以前 21世紀政策研究所主管太田務氏は以下のように言われました
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政治家が後援会など「自分の支持者を中心に国民の声を吸 い上げる」従来方式では、利益誘導型の政治に陥り易い。日本経済が閉塞状態から脱出できないのは、こうした意思決定方式の下では、痛みの伴う改 革に踏み出せないことによる面が大きい。
だがインターネットを活用して 公共政策に関し、様々な意見を持つ国民が議論する公開の場が設定されれば、既得権益を保護することになりがちな利益誘導型の政治決定過程を変 える可能性が有る。
インターネットを通して国民が公共的意思決定に参加できるような仕組み は「e-デモクラシー」と呼ばれる。
米国では6年前にミネソタ州でe-デモクラシーのサイトが立ち上げられて以来、参加型民主主義の可能性が模作されているがまだ実験段階の域を出 ていない。 我が国でも国民の政治参加意識を高めて政治改革を促すため、 e-デモクラ シーの実験をすすめるべきだ。
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まさに参政員制度の必要性を説いておられます。
ところが殆ど全ての政治家は「地盤の要請の取次、自由委任の選挙に勝利すること」こそ議員最大の仕事とお考えのようで、
これは「国民が議論する公開の場」が重要とする大田主管の主張と正反対のような気かしてなりません。
選挙の常道 つじ立ちは通行人の「心情に訴える」事が大きな目的と思われます、「主張はともかく、いつもいつも熱心に訴えておられる、熱心さ、姿勢、人間に惚れたので投票してあげようか」という理屈抜きの支持を期待していると言ってもいいでしょう。
私は民主党党員でしたが「温泉と国会見学ツアー」や「ゴルフコンペ」「旅行」「食事会」など、懇親を目的としたお誘いがよくきていました。
これらの狙いは「政策議論はおいて、議員との懇親を高め、一任を迫ろうとする」古い手段です(勿論議員と懇意であるのを喜ぶ支持者もおられるでしょうが)
しかし政治的民度が高く、政策、マニフェストを重視する人は、心情ではなく「理性」で投票したいでしょう。「なぜ私の政治意思を他人に一任しなければならないのか、しかもテーマAは与党を支持し、テーマBは野党を支持したいのだ」と。教育と情報技術の進歩はそうした人々を増やしつつあるはずです。
「心情で投票させる」のは「寄らしむべし、知らしむベからず」として既に時代遅れであり、正しい啓蒙手段とは言えないでしょう。
神戸空港建設や静岡空港建設は住民による反対運動がありましたが、議会が「是か否は議会の役割だ、市民が決めるのなら議会は不要になる」等と主張して議会は建設を可決しました。(この件では、田中康夫氏(現国会議員)が「神戸市民投票を実現する会」の代表に就任。アクティブに反対運動をされました。今 空港は反対派が危惧した通りになつているのです。
「議会は不要になる」について、そもそもデモクラシーが間接政治に変化したのは、人口の増加で同一場所に集まり議論することが出来ない、多くの議案の全てに市民が関われないので代議員を選び、彼らに委任する制度としたものです。大げさにいえば「地政学的必然」といえるでしょうか。
ラインやニコ動が想像すらできなかった「昔」にできた制度なのです
多くの議案ではなく、重要で、極く少ない議案について市民の意思を問うことは、昔できた議会制には反しても、民主主義には反することにはなりません。
民主主義の原理として正しい故に先進諸国で国民投票や住民投票が行われているのです。
議員や役人が賢者だとする根拠はなく、今「第一の矢」で打ち止めではないか、大盤振るまいは無効だったのかーーーとする主張さえ散見しはじめています
従来の制度では 献金元や官僚への配慮があるために財政や環境や福利は偏り 政治不信を拡大してきたのではないでしょうか。
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政治家が後援会など「自分の支持者を中心に国民の声を吸 い上げる」従来方式では、利益誘導型の政治に陥り易い。日本経済が閉塞状態から脱出できないのは、こうした意思決定方式の下では、痛みの伴う改 革に踏み出せないことによる面が大きい。
だがインターネットを活用して 公共政策に関し、様々な意見を持つ国民が議論する公開の場が設定されれば、既得権益を保護することになりがちな利益誘導型の政治決定過程を変 える可能性が有る。
インターネットを通して国民が公共的意思決定に参加できるような仕組み は「e-デモクラシー」と呼ばれる。
米国では6年前にミネソタ州でe-デモクラシーのサイトが立ち上げられて以来、参加型民主主義の可能性が模作されているがまだ実験段階の域を出 ていない。 我が国でも国民の政治参加意識を高めて政治改革を促すため、 e-デモクラ シーの実験をすすめるべきだ。
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まさに参政員制度の必要性を説いておられます。
ところが殆ど全ての政治家は「地盤の要請の取次、自由委任の選挙に勝利すること」こそ議員最大の仕事とお考えのようで、
これは「国民が議論する公開の場」が重要とする大田主管の主張と正反対のような気かしてなりません。
選挙の常道 つじ立ちは通行人の「心情に訴える」事が大きな目的と思われます、「主張はともかく、いつもいつも熱心に訴えておられる、熱心さ、姿勢、人間に惚れたので投票してあげようか」という理屈抜きの支持を期待していると言ってもいいでしょう。
私は民主党党員でしたが「温泉と国会見学ツアー」や「ゴルフコンペ」「旅行」「食事会」など、懇親を目的としたお誘いがよくきていました。
これらの狙いは「政策議論はおいて、議員との懇親を高め、一任を迫ろうとする」古い手段です(勿論議員と懇意であるのを喜ぶ支持者もおられるでしょうが)
しかし政治的民度が高く、政策、マニフェストを重視する人は、心情ではなく「理性」で投票したいでしょう。「なぜ私の政治意思を他人に一任しなければならないのか、しかもテーマAは与党を支持し、テーマBは野党を支持したいのだ」と。教育と情報技術の進歩はそうした人々を増やしつつあるはずです。
「心情で投票させる」のは「寄らしむべし、知らしむベからず」として既に時代遅れであり、正しい啓蒙手段とは言えないでしょう。
神戸空港建設や静岡空港建設は住民による反対運動がありましたが、議会が「是か否は議会の役割だ、市民が決めるのなら議会は不要になる」等と主張して議会は建設を可決しました。(この件では、田中康夫氏(現国会議員)が「神戸市民投票を実現する会」の代表に就任。アクティブに反対運動をされました。今 空港は反対派が危惧した通りになつているのです。
「議会は不要になる」について、そもそもデモクラシーが間接政治に変化したのは、人口の増加で同一場所に集まり議論することが出来ない、多くの議案の全てに市民が関われないので代議員を選び、彼らに委任する制度としたものです。大げさにいえば「地政学的必然」といえるでしょうか。
ラインやニコ動が想像すらできなかった「昔」にできた制度なのです
多くの議案ではなく、重要で、極く少ない議案について市民の意思を問うことは、昔できた議会制には反しても、民主主義には反することにはなりません。
民主主義の原理として正しい故に先進諸国で国民投票や住民投票が行われているのです。
議員や役人が賢者だとする根拠はなく、今「第一の矢」で打ち止めではないか、大盤振るまいは無効だったのかーーーとする主張さえ散見しはじめています
従来の制度では 献金元や官僚への配慮があるために財政や環境や福利は偏り 政治不信を拡大してきたのではないでしょうか。