには、一つ大事な事がある。それは、「信頼」である。指導者間、指導者と道場生、指導者と保護者、お互いに信頼し、認めあうことによって、この道場訓は生きてくるのであると考える。
教える者、教えられる者同士の「信頼関係」がなければ、形式的なもので終わってしまい何も生まれない。強くなりたいとうったえる輝く瞳を持つ子供たち、そして教えたことができたときの生き生きした表情の子ども達を見る喜び、そんな練習をこれからも続けていきたい。
最後に以前プログラムに掲載した羽曳野支部発足の様子を記した文章を再掲載させていただき25周年の言葉にしたいと思う。
~ほこりだらけの教室で、ぼくらの夢が始まった~
「羽曳野の最初の稽古は、1997年4月、恵我之荘小学校の物置になっているほこりだらけの教室で始まった・・・。すぐ割れそうなすりガラスの窓・・・、裸足になると足の裏が真っ黒になる油とほこりの床・・・。集まったのは、10人程度・・・。ここでは危なくて長くはできそうにない。それでも、地元で空手ができる喜びで私の心の中は澄みきっていた。その後、体育館を使わせていただくことになり、一年を過ぎる頃には、40名を超える子ども達が集まった。
人に教えることは、教わること・・・。子ども達に嘘やごまかしは通じない。彼らを本気にさせるには、自分が本気になることだ。毎回の空手の練習は、新しい発見の日々であった。」
遠い思い出・・・
エピソード1、「トマリバッサイ」に託した夢
私の師匠 髙原元弘宗家と並んで、私が練習生だった当時、副館長であった前田尚彦先生がもう一人の師匠である。その先生から教えてもらった「トマリバッサイ」という形。私の宝物である。河南・羽曳野でもこの形を指導し、試合に打てるまで細部にわたって教えたのは、この25年で、両手の指の数を越えることはない、それぐらいのとっておきの形である。
2012年5月の大阪府小学生大会。団体形に出場する上原爽夏、浦野真由、内海優香の三人にトマリバッサイで大会に挑ませた。カミソリのような切れ味の爽夏の形、柔らかな線がとても美しい真由の形、抜群の安定感、そして人を惹きつける目力の強さを持つ優香の形、それぞれ素晴らしい持ち味であるが、個性が強いがゆえに団体戦となれば、却って不協和音を招いたりすることもある。「形の動きを合わせず、心を合わせろ」と指導していった。彼女らの団体練習は、夜9時の練習が終わってから本格的に始まる。私は時々アドバイスを送るが、ほぼ彼女らに任せている。一回打っては、真剣な表情で確認し合い、また打ち始める、途中で止まりまた確認し合い、一体この子らはいつまでやるのだろう、10時を回るとさすがに止めに入った。私が止めなければ、いつまでも終わらない・・・それほどまでに私の空手に、「トマリバッサイ」に真剣に向き合ってくれたことが本当に嬉しかった。結果は準優勝。形で大阪でも通用することを証明してくれた。
今年1月に受けた高段者審査で、私はこの「トマリバッサイ」を打った。最後の審査という思いで自分の一番好きな形を選んだ。そして4月の誠拳館大会では、西村本部長とともに演武した。でもこの演武は、本部席に向かってではなく、弟子たちに向かって打ちたかった。ここまで空手を続けることができたのは、河南・羽曳野で指導してきたからこそ、羽曳野の25年は、私の空手歴46年の半分以上の年月である。羽曳野支部の弟子たちがいなければ到底ここまで来れなかった。羽曳野支部25周年の稽古納めにこの形を皆の前でうち、感謝の気持ちを伝えたい。本当にありがとう。
梶 正人
羽曳野支部が発足して25周年を今年迎えた。
何もわからず、レベルの高い試合に挑み目の前にある大きな壁を感じた日々・・・。
そして、その壁を破ったかのように、大きな大会で活躍する選手が出てきた喜び・・・。
武道としての空手に取り組み、理想の空手を求めた「近つ飛鳥 武道空手道大会」を、6回開催でき、垣根を越えて多くの団体と交流した日々。
どれも心の中で、ダイヤモンドのように輝いている思い出である。
我が誠拳館の道場訓は、「尊敬」「礼儀」「忍耐」「努力」「創造」である。これらのことを空手の練習を通じて学ぶことが修練であると考えている。厳しい練習のなかでこれらを培うには、一つ大事な事がある。それは、「信頼」である。指導者間、指導者と道場生、指導者と保護者、お互いに信頼し、認めあうことによって、この道場訓は生きてくるのであると考える。
教える者、教えられる者同士の「信頼関係」がなければ、形式的なもので終わってしまい何も生まれない。強くなりたいとうったえる輝く瞳を持つ子供たち、そして教えたことができたときの生き生きした表情の子ども達を見る喜び、そんな練習をこれからも続けていきたい。
最後に以前プログラムに掲載した羽曳野支部発足の様子を記した文章を再掲載させていただき25周年の言葉にしたいと思う。
~ほこりだらけの教室で、ぼくらの夢が始まった~
「羽曳野の最初の稽古は、1997年4月、恵我之荘小学校の物置になっているほこりだらけの教室で始まった・・・。すぐ割れそうなすりガラスの窓・・・、裸足になると足の裏が真っ黒になる油とほこりの床・・・。集まったのは、10人程度・・・。ここでは危なくて長くはできそうにない。それでも、地元で空手ができる喜びで私の心の中は澄みきっていた。その後、体育館を使わせていただくことになり、一年を過ぎる頃には、40名を超える子ども達が集まった。
人に教えることは、教わること・・・。子ども達に嘘やごまかしは通じない。彼らを本気にさせるには、自分が本気になることだ。毎回の空手の練習は、新しい発見の日々であった。」
遠い思い出・・・
エピソード1、「トマリバッサイ」に託した夢
私の師匠 髙原元弘宗家と並んで、私が練習生だった当時、副館長であった前田尚彦先生がもう一人の師匠である。その先生から教えてもらった「トマリバッサイ」という形。私の宝物である。河南・羽曳野でもこの形を指導し、試合に打てるまで細部にわたって教えたのは、この25年で、両手の指の数を越えることはない、それぐらいのとっておきの形である。
2012年5月の大阪府小学生大会。団体形に出場する上原爽夏、浦野真由、内海優香の三人にトマリバッサイで大会に挑ませた。カミソリのような切れ味の爽夏の形、柔らかな線がとても美しい真由の形、抜群の安定感、そして人を惹きつける目力の強さを持つ優香の形、それぞれ素晴らしい持ち味であるが、個性が強いがゆえに団体戦となれば、却って不協和音を招いたりすることもある。「形の動きを合わせず、心を合わせろ」と指導していった。彼女らの団体練習は、夜9時の練習が終わってから本格的に始まる。私は時々アドバイスを送るが、ほぼ彼女らに任せている。一回打っては、真剣な表情で確認し合い、また打ち始める、途中で止まりまた確認し合い、一体この子らはいつまでやるのだろう、10時を回るとさすがに止めに入った。私が止めなければ、いつまでも終わらない・・・それほどまでに私の空手に、「トマリバッサイ」に真剣に向き合ってくれたことが本当に嬉しかった。結果は準優勝。形で大阪でも通用することを証明してくれた。
今年1月に受けた高段者審査で、私はこの「トマリバッサイ」を打った。最後の審査という思いで自分の一番好きな形を選んだ。そして4月の誠拳館大会では、西村本部長とともに演武した。でもこの演武は、本部席に向かってではなく、弟子たちに向かって打ちたかった。ここまで空手を続けることができたのは、河南・羽曳野で指導してきたからこそ、羽曳野の25年は、私の空手歴46年の半分以上の年月である。羽曳野支部の弟子たちがいなければ到底ここまで来れなかった。羽曳野支部25周年の稽古納めにこの形を皆の前でうち、感謝の気持ちを伝えたい。本当にありがとう。
梶 正人
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