愛染明王信仰の興隆と白河法皇(続き)
(6)愛染明王とその修法 その2
愛染王を本尊として修する愛染法は息災・増益(ぞうやく)・敬愛(きょうあい)・降伏・鉤召(こうちょう)の五種法に通じて効験があるとされ、その事は上に述べた明王の像容と深く関わっています。又それに付いては白河院政期より以降愛染法が隆盛するにつれて驚くほど多くの口伝が生み出されました。ここではその一端を紹介しますが、それとても他に異説のあることは言うまでもありません。
先ず頭上の獅子冠は、修行者自身にとっては菩提(さとり)を求める心の勇敢さを表し、他に対しては自在に調伏する事の標示です。その上の五股鉤は、衆生(しゅじょう)を鉤召/誘引して本尊の大欲・大貪染(とんぜん)の世界に引き入れるのです。大欲・大貪染とは個人的欲求を超えた大いなる欲望に憑かれていることを言い、愛染明王の三昧/本質そのものです。
次に六臂の中の初めの鈴杵の手は息災の義(意味)とされます。心の闇を金剛杵の智慧の光で照らし、金剛鈴の響きを以て安楽を与えます。因みに息災の「息」とは「止」の意味で、文字通り災いを未然に止めること、乃至は大難を小難に転じることを言います。
弓箭の手は敬愛の義と説かれる事が多いようです。左右の手をそれぞれ定・恵に配当しますから、左の弓(定)に右の箭(恵)をつがえる事は定恵冥合(みょうごう)、乃至は一般に冥合/敬愛成就の標示であり、又た放たれた箭が何かしら対象物に的中する事も同じく冥合/敬愛の成就です。現今は敬愛法と云えば恋愛成就の秘法とのみ解釈されがちですが、会社の上司から目をかけられること、取引相手に気に入られる事なども敬愛法であり、更に仏道修行の立場からは本尊の仏菩薩から見放されること無く速やかに悉地(しっじ)成就する事も敬愛法に属します。
さて次が問題の左の第三手「彼の手」ですが、これは現存の彫刻遺品を見る限り空拳に作られていて口伝の云う所に合致します。つまり願う所、求めるものに随って、それを標示する物(三昧耶形)をこの空拳に持たせるのです。或いは第四章に紹介した後冷泉天皇降伏の作法の如く願意を書き記して持たせます。絵画・図像遺品の場合も空拳に描いたものが圧倒的に多いけれども、時として「彼の手」の上に日輪や如意宝珠などが描かれています。
「彼の手」と対の蓮の手に付いては敬愛法と関連させて説くこともあるが、蓮を以て「彼の手」の辺を打つことにより障難を成す悪心を消滅させる意であり、降伏(ごうぶく)乃至は広く一般に祈願成就の力を表していると考えられます。
(7)愛染明王と金剛界密教
前にも述べたように愛染明王を説く経典は『瑜祇経』のみであり、両部密教の根本聖典である『大日経』や『金剛頂経』には全くその言及が無い。してみれば愛染王は両部曼荼羅の諸尊と如何なる関係にあるのでしょか。
『瑜祇経』はその序章(序品)に於いて金剛界三十七尊に準ずる教説を展開しているから金剛界系の密教経典である事は疑いない。ところが学者を困惑させるのはそのサンスクリット語原本やチベット語訳が発見されないのみならず、その類本も亦た存在しないので、『瑜祇経』の成立過程に付いてほとんど学術的な検討を加えることが出来ない事です。そういう訳で例えば非常に権威のある学会の碩学が集まって編集した『仏典解題事典』は一切『瑜祇経』に言及していません。
しかし『瑜祇経』は弘法大師によって請来された密教経典中にあり、不空三蔵や恵果阿闍梨が活躍した中唐期の長安に於ける密教の精要を伝えていると考えられます。また『瑜祇経』は不空三蔵の師金剛智の訳、乃至はそれを不空が再治(さいじ)/校訂したものとされますが、その内容はユニークな密教観に溢れて到底晩唐期の凡庸な密教儀軌とは比較になりません。
とりわけ我が国の真言宗(特に小野/醍醐派)に於いては平安末以降に愛染法の盛行とは又た別に、『瑜祇経』の「阿闍梨位」の印真言を伝法潅頂の印信として授ける事を始めとして各種の「瑜祇」秘密伝授が隆盛し、更に『瑜祇経』自体の研究も本格化して鎌倉中期には詳細な注釈書が相次いで製作されるようになりました。このようにして『瑜祇経』に対しては、胎蔵・金剛両部大経の奥旨を説き明かした不二(ふに)の秘密経典とする評価が確立しました。
さて初めの愛染王と曼荼羅諸尊との関係については、先ず『瑜祇経』が金剛界系の経典である事と愛染明王が金剛薩埵の化身である点に留意する必要があります。次に古来真言宗の学僧の間に、愛染明王/『瑜祇経』が説く大染の三昧(覚りの境地)と金剛薩埵/『理趣経』の大楽の法門(教理)とは同じであるとする考え方のある事が挙げられます。此の事を典型的に示す一例として、前にも言及した白河法皇の護持僧範俊僧正が創始した如法愛染王法があります。即ち此の法を修する際には実に金剛界九会曼荼羅中の理趣会曼荼羅(十七尊曼荼羅とも云う)を本尊曼荼羅に用います。但し中尊は金剛薩埵の替わりに愛染明王を描く点が異なります。
金剛界密教の精要は普通三十七尊の曼荼羅で表現されその中尊は大日如来ですが、修行者の菩提心を中心に考えれば中尊は金剛薩埵になります。また『理趣経』の十七尊曼荼羅はこの観点をより鮮明に凝縮して表現しています。そして此の金剛薩埵が大貪染(とんぜん)の三昧に入って励起した時には愛染明王となって活動するのです。
此の事に付いては密教教理と史料の両面から改めて検討を加え紹介したいと思います。
以上
(6)愛染明王とその修法 その2
愛染王を本尊として修する愛染法は息災・増益(ぞうやく)・敬愛(きょうあい)・降伏・鉤召(こうちょう)の五種法に通じて効験があるとされ、その事は上に述べた明王の像容と深く関わっています。又それに付いては白河院政期より以降愛染法が隆盛するにつれて驚くほど多くの口伝が生み出されました。ここではその一端を紹介しますが、それとても他に異説のあることは言うまでもありません。
先ず頭上の獅子冠は、修行者自身にとっては菩提(さとり)を求める心の勇敢さを表し、他に対しては自在に調伏する事の標示です。その上の五股鉤は、衆生(しゅじょう)を鉤召/誘引して本尊の大欲・大貪染(とんぜん)の世界に引き入れるのです。大欲・大貪染とは個人的欲求を超えた大いなる欲望に憑かれていることを言い、愛染明王の三昧/本質そのものです。
次に六臂の中の初めの鈴杵の手は息災の義(意味)とされます。心の闇を金剛杵の智慧の光で照らし、金剛鈴の響きを以て安楽を与えます。因みに息災の「息」とは「止」の意味で、文字通り災いを未然に止めること、乃至は大難を小難に転じることを言います。
弓箭の手は敬愛の義と説かれる事が多いようです。左右の手をそれぞれ定・恵に配当しますから、左の弓(定)に右の箭(恵)をつがえる事は定恵冥合(みょうごう)、乃至は一般に冥合/敬愛成就の標示であり、又た放たれた箭が何かしら対象物に的中する事も同じく冥合/敬愛の成就です。現今は敬愛法と云えば恋愛成就の秘法とのみ解釈されがちですが、会社の上司から目をかけられること、取引相手に気に入られる事なども敬愛法であり、更に仏道修行の立場からは本尊の仏菩薩から見放されること無く速やかに悉地(しっじ)成就する事も敬愛法に属します。
さて次が問題の左の第三手「彼の手」ですが、これは現存の彫刻遺品を見る限り空拳に作られていて口伝の云う所に合致します。つまり願う所、求めるものに随って、それを標示する物(三昧耶形)をこの空拳に持たせるのです。或いは第四章に紹介した後冷泉天皇降伏の作法の如く願意を書き記して持たせます。絵画・図像遺品の場合も空拳に描いたものが圧倒的に多いけれども、時として「彼の手」の上に日輪や如意宝珠などが描かれています。
「彼の手」と対の蓮の手に付いては敬愛法と関連させて説くこともあるが、蓮を以て「彼の手」の辺を打つことにより障難を成す悪心を消滅させる意であり、降伏(ごうぶく)乃至は広く一般に祈願成就の力を表していると考えられます。
(7)愛染明王と金剛界密教
前にも述べたように愛染明王を説く経典は『瑜祇経』のみであり、両部密教の根本聖典である『大日経』や『金剛頂経』には全くその言及が無い。してみれば愛染王は両部曼荼羅の諸尊と如何なる関係にあるのでしょか。
『瑜祇経』はその序章(序品)に於いて金剛界三十七尊に準ずる教説を展開しているから金剛界系の密教経典である事は疑いない。ところが学者を困惑させるのはそのサンスクリット語原本やチベット語訳が発見されないのみならず、その類本も亦た存在しないので、『瑜祇経』の成立過程に付いてほとんど学術的な検討を加えることが出来ない事です。そういう訳で例えば非常に権威のある学会の碩学が集まって編集した『仏典解題事典』は一切『瑜祇経』に言及していません。
しかし『瑜祇経』は弘法大師によって請来された密教経典中にあり、不空三蔵や恵果阿闍梨が活躍した中唐期の長安に於ける密教の精要を伝えていると考えられます。また『瑜祇経』は不空三蔵の師金剛智の訳、乃至はそれを不空が再治(さいじ)/校訂したものとされますが、その内容はユニークな密教観に溢れて到底晩唐期の凡庸な密教儀軌とは比較になりません。
とりわけ我が国の真言宗(特に小野/醍醐派)に於いては平安末以降に愛染法の盛行とは又た別に、『瑜祇経』の「阿闍梨位」の印真言を伝法潅頂の印信として授ける事を始めとして各種の「瑜祇」秘密伝授が隆盛し、更に『瑜祇経』自体の研究も本格化して鎌倉中期には詳細な注釈書が相次いで製作されるようになりました。このようにして『瑜祇経』に対しては、胎蔵・金剛両部大経の奥旨を説き明かした不二(ふに)の秘密経典とする評価が確立しました。
さて初めの愛染王と曼荼羅諸尊との関係については、先ず『瑜祇経』が金剛界系の経典である事と愛染明王が金剛薩埵の化身である点に留意する必要があります。次に古来真言宗の学僧の間に、愛染明王/『瑜祇経』が説く大染の三昧(覚りの境地)と金剛薩埵/『理趣経』の大楽の法門(教理)とは同じであるとする考え方のある事が挙げられます。此の事を典型的に示す一例として、前にも言及した白河法皇の護持僧範俊僧正が創始した如法愛染王法があります。即ち此の法を修する際には実に金剛界九会曼荼羅中の理趣会曼荼羅(十七尊曼荼羅とも云う)を本尊曼荼羅に用います。但し中尊は金剛薩埵の替わりに愛染明王を描く点が異なります。
金剛界密教の精要は普通三十七尊の曼荼羅で表現されその中尊は大日如来ですが、修行者の菩提心を中心に考えれば中尊は金剛薩埵になります。また『理趣経』の十七尊曼荼羅はこの観点をより鮮明に凝縮して表現しています。そして此の金剛薩埵が大貪染(とんぜん)の三昧に入って励起した時には愛染明王となって活動するのです。
此の事に付いては密教教理と史料の両面から改めて検討を加え紹介したいと思います。
以上