癌闘病日記 スキルス性胃癌と戦う日々

実録・奇跡体験アンビリバボー!!

2006/06/09(金)

2006-06-09 18:42:17 | Weblog
みなさん,たくさんのメッセージ本当にありがとうございます。父も喜んでいると思います。


父の死から1日がたちました。
私はまだ現実を受け止められないでいます。
まだ生きているような気がしてならないのです。

痛みと苦しみから解放された父の表情は本当に穏やかです。
そしてただ寝ているだけのように見えるので,また起き出してくるんじゃないかと錯覚を起こします。

信じられないのです。
父が死んでしまったなんて信じたくないのです。

私は「父は絶対に死なない」と決め付けていました。
だからこの事実を受け止められないのです。

明日には父は火葬されてしまいます。
もう父の姿を見ることができないのです。
それでも私は信じられません。

もう一度だけ目を覚ましてほしいと願わずにはいられません。
いつになったら受け止められるんでしょうか…

今日もみなさんからのたくさんのメッセージをお待ちしております。

43 コメント

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Unknown (めぐさち)
2006-06-09 20:30:00
明日の12時、サトタクさんを想い北の空を見上げていますね。

マヤちゃん、みんなお父様のことが大好きでしたよ。
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Unknown (わたひろ)
2006-06-09 21:48:58
マヤさん、お父様を亡くされたのにしっかりと自分を持ち素直な気持ちを書き込まれている事に感銘します。

去年の5月に秋田にお見舞いに行かせていただいた事があります。昨日はそのときのことや、職場で一緒だったときのことをあれこれと思い出し涙が出てきました。

職場で、よくマヤさんの話も聞かせていただいていました。とてもよくできた賢い娘だと言っていたのが昨日の事のようです。マヤさんはサトタクさんの自慢の娘だったのでしょう。これまでのブログの書き込みを見ていてもそれがよくわかります。

今サトタクさんは苦しみから解放され穏やかなお顔をされているのでしょうね。

これからはゆっくりとした時間の中を過ごされながら、奥様やマヤさんを見守っていてくれるのだと思います。



ただご冥福をお祈りいたします。
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Unknown (ゴブ)
2006-06-09 22:41:33
私の父も胃癌でした。病院嫌いの父でしたから入院したときには手術も出来ませんでした。

亡くなって、冷たく固くなっていく父を抱えて悲しくて悲しくてたまりませんでした。

あの時、周りを気にしないで正直に大泣きすればよかったと今でも後悔しています。

その6年後に自分が胃癌になったのは38歳のときでした。

会社の健康診断で運良く早期に発見してもらったのですが、スキルスになるタイプの癌でした。私も全摘しました。

ポンコツな体になってしまいましたが、あれから9年が過ぎました。

お父様は少しだけ発見が遅れただけなのに・・・

お父様は自分のためにも、そして何よりも家族のために全力で闘ってこられたのでしょうね。

今日は一日いろいろな事を考えてしまいました。



心からご冥福をお祈りいたします。
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摩耶さん! (順子)
2006-06-11 11:38:31
とても悲しいよね。諦めない強いサトタクさんが居られないかと思うと、私も胸がいっぱいです。でもお父様は、お母様と麻耶さんが、食欲がなくなったりすることが、きっと心配だと思います。感性豊かな摩耶さんゆえにつらいでしょう!エールをおくっていますからね。元気だそうね!私たち!
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ごめんなさいね (順子)
2006-06-11 11:42:10
マヤさん、字を間違っていましたね。私?歳かんべんしてくださいね。思い込みが激しいようです!
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Unknown (ふみ)
2006-06-13 00:52:39
とても辛く現実を受け止められませんよね…お父様はそんな娘さんを心配されてますよ。形は見えなくてもいつも側にお父様はいらっしゃいますよ。私の父は私が小学生の時になくなり、今母は胆管癌になり闘病中です。私は父がいつも側で私を助けてくれてると思ってます。だから頑張って生きます。今は落ち込んで泣いて受け止められなくても時間がきっと悲しい気持ちをなくしてくれて、笑える日がきっと来ます。頑張って下さいね。それとお体を壊さずに。
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ご冥福をお祈りします (pucci)
2006-06-14 17:14:08
偶然このブログにたどり着いて、初めて拝見させていただきました。

お父様、とってもがんばられましたね。

きっと今ごろは神様にあえて現世での疲れを癒している頃でしょうね。

私の母も去年の7月に乳癌で他界しました。

でも、それから私はいつも母と一緒です。

何かを考える時も私の中の母に問いかけ答えをもらい、不安なことがあっても母が守ってくれると自信が沸いてきます。ただ、形がみえないだけ。

お父様も私の母も、生きています。

天国の住所さえわかればすぐに会えますよ。

私達も天国にいくまでのあと何十年。そしたらまた会えます。また会うまで恥ずかしくない自分でいられるように日々がんばろうと思っています。

お父様はまやさんの傍にいつもいてくれますよ。



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御冥福をお祈りします。 (rainbow)
2006-06-30 22:41:23
rainbowと申します。ブックマークをしていただいています。



時折、サトタクさんの様子を見にブログを訪れていました。

しばらく私も具合が悪く、PCから離れていたのですが、サトタクさんの様子が気になりましたので、久しぶりに来ました。



最初は意味が分からず、そしてサトタクさんが亡くなったことを知り、愕然としました。



マヤさん、ご家族の皆さん、お父様が亡くなられてさぞかし、お力落としだと思います。



サトタクさんの前向きなブログに私自身、力をいただいていたので、非常に残念でなりません。



サトタクさんの御冥福を心よりお祈りいたします。きっと、サトタクさんは笑顔で、天国よりマヤさん、ご家族のみなさまを見守ってくださっていることと思います。



本当に力をいただき、サトタクさんありがとうございました!

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天国のサトタクさんへ (めぐさち)
2006-07-28 15:52:25
納骨が済んだこと聞きました。

もう49日も過ぎたんですね。。。



まだ梅雨明けはしていませんが毎日暑い日が続いています。

店内は例年通り相変わらず暑く、スタッフもお客さんも汗だくですよ~~笑



奥様やマヤちゃん、私達を見守っていてくださいね。

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拓ちゃんへ (あんちゃん)
2006-08-14 11:23:14
もう8月だよ こっちは暑い、熱い。今、拓ちゃんと過ごしたことを思い出していました。一番時間を長く過ごしたのはひたちなか店の時なんだけど、あの時のことより思い出すのは5月29日。あの日の秋田はまだチョット涼しくて、あの日の秋田には昔のように悪口を言い合う二人、年の離れた同僚がいたね。昔みたいに普通に話して、笑って…ただ昔と違っていたのはそこが病院だってこと。あの時たまぁに見せた拓ちゃんの淋しそうな眼が今でも頭のなかに焼きついてる。さらに一年前の初夏、「一緒に祭りを見よう、ちょうどこの病院の前を通るから屋上で見よう。あんちゃんの好きなビールいっぱい買っとくからな」って…でも俺は行けなかった。ごめんね拓ちゃん だから、今年は俺から誘おうって‥あの日、5月29日に「また来るよ」って言ったんだ。俺が帰ろうとしたら動かない体を必死に起こしてくれて「ありがとう。がんばれよ!」って出ない声を必死に出してくれて最後に握手をしてくれた。うれしかったよ。でもあれが俺たちがかわした最後の言葉で最後の握手だったね。6月8日そのコトを知って‥最後に一目会いたいって思って秋田に向かいました。 眠っている顔はまるで寝ているようで、話しかけたら「おはよぅ」って起きてきそうなくらい安らかだった。あれから2ヵ月、みんな頑張ってるよ。上の方からずっと見てんだろ?まぁゆっくりと、俺たちの活躍っぷりを見てなよ。天才だからさっ  拓ちゃんが淋しくなりそうになったらまた会いに行くよ 色々な仲間達とね じゃぁな~ お前ががんばれっつったから、俺チョーーー頑張っちゃってるよ!
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