ゆらゆら生活記

★日本社会を見つめ、趣味のカメラを持って・撮って、楽しい顔して生きよう記です。

No112.「外国人による日本語弁論大会」よりエルディンさんの「熱い視線」

2009年07月25日 | TV・新聞・本の感想

今月、7月12日にNHKで放送された、「第50回外国人による日本語弁論大会」より、
私も共感を覚えたモンゴル人留学生、バータルホ・ホス・エルディンさんの「熱い視線」と題して発表されたものを、
文書化して記録として残しておく事にしました。これは他人と視線を合わせない日本人の習慣を観察したものです。
エルディンさんは、在日2年目の一橋大学の留学生で賢そうな好青年でした。

<ナレーション‥モンゴルでテレビを通して日本文化に親しんできたエルディンさんは、来日2年目の現在一橋大学に留学中、
しかしテレビ放送と実際の日本の違いに今大きな戸惑いを持ってます>

『日本語は何とか通じましたが、全然想像もしていなかった事で悩まされたんです。
それは日本人の視線です。視線といってもジロジロ好奇の目で見られた視線ではありません。
むしろその逆です。
日本では道で人とすれ違う時、向こうから来た人がなるべく目を合わせないようにします。
しかも、たまに目が合ってもスッと反らしてしまいます。
モンゴルでは、誰でもたいてい道で人とすれ違う時、目を合わせて、お互いしばらく目を付けたままですれ違います。
あー人がいるなーっと、相手の存在を見るだけで、別に挨拶も何もする訳じゃ無いんですけど、
人が確かにそこにいるのにまるで居ないようにしてすれ違う日本人は失礼だなと思いました。
自分の存在を見てくれていないように感じたからです。
すれ違った後の感じが、私には後味が悪くて不快でした。
毎日日本の街を歩く訳ですから、避けようにも避けて通れないので私には大きな問題でした』

<ナレーション‥人が大勢いるのに、何故か孤独な大都会。大草原以上の孤独さにショックを受けます。しかし、ある集団が視線を向けてきました>

『その時は気分的に良かったんです。視線有り難うという感じでした。
そういえばエレベーターに乗っている時の日本人は、必ず何処かしら一点を見ていますね。
バスや電車に乗っている時も、それ見て意味あるんですかって感じのものを見ています。
私は何を見ているのか知りたくて観察しましたが、それは実は何かを見ているのではなく、人を見ないようにしているのだという単純な事だったんですね。
道ですれ違う時も同じ理屈だったんです。
日本人は、視線を反らして見て見ぬふりをするのが上手ですよね。
だから、周りの見て見ぬふりのお陰で、奇抜なかっこうやアニメのコスプレのまま電車に乗ったり、普通に外を歩けるのだと思います。
でも、見て見ぬふりとほったらかしは違うと思うんです。
例えば、電車の中でお化粧をしている人は、周りの見て見ぬふりのお陰で自分の好きなように出来るのかもしれません。
日本の若者は、注意されたら少なくてもその場ではいさぎよく止めると思うんです。
年輩の方が若者を注意することはいい事だと思います。だから注意したい時は、見て見ぬふりをしないで、口に出して言ってみるのも悪くないと思います。
これから、いろんな視線の外国人が日本にもっと増えるかも知れませんが、
道でもし皆さんを熱い視線で見ている外国人がいたら変人だとは思わずに大目に見てあげてください。
一年前の私かも知れません。 何卒よろしくお願いします』
・終了、大きな拍手がおきました。新鮮な目線の感動を有り難うございました。
日本に来てくれてありがとう、日本語を覚えてくれてありがとう。世界から戦争や飢餓が無くなって、いろんな国の人たちが集えるようになるといいですね。


 ↑庭に咲いた花を撮ってみました。いつのまにかニコンD90を買っていて、初めてライブビューで液晶画面を拡大して撮ったものです。しばらくぶりに三脚を使用して、レンズはいつものタムロンSP90ミリです。



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