第9章
物件は田崎の住まう柴崎から西へデイのある布田も藤谷が住む調布をも越えて柴崎から7つ目の多磨霊園駅から徒歩8分のところにあるとのネットでの掲載だった。駅近で田崎の求める2DK及び予算内となるとそこしかなかったがそこならまずはいわば紙の上では存在していた。田崎の大きな気がかりといえば、エアコンとテレビ端子が付いていてダイニングとも直線でつながっている、寝起きやテレビ視聴、そして書斎としてや絵を描くための正方形のテーブルを置くたったひとつの居室が6畳の間でなく4.5畳の間であることだ。彼としては居室が6畳でその隣が四畳半であって欲しかったのだ。納戸こそ四畳半でよく居室をこそ余裕をもってひとまとめにしたいのだ。ともあれ柴崎中心に見てもその円から離れて見ても京王線で探すならそのたった一軒の物件しか今はなく柴崎にあったものは生活保護世帯ということで断られたまでで多磨霊園のをしか見学する他なかった。物件を預かっている不動産屋はその手前の武蔵野台駅そばに所在していたので約束の午後1時半に向けて、藤谷から分かれて電車に乗るため、まっしぐらに歩き出した。
着いたなら神様が推し測ったように店先で5分前であって田崎は何のためらいもなくドアを開けた。着席を促され飲み物3種からいずれか1つをとすすめられるままアイス抹茶をオーダーした。しばし店の方と話したあと、違う店員に替わって彼の運転での見学への案内だった。そこには5階建てだのにエレベーターがない。築40年物だ。空き部屋というのは4階にある角部屋である。ダイニングに向けてカメラがズームしていけるよな曲がり廊下が少しある。キッチンダイニングに入った。曇り日が窓から部屋へ浸透していた。まるで太陽光がなく時が止まっているようだった。内装のきれいさと相まって心なしか寒く感じた。田崎は今朝起きてから出掛けるまでの2、3時間の内に5回も小便に立った。なぜか外気温我知らずで身体が冷えてるようだ。藤谷と会っている間はまったく感じなかったことだ。とはいえそこの窓向きはコンパスでチェックしたところ南西だった。彼は西に軽く引っ掛かる。実家の背面がまっすぐ西向きだったので、遮るものもない窓からの西日の蒸し暑さは言葉にならない耐え難さを彼に刷り込んでいた。彼は我に返り居室と使えるのかどうか四畳半に進む。狭いテラスが外気の中6畳間と橋渡しをしていて、そちらは南西から左へ90度の南東だ。西の観念が徐々に消えてゆく。6畳間と往復してもやはり田崎の頭は四畳半のただ中に身を置いてソファにもなるマットレス、横長のテーブル、新しく絵を描くために仕入れる四角いテーブル、それらを置くときの塩梅に集中し目に見えない物象を追いかけるのだけど、何度透明な影の配置を変えてもどうもいずれかの幽霊がはみ出るようだった。6畳間を併用しようとするとあっという間に幽霊は彼の頭からすり抜け皆目見当がつかなかった。6畳間はまたダイニングとの導線にも優れていなかった。見学を終えて外に出たら雨がぽつりぽつりと降っていた。田崎は尿意を催した。あれ、裏の窓鍵かけてないな、ちょっと上がってきます、と車を前にして店員が言ってそこを離れたので、田崎はタイミングがよく重なったとばかりに、駆け足でそこを離れちょっと空いたスペースでさっそく用を足した。放尿が地面を流れる。それは必要以上に放射状に拡散しながら流れやがる、と物理学に疎い彼は思い素足にサンダルをけれど俊敏に濡れぬよう操った。
最後にバトンタッチされた今の取り壊すマンションの不動産屋の係りの者に田崎は翌日電話をかけてみた。とりあえず会いましょう、そう彼は言うが、物件が見つかったかどうかは一言も言わずで、会う当日の電話で田崎から見つかった当該物件情報を持ってきて下さいとはっきり言うと、相手は口を濁しながら確認と言う言葉だけ間に差し挟んだ。実際会ってみて田崎が最初に気づいたのは、この人良くも悪くも営業が上手いな、という点と、営業をよそにした親しみ易さだった。その営業マンはスマホに一応は物件を入れていて田崎にもちらりと見せるのだけれど幾つかのそれらはいずれも1Kが関の山であり、田崎も承知していたことだが彼とて田崎の所望するような物件をその予算でということには最初から無理があったのだろうということだ。だが現実を間接的ににじませるその足立という男と話していく内に二人は同年齢同学年だとか同じような年齢相応の病気を二人とも抱えているだとかあの消火栓という文字は足立に見えるがその下のひと回り小さい英語表記は見えないだとかで田崎と足立はようよう打ち解け合ってゆきしまいにはライン交換をしたのだった。この二人の関係がうわべだけのものか本当に実のあるものかは更に先に進まないとわからないと神ではない田崎には思えた。現実が語るところに拠れば、足立は田崎が見つけた当該物件で致し方ないとの田崎の言葉を受けてこれから先の折衝や交渉は一任して下さればいいとしてその立場と責任をとるということだった。脇が甘いと言えばそれまでだが、もとよりこの件は田崎に出ていってくれという話であってビジネス上のディールでもなければ賭け事を仲介してもらう訳でもない。田崎はこれに応じここまでは一件落着だが、それにより田崎がいや安心した或いはいや不安になったのどちらかといえばどちらでもないというのは無論のことで田崎は神ではない。