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la siesta con KINAKO
きなことさわこの一日

2011年 「お別れ」

2011-12-25 22:36:32 | 思うこと
2011年という年は、いったいどれだけの大切な人を天国へお送りしたら気が済むのだろうか。

小学生の頃から、私の音楽の基盤をつくり、導いてくださった先生。
指揮者(ブラスバンド) 井上謹次先生 享年85歳

6歳の私に初めてマレットを持たせてくださった恩師 文子先生のご主人。
お二人で二人三脚、生涯を音楽に捧げ、
教えを受けた学校の先生方、小・中・高校生のブラスバンドの生徒たちは
何千何万人に及ぶでしょう。

心臓が凍りついたそのメールが届いたのは20日夜。

18日の「Prana」には、奥さん先生こと文子先生が聴きにいらしてくださった。
その日、謹次先生は中学校で本番、とても元気に指揮台に上がられているという話しを
聞いていたところだった。
元気・・とは言っても、心臓の大きな手術を2回も乗り越えられ、85歳というお年、
風邪をひいたら心臓に影響するので大変・・という状況ではあったが、
やはり指揮台に立たれると、急に背筋がシャキン!と伸びて
30年以上前から見ている謹次先生の背中と変わりなかった。

18日は「ついていかれなくて大丈夫なんですか?」と何度もお聞きしたが
昔の生徒達がよくやってくれるからいいの!と。

「Prana」当日の夜も、お礼のお電話をすると、
「今日は(謹次先生)とっても元気に振ってきて、最後に一本締めまでやったんですって!」
「わぁ、よかった!まだまだ、あと10年も20年も大丈夫ですね」

なんて・・・笑って話していた。それなのに・・。

2日後、23時を過ぎていただろうか、知らせを受け
着の身着のままで飛び出し、母を車でひろってご自宅へ駆けつけた。

そこには、今にも唇から歌が聴こえそうな
やわらかい笑顔で、花に囲まれた先生が眠っていらっしゃった。

言葉も出ない、涙も出ない数日。
ご葬儀の日は本番で、小澤征爾さんと一緒だった。

同じく「人生のすべてを音楽に捧げている」その姿に
井上先生が重なり、しかもコンサート第一部は賛美歌。
涙が溢れて止まらず・・・

どれほど可愛がってもらっただろう。
「佐和子ちゃん、佐和子ちゃん」って
どれほど、どれほど、いつも気にかけてもらっただろう。

どれだけ教えを受けただろう。

音楽への「厳しさ」
妥協のない練習の尊さを、どれほどの人達に伝えただろう。

先生のお陰で音楽やって、夢見ている人達が何千何万人いるだろう。

まだまだ振り返れない

亡くなる二日前まで指揮台に立ち、最後まで笑顔を見せてくださった
素晴しい先生の生涯に大きな拍手を贈り、
心からお礼を申し上げたい。










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2 コメント

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ご無沙汰です (角村 恵美子)
2012-01-02 23:31:23
佐和子ちゃんお元気ですか?私もびっくりしました。何となく年末に謹次先生の活動されているご様子をみようとネットを開いてみたら信じられない字が続いていて本当に心が凍りついてしまうような感じでした。今も体のネジが一本落っこちたみたいでこのお正月かわいい孫が泊りにきて今帰ったのですがまだ調子が変です。心からお悔やみ申しあげます。
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ご無沙汰しております (sawa)
2012-01-03 09:19:53
角村さま

本当に突然のことで。
子供の頃から長い間本当にお世話になりました。
ブログご訪問ありがとうございました。
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